アーモンドミルクの層

 なんやかんやあって、十一月十一日にゲームをすることになった。ビーフをするまでもない、取るに足らないことである。「だったらコイツで勝負だ!!」「いいだろう!」買い言葉に売り言葉、コイツの代名詞が指したものは菓子の宣伝であった。『十一月十一日、貴方もポッキー』軽快なリズムに合わせて、モデルがテレビの中で棒状の菓子を揺らす。持ち手のクッキーから先はチョコレートでコーティングされており、分厚い。『ポッキー』という菓子の名称で勝負ができるものといえば、一つである。「つまようじタワーでも作るつもりか」経験と手先の器用な者であれば、ポッキーで塔の一つは作れる。「んなわけあるかッ!!」南城が咄嗟に否定した。ポッキーという菓子で塔を作る遊びなど、勝負にもならない。否定を口にして、ハッと気付いた。つまようじを支柱や建材に見立てて塔を作らないということであれば、一つしかない。特に経験も要らず、手先が器用でなくてもできるルールだ。それでも口に出して認めるのが嫌なのか、切り出しに苦しむ南城に桜屋敷はいう。「勝負に使うものは、それぞれで持ち寄るぞ」願ったり叶ったりである。「いいだろう」南城は胸を張った。「受けて立つ」その堂々とした立ち振る舞いに「真似するなッ!」と桜屋敷は子どもらしい反抗心を示した。さて、その当日である。桜屋敷は後ろ手に隠し、南城はレジ袋を提げている。「用意はできたようだな」「阿呆面を晒す前に負けを認めるなら今の内だぞ。負け犬ゴリラ」「いってろ!!」買い言葉に売り言葉がまたしても行われる。確認を取った南城を前にして、桜屋敷は自分の勝ちを確信していた。南城はそれに食いつき、否定を叩きつけた。素直でないものである。
「いいか。いっせーの、で出すぞ」
「愚問。俺が音頭を取る。勝手な真似をするな」
「お前が取るのかよ。陰険眼鏡」
「じゃぁ、出すぞ。いっせーの、で」
 で、と口が音を発した瞬間に、それぞれが持ち寄ったものが互いの目の前に現れる。──桜屋敷は縦長の大袋であり、南城は青い長方形の箱──奇妙なことに、一点の共通点があった。認めたくない事実に、南城は声を荒げる。
「って! お前もかよ!?
「ふざけたことを抜かすなッ! 阿呆ゴリラ!! 俺のは『贅沢』仕立てだ。チョコの分厚さもアーモンドの奥深さも、そっちよりは買っている。値段の上でも、俺の方が勝っているといえよう」
「だからって、なんでお前もそれを選ぶんだよ!? 普段から着ている着物はどうした!? 抹茶を選べよ! 狸眼鏡!!
「そういう気分だったからだ!! 食べたいものを選んで、なにが悪い」
「勝負の内容を忘れんじゃねぇぞ。ドケチ眼鏡」
「それにしても」
 何食わぬ顔で南城が置いたレジ袋から物を取り出し、封を開ける。自分が持ち込んだアーモンドを食べようとした南城は、反応に一歩遅れた。桜屋敷が南城が興味半分で買ったものを口にしていた。
「昔と比べたら、随分と極細になったものだ」
「それは俺が買ったヤツだッ!! 守銭奴眼鏡!」
「どうせ食べるんだから問題ないだろう。ケツの穴が小さいヤツだ」
「誰かさんのせいで拡げられたがなッ!!
「お前、最低だな。食事中に下品な話題を出すな。ボケナス」
「てめぇが最初にいったんだろうが!! てめぇが! 人のケツ掘りやがって」
「お前が差し出したんだろ」
「調子に乗るなよ!?
 図星なのか、南城はカッと頭に血を昇らせた。壊したくないが一歩進みたいものの、今の関係が心地いい故にもどかしい──その逡巡が今に至る結果を生み出した。カリカリ、と桜屋敷は南城の相手をせずプリッツを食べる。ポッキーと違い、チョコレートのかかってないプリッツは塩味がするビスケットのようなものだ。甘さが苦手な人間でも、ポッキーと似た食感は楽しめる。それがあっても香草チキン味が南城を引き付けた理由は、イタリア料理にあるはずだろう──桜屋敷は考える。新作の開発や改善に役立つと見て、選んだに違いない。
 カリッ、極細の菓子が桜屋敷の口内で折れた。
(虎次郎が作った方が美味いな)
 化学調味料は偉大である。しかしながら、味の奥深さを求めるならば断然料理一択だ。数多の食材を的確に使い、煮込み、刻み、焼き、味付けを施す。それら手間暇をかけてこそ、味に何層もの厚みが生まれる。化学調味料だと、それがない。「んっ、中々美味いな」歯応えのある大きさに刻んだアーモンドを、贅沢に散らしたポッキーを南城は食べる。チョコレートの甘さが控えめな上に、ナッツの香ばしさと苦味がある。甘すぎるものが苦手な南城にとって、まだ口にできる甘さといえよう。
 その奥深い、何層もの厚みを味に生み出す料理人が、このような化学調味料の工夫に凝らした菓子に舌鼓を打つ。南城の作る料理と彼が味わう安価なチョコレート菓子に、桜屋敷は不合理さを感じた。このようなものを美味と楽しみ、あのような料理が作れるものであろうか? 化学調味料で見事に再現した香草チキンの味を、カリカリ食べる。口の中が塩味とチキンブイヨンの味で覆われた。箸休めに、自分が買った大袋の封を開ける。桜屋敷が買った『贅沢』仕立てのアーモンド味である。
 見た目のパッケージより、かなりポッキーが短い。絵と異なる長さに固まりつつも、桜屋敷は個包装を破いた。
「ん」
 二本あるうちの一本を咥え、南城にクッキーの先端を見せる。「は?」南城は眉を顰める。瞳孔を小さく縮め、桜屋敷の真意を量ろうとした。「どうした」南城に向けたクッキーの先端が、桜屋敷の言葉に合わせて揺れる。喧嘩を売るように、挑発的にポッキーの角度が上がった。桜屋敷の顎も上がる。
「さっさとやれ。やらないなら食うぞ」
「あのな。そーいうのは、こういうのでやるんだよ。守銭奴眼鏡」
「まどろっこしい。普通に食った方がいいだろう。馬鹿が」
「そういう遊びなんだよ! ポッキーゲームってのは!! あーあ、折っても食べられる場所が少ねぇじゃねぇか」
「当然だろう。誰がお前みたいなゴリラにやるか」
「このドケチ眼鏡。そういうことか」
「さっさとやれ。それ以降はしてやらん」
「ったく、ロマンもなにもねぇなぁ」
 嫌そうに物を投げ捨てるように、南城は不満を吐き捨てる。偉そうに待つ桜屋敷に口を開く。
 サクッ、重く分厚いアーモンドミルクごと持っていかれた。甘さに眉を顰めた。(絶対ぇ、わかっててやってるだろ)不満を胸に抱く。こういうことならば、ミルク味を選んでやればよかったと。南城は小さく後悔を抱く。雪辱はいつか果たさなければ気が済まない。最後の一口に進む前に、桜屋敷が動いた。
 食べようと歯を動かした音で、サッと南城は頭を後ろに引く。桜屋敷はたった一口しか食べていない。ギュッと眉間に深い皺を刻み、自分の下唇を親指で拭った。
「フンッ。俺の勝ちだな」
「どこがだ。お前が先に折っただろ」
「負け犬ゴリラがなにをほざく。俺の勝ちだ」
 桜屋敷は譲らない。たった一口だけしか食べられなかったことが不満なのか、残る一本を口に入れた。サクッ、サクッとたった二口で終わる。分厚いチョコレートの層と軸の太さとで、ポッキーの折れる音は生まれない。「それ」不服が残る南城は、桜屋敷に嫌がらせをする。
「ミルクらしいぜ」
 いつかのお返しだ。彼の脳裏に、いつか桜屋敷にされた幼少期の苦い思い出がよみがえる。「フンッ」桜屋敷は鼻で笑った。
「植物性ミルクと牛乳は違うんだ。ド阿呆」
 料理人なのに、それすらもわからんのか。哀れなゴリラだな。散々な言い様である。それに南城は特に打ち返さず、頬杖を衝き、目の前の人物が食べる様子をただただ黙って眺め続けた。桜屋敷がほんの気を向けない限り、あのような誘いは起こらない。(もったいないことしちまったなぁ)よりも先に(本当かよ)の疑念が先立つ。牛乳単品は苦手でも、加工してしまえば乳製品を食べられる。例え材料に──気付かれない程度に──牛乳を入れても、だ。様々な思惑が、口に出さない腹の奥で渦巻く。「あぁ、そうだ」食べかすが付いてないか、桜屋敷は自分の唇を指で拭いながらいう。
「今の勝負は俺の勝ちだな」
「んなわけあるか」
 ただそれだけを打ち返す。幼い子どもみたいな肩の張り方を、知らず知らずのうちに桜屋敷はしていた。それに本人は気付かない。気付かない方がいい、と南城は自身の与り知らぬところで思う。ポッキーは甘さに負けて明日の腹に葬り去られた。