Cooking, Seeing
ミートボールパスタは、男子なら誰でも一度は憧れるものだ。トマトソースに、一口では食べきれない大きな肉の塊──ミートボール。子どもだった頃、桜屋敷はテレビで見た映画の名前を出して「一度は食べてみたいよな!」と口に出したものだ。その前に行われたことが、執拗な絡みつきと「俺は作ってもらったぜ」の一言だ。子どもながらに腹が立ったことは覚えている。桜屋敷の家庭環境に、一握りの嫉妬も抱いたこともあった。今では、その気持ちは消えている。何故ならば、桜屋敷の腹は自分が掴んだからだ。比較対象にするにしても、必ず口にしたこの料理を持ち出す。桜屋敷が毒を吐くにしても、全ての審査基準は己の手料理となる。この点で、南城はイニシアティブを握っていた。
熱したフライパンの中でオリーブオイルが弾け、染み出た肉汁と溶け合う。ゴロゴロミートボールは、中々火が通りにくい。両面、側面、またひっくり返し、生焼けを潰す。焼き過ぎてもダメだ。せっかくの旨味が外に逃げる。ここは料理人の勘が発するところだ。こう見えて、南城は勘が鋭い。桜屋敷曰く「それは俺が見つけたからだ」だが、主観的な文句なので根拠に乏しい。パクッと、南城は余ったタネで作ったミートボールを食べた。他と比べて小ぶりであり、難なく一口で食べられる。サイズが一回りも二回りも小さいものだから、大きなミートボールよりも火が通るのが早い。中まで熱く熱していた。(んっ)噛めば、ジュワッと肉汁が溢れ出る。一足先に、焼き終えたミートボールを食べた。それに桜屋敷は気付かない。カウンターで、食前酒のワインを楽しんでいるからだ。
アルコールの度数は高くない。胃がビックリするからだ。淡い黄金色の液体を揺らせば、ナッツや柑橘系の香りが薫る。値段はお手頃だが、あの有名なワイナリーから出たものだ。世界に広めただけあって、味は折り紙付きである。一口飲む。軽やかでありながら、すっきりとした味わいだ。食後に飲むワインと違い、味の奥行きはない。食前に飲む酒としては結構なことだ。これから口にする料理の邪魔をしない。桜屋敷は上機嫌で飲む。南城はイタリアで経験を培った分もあって、ワイン選びに失敗しなかった。弱いアルコールが、唾液や胃液の分泌を促す。消化器官の負担を事前に軽くする。食事が出来上がるまで、酒で暇を潰した。
ゴロゴロミートボールに火が通ったら、フライパンから取り出す。南城の手付きは慣れたもので、フライパンを空にするとパスタを取り出す。予め沸騰しておいた鍋に、パスタを入れ始めた。時間の短縮だ。営業中は別のフライパンを使うが、今は時間がある。茹で時間の間に使ったフライパンを洗い、水で汚れを綺麗に落とす。今度は火で完全に水気を飛ばした。強火で乾かす間に次の工程が行いやすいよう準備を行い、皿を分ける。フライパンから水気がなくなると、オリーブオイルを入れる。地中海料理によく合うのだ。生活の必需品といっても過言ではない。油が熱したら、潰したニンニクを入れる。香り付けのために炒め、ふつふつ言い始めたら取り出す。このまま捨てるのは勿体ない。(あとでスライスしたフライパンを焼いて、そこにバターと一緒に塗るか)簡単な賄いを考える。熱したニンニクを乗せた皿を、少し壁際へ離した。
パスタはまだ茹で上がらない。桜屋敷はワインを飲む手を休め、タブレットで情報を確認する。仕事のメールは来ていない。愛する人工知能の性能向上に使える知識を探した。どれも英語だ。人工知能構築のために身に付けた知識で、概要を読んでいく。ふと、ジェイムズ・ウェップ宇宙望遠鏡が撮影した写真が目に入った。鮮やかな木星の写真であり、従来の土っぽいものとは違う。北極と南極に当たる輪郭は橙色に光っており、そこから薄緑色の膜が輪郭を覆う。中央に向かえば向かうほど薄緑色のグラデーションは薄まり、薄い紺色と淡い紫色の雷、白い雲や積乱雲の嵐が土星の表面に映る。あまりにも新鮮過ぎて、桜屋敷はその記事をタップした。ニュースを開けば、オーロラや巨大な嵐らしい。月や環も詳細に写っているとのことだ。ただ、人工的に着色しているとだけある。ポイッと桜屋敷の興味が薄れた。AIに関する情報を調べる。ついでに書道界隈の世情も確認した。
南城の手がトマトソースを作る。炒めたニンニクで香り付けをしたオリーブオイルに、トマト缶。ゴロゴロミートボールの肉汁。パスタが茹で上がる寸前で、鍋の湯をフライパンの中に入れた。塊が広がり、パスタと絡みやすくなる。最後に茹で上がったパスタを加えて絡めれば完成だ。皿に盛り付け、輪切りにしたブラックオリーブをバランスよく散らす。ちぎったバジルも振りかけて、完成だ。
「ヘイ、お待ち」
軽いノリで料理を出す。ジョー特製ゴロゴロミートボールスパゲッティは、表には載っていない。裏のメニューにも存在しない一品だ。彼の賄いでしか登場しない。もしくは自宅で作ったときくらいだ。
英文の解読に没頭していた桜屋敷が気付く。
「ん、できたか」
「カーラのアップデートでも考えてたのか? ロボキチ」
「審査に出すつもりはない」
「あるのかよ。そういう大会」
「カーラはそういう目的で作ったんじゃない」
強い意志を示し、桜屋敷は口を潤す。ワインを一口飲み、タブレットを片付けた。パスタのソースが飛んではいけないからだ。
手にしたフォークで、パスタを巻きつける。刃先に巻き付けたパスタを頬張れば、わかりやすく桜屋敷の顔が赤くなった。味は合格点だ。それを裏付けるように、空いたフォークが次の一口を作る。
「水は?」
「貰っておこう」
南城の提案を受け入れる。度数が低い酒で水分補給はできるか? 否、純粋な水と比べたら吸収率は低い。それに酒の合間で──特にワインの場合は──飲むなら、水が一番だ。香りや味に癖が全くない。南城が出した冷たい水を飲む。口の中をリセットする観点からでも、水が一番効率的だった。効果が高い。桜屋敷は、南城が作ったパスタをもう一口食べる。先より美味く感じた。
味わいながら、空いたフォークでミートボールを二つに割る。南城はなにもいわない。黙って桜屋敷が食べている様子を見ている。割ったミートボールの面に刃を突き刺し、口に運ぶ。肉が旨い。繋ぎの玉ねぎが肉の旨味をさらに引き出した。トマトにも合う。パスタに巻き込んだバジルがトマトの良さを引き出す。ブラックオリーブは肉との相乗効果を生み出した。南城お手製ゴロゴロミートボールスパゲッティは、シェフの腕前が出ているといえる。シンプルな分、経験が如実に反映していた。
(前より腕が上がっているな)
ありのままに語るパスタを、黙って食べる。もぐもぐと、南城の食材に対する目利きを考える。仕入れた材料が良かったのか、もしくは単純に料理の腕が良いだけなのか。後者を認めるには腹が立つ。水やワインで口直しする時間も惜しい。食べる手を進める。口の周りに赤いトマトのソースが付いた。仕事のときに見かけることはない。誰かがいるときでも、このように食べることはない。人前では綺麗に食べる男だ。こういう姿は、南城だけが見ることができる特権だといえる。
皿が空になる。
ナプキンで綺麗に口の周りを拭き、食後のワインを飲んだ。食前酒と同じ白ワインのフィノだ。奥行きがない分、物足りない。
「出すか?」
主語や目的語はないが、状況だけを見ればわかる。
「あぁ」
桜屋敷は返事の一つだけで済ませる。明らかに食後酒だ。南城はいつものワインを取りに行き、桜屋敷はグラスに残る液体を一気に飲み干す。やはり役不足だ。トマトと肉類の濃い料理の後には、パンチが足りない。ブラックオリーブと食べ合わせるにしても、ワインの印象が塗り潰されるだけだった。
新しいワイングラスが、馴染みのワインとともに現れる。桜屋敷は手を伸ばした。「自分で入れる」「じゃぁ、下げる」会話は噛み合わないものの、意志の疎通は成立した。南城が空になった食器を下げる。桜屋敷は新しいワイングラスと馴染みのワインを引き寄せる。ついでに食前酒のワインを、カウンターの上に置いた。下げてもいい合図である。汚れを浮かせている間に、南城が片付けた。
桜屋敷は酒を飲み、南城は使った食器を片付ける。ついでに厨房に回って、使った調理器具を洗った。あとは乾かして放置だ。これで仕事から解放される。フランスパンを食べれる厚さに切り、炒めたニンニクとバターの塊を乗せる。グラスはカウンター側にある。チンと焼けたフランスパンを齧り、カウンターに入った。目聡く桜屋敷が気付く。
「おい。俺にも寄越せ」
「残り物でいいんなら」
フランスパンで作ったガーリックトーストを食べながら、南城は皿を見せる。桜屋敷のパスタを作る際に出た残り物で作ったトーストだ。嘘は吐いてない。
「フンッ!」
それでも対抗心を張るのか、桜屋敷は皿の一切れを奪う。残る一切れは南城の分だ。店に三人目はいない。
桜屋敷は取った一切れを齧る。
「胡椒が足りない。ブラックペッパーやセロリの和え物があっただろ」
「残り物で作ったからな。適当に作る」
「それでも料理人か」
「俺が食べる分は、俺が食べたいように作るんだよ。すかたん」
あーん、と大きな口を開ける。罵倒を吐きながらもう一切れ食べ始めようとした南城に、桜屋敷はカチンと来た。空の皿を奪う。「それもうないだろ!?」「俺に出す分は!?」「ねぇよ! 自分で作れ!!」「お前の店だからお前が作るのが筋だろう!」「だったら金払え! ドケチ眼鏡!!」「ならあの時の金を返せ!! タラシゴリラ!」女遊びに失敗したことを持ち出されれば、南城もカチンと来る。「やるか!?」ガツンと額が突き合う。「受けて立とう」笑う桜屋敷の口角は引き攣り、白い肌に青筋を立てた。「逃げるなよ?」南城が念を押す。スッと桜屋敷から怒気が消えた。鼻筋が擦れ合う。
「なんだ。抱かれたいのか?」
「んなわけあるかッ!!」
顔を真っ赤にして南城が拒絶した。今は仕事中であり、仕込みを始める身だ。そんなことに付き合う暇はない。「この色ボケ眼鏡」「色ボケしてるのはそっちだろ。エロゴリラ」「ほーう。俺がエロいと認めたか」「勘違いするな。ボケナス。お前のだらしなさに呆れたんだ」「勃つ癖によくいうぜ」「興奮しているのはそっちだろう」「なにがだ」「自分でケツの準備をしているのが証拠だ」「黙れ」「ほう。なにも言い返せないか」「お前が準備もまだだというのに抱こうとするからだよ!! エロ眼鏡!」南城の怒声が響いた。顔を真っ赤にして怒鳴り散らされては、桜屋敷も驚く。思ってもなかった反論に、目を丸くした。
「は? あれでもまだだと?」
「そうだ!! それと、その。とにかく! 俺が準備をするのは不可抗力なんだよ!!」
「絶対他にもなにかあるだろう」
「ねぇよ! この話は終わりだ!!」
南城から一方的に打ち切るとは珍しい。桜屋敷は疑い続ける。その疑惑の目に、南城は顔を逸らすことしかできなかった。絶対に、必ず良くないことが起きるからである。南城はせめてもの抵抗に、頑なに口を閉ざし続ける。
桜屋敷は首を傾げた。
新たな攻め方に使われては、堪ったものじゃない──。その胸中は、南城の頑なな態度で伝達を妨害する。
桜屋敷が真偽を確かめようと、南城の目を見ようとする。即座に顔を逸らした。
「おい」
「とにかく、終わりったら終わりだ!!」
新たに火を燻らせたことを知らない。鋭い眼光の奥に潜む火に、南城は目を開けようとしなかった。ドツボにはまる、という状態だ。土の中に隠した壺に足を取られ、倒れて最悪足の骨を折る。まさに、南城は羞恥心と対抗心から火の中へ自ら潜ろうとした。桜屋敷は疑い深く、南城を見る。「見るな」顔を逸らす当人が口に出しても「なら話せ」と詰め寄るだけだ。
「話したくない」
「話せば済む話だろう」
「話したくないんだ!」
「なにが嫌なんだ。いわないとわからないだろ」
「くっ」
(こんなときだけ鋭く気付きやがって!)
鋭く睨みつけるだけしかできなかった。