魔女集会の後に鉢合わせ

 死者と生者の境目が薄らぎ、作物が育つ春の訪れを祝う。明日に日が昇れば、五月祭で国が賑わう。シンデレキの屋敷にいる者も、村や町の人たちのように五月祭を楽しみにしていた。継母のシャドウは新しい花のドレスを出し、二番目の義理の姉であるミヤは新しい靴の履き心地を確かめる。いつも継母や義理の姉たちにこき使われるシンデレキは、こっそりとボードを作ろうとした。けれど材料も道具もないため、作ることもできない。ぐすん、と窓辺で頬を濡らした。空を見上げる。五月祭を愛しのカーラと一緒に見て回る準備を終えたチェリーは、のんびりと自分の部屋の窓辺で休んでいた。
 カーラのメンテナンスは万全である。野良のスケーターからビーフを持ち掛けられても、こてんぱんに叩きのめす自信はある。シンデレキの一番目の義理の姉であるチェリーは、腕っぷしが強かった。
 遠くの山で、ほんの一部だけが明るく目に映る。電気やガスのないこの時代だ。シン、と暗闇が支配する闇の中では、微かな灯火さえも目立って見える。カーラがなぜオーバーテクノロジーで作られているかは、秘密である。
(あれでバレないと思っているのか)
 狩人の野営にしても、火が大きすぎる。巨大な火を囲む歌や騒ぎなどは、流石に聞こえてこない。あの明るい目立つ場所まで行かなければ、人間の耳には届かないだろう。カーラを以てしても、この距離までは無理である。精々、遠い未来の技術を経由しなければ不可能であった。夜更けも過ぎることだろうと思い、重い腰を上げる。(そろそろ寝るか)そう思った頃に、キラッと暗闇でも光る虹を見つけた。文字通り、虹である。それはチェリーが見ていた明るい目立つ場所からやってきて、どんどんこっちへやってくる。目を凝らせば、板の上に巨大なものがあるようだ。それは筋肉隆々していて、片足で空を蹴る。板で滑った後に、七色の虹が出来上がるようだ。(まさか)疑い深く注意して見れば、嫌な予感が当たる。「げっ」チェリーが顔を歪めると、向こうも気付き始めた。鼻歌を歌っていたそうでもあり、機嫌がよさそうに見える。
 態勢を変えてカーブを切ろうとすると、げぇと顔を顰めた。カーブが急ブレーキに変わる。
「薫!! 美容のために寝ているんじゃなかったのか?」
「今寝ようとしたところだ! ド阿呆!! チッ! 目に入るだけで不愉快だ」
「それはこっちのセリフだ!! 男のくせに神経質に肌を気にしやがって」
「なにかいったか。脳筋ゴリラ!」
「いちいち細かいんだよ! ヒョロ眼鏡!!
「お前が雑すぎるだけだ! ぼんくらッ!! 理解できんな」
「なにがだ?」
「この国が寛容であるからいいものの、厳格な国であったら首を刎ねられるぞ」
「ご忠告、どうも。まっ、一度も捕まったことはないけどな」
「一度は見つかったということか。呆れて言葉も出てこん」
「引きこもりのモヤシには縁のない話だろうな」
「その暑苦しい筋肉をとっとと引っ込め! タラシゴリラ!!
「この筋肉は俺のチャームポイントなんだよ。モヤシ眼鏡! 俺の使うマッスルマジックには筋肉が不可欠であり、筋肉が強くなればなるほど俺の使うマッスルマジックの威力が上がるというロジックがある」
「この前破壊した岩は、マッスルマジックじゃなくお前の素手でだろうが! 阿呆!!
「マッスルパワーは呪文を使わずとも、そのくらい朝飯前だってことなんだよ! 重箱隅突きピンク!!
「そもそも筋肉から物が出てくること自体あり得んだろうが! ぼんくら!」
「それが魔法ってものなんだよ!! すかたん! っていうか」
 ボードに両足を乗せ、現れた魔法使いのジョーは呆れる。褐色の肌が、鍛え抜いた筋肉を良く見せる。ピクピクとチェリーに筋肉を見せつける動きをやめた。
「こんな時間に起きるなんて、珍しいな」
 自分から言い出して、可能性の一つに気付く。魔法使いのジョーが、ニヤッと笑った。
「お前も楽しみにしていた口か?」
「ぬかせ。明日行われる五月祭は金が大きく動くからな。商売として、これほどの機会はない」
「この腹黒狸め。金を稼ぐことに目が眩んだか」
「俺の目は曇ってなどいない。そういうお前こそ、魔女やら魔法使いの宴で楽しんできた口だろう」
「あぁ。可愛いシニョリーナたちもいっぱいいた、いたんだけどな」
「いい。話が見えた」
「既婚者やナンパお断りの子が多くってな。結局収穫はゼロ。悲しいもんだ」
「話すなといったのが聞こえんのか。低能ゴリラッ!!
「情報交換に行っても野郎と酒飲んで帰ってきたって話だよ! 女装ピンク!!
「なんだと!?
「事実じゃないか!」
「俺は実母と利害が一致しているからこそ、この格好をしている。誤解するな。低能ゴリラ」
「趣味じゃないのか、それ」
「俺の趣味なら、もう少しマトモなものを選んでいる」
「あー、そう」
 ジョーの興味が薄れる。空中に浮くボードに腰かけて、自分の膝で頬杖を衝いた。開いた扇が、本人が自分のセンスで選んだものなのだろう。「そんな女装をして、誰かに貰われるつもりか?」「乗っ取る」「えげつないな。この狸は」涼しげな顔をして、美人の男は扇をあおぐ。女と偽って家長である旦那を傀儡とすれば、富と名声が手に入った。回り道だが、富と名声を手にする一つの道である。性別も関係ないので、スケートだってできる。
(お前くらいなら、自力でどうにかできるんじゃないのか?)
 女装を止めて男として生きれば、自分で生活することもできよう。薬師として村で働く女を見たこともある。──その女も〈魔女〉だと断定されていたこともあったが──男に自由が利く世風だ。チェリーの実力であれば、男として生きても富と名声は手にするだろう。
「俺のマッスルマジックで占ってやろうか?」
「愚問! ところで、魔女と魔法使いの情報交換ってどのようなものなんだ」
「ん? いや、まぁ最近魔法の調子はどうとか、新しい魔法は出たかだの秘薬や薬の調合はどうかだの、世間話くらいだな」
「ほう。そこで収穫はあったのか?」
「ぅ、お、お前には関係ないだろ!」
「あったんだな」
 ジョーは顔を反らしたっきり、黙り込む。同じように腕を組んで胸の筋肉を強調しても、チェリーはなにも突っ込まない。窓から少し、身を乗り出す。窓辺に腰かけて、空に浮くジョーを見上げた。
「あったんだな?」
 もう一度尋ねる。沈黙は肯定である。一度も目を合わせないなら、なおさらだ。
 黙りこくるジョーに、チェリーが扇で撫でるように示す。
「よし。来い」
「やだ」
「あ?」
「嫌だ、っていったんだよ。陰険眼鏡!! や、屋敷に人がいるだろう」
「実母と実の妹とシンデレキが三名。それと俺のカーラもいる」
「ひ、人がいる以上は嫌だ! 断る!! だ、誰もいないときなら乗ってやらない、こともない」
「はぁ? ゴリラが人間様に偉そうにいえる立場か? 類人。ならば場所を変えるしかないな」
「え、は」
「カーラ、この前買ったアトリエの屋敷までの距離と時間を頼む」
『マスターのアトリエまで、ここから南に一〇キロ、凡そ三〇分ほどで到着します』
「アトリエの屋敷なんて買ってたのかよ。薫」
「シンデレキの父親が残した財産を少し拝借して、手元を増やしたまでだ」
「この金にがめつい腹黒狸め」
「これで【人がいる】点は解消された。さぁ、どうする」
「ぐ、どうせソファか畳で寝てるだろ! お前!! 自慢じゃないが、俺が寝ると家具はぶっ壊れるぜ」
「畳は俺の仕事場だ。ド阿呆!! 安心しろ。腕利きの職人に作らせた。そう簡単に壊れはしない」
「あのなぁ」
「嫌なら床か壁に手を突いて尻を差し出すんだな。ドスケベゴリラ」
「俺はスケベじゃない。普通だ! 男に抱かれる趣味もない」
「説得力がないな」
 キッと顔を赤くしたジョーが睨む。垂れる目尻が鋭く吊り上がり、涙が浮かんでいる。チェリーは扇で口元を隠し、涼しい顔で部屋の壁を見た。時計なんてものは掛かっていない。機械仕掛けの時計は、この時代に存在していなかった。自分の部屋の様子を見ながら、チェリーはいう。
「俺はお前を抱きたい気分だ。それに、ヴァルプルギスの夜で手に入れたとかいう術も試してみたい」
「誰がお前なんかのために術を手に入れるかッ!! 勘違いも程々にしろよ。それに、試すとしても使うのは俺だ! 魔女でも魔法使いでもないお前に、魔法なんて使えないだろう」
「マッスルマジックで仕込むとしたら、興醒めも甚だしいな」
「誰がそんなことのためにマッスルパワーを使うかよ。変態眼鏡!」
 汚らわしい、といわんばかりの目つきで見やるチェリーに、ジョーは声を荒げる。今度は目元が乾いた状態で、目を吊り上げた。頭に血が上ったジョーに、チェリーはいう。
「どうする。俺に抱かれる機会なんて、早々ないぞ。俺はお前と違って、忙しいんだからな」
「ぐっ」
 パタパタと我が物顔で扇をあおぐチェリーに、ジョーはなにもいえない。ジョーは放浪する魔法使いであるし、チェリーはアトリエを持ち始めた。ますます顔を合わせる機会は少なくなるであろう。ジョーは顔を真っ赤にしたまま、キリキリ歯を噛み締める。自分から頭を下げることは、プライドが許さなかった。けれどもしばらく会えなくなるのであれば、と考えると断るのもつらい。
 ジョーはとても考えたあと、勝負を吹っ掛けた。
「お前のアトリエまでビーフをするって条件なら、受けてやらないこともない」
「人間様と同じ立場にあると思いあがるな。類人。どの口がいったか、いってみろ」
「この陰険眼鏡。どうせ、俺に負けるのが怖いんだろ?」
「あ? ゴリラに負けるなどあり得ないことだが?」
「そっくりそのまま返してやるぜ。ロボキチ。俺が勝つ!」
「いいや、俺だ!」
「俺が勝つんだよ!」
 ゆるゆるとボードの高度が落ちた状態で、二人は額を突き合わせて怒鳴り合う。チェリーが閉じた扇でジョーの顎を持ち上げて分からせてからの、これだ。流石に大きな声で喧嘩をすると、隣の部屋が起き出したのか。ミヤが窓を開けて大きな声で「うるさいよ! 二人とも!! もう深夜なんだから静かにして!」と最もなことをいった。自分より一回りも年が離れた子どもに注意されては、返す言葉もない。バタンッ! とミヤが窓を閉めるまで口を閉じた。
 ぷんすか怒るミヤが来ないことを見ると、話を戻す。
「腹の虫が収まらん。俺のアトリエに行くぞ。来い。虎次郎」
「な、クソッ。陰険眼鏡に付き合ってやる」
「この屋敷の玄関に集合だ。魔法のインチキを使って誤魔化すなよ? 脳筋ゴリラ」
「それはこっちの台詞だ。カーラ使ってギリギリのところでズルをするなよ? 卑怯眼鏡」
「カーラの機能だッ!! 筋トレで魔法を使うお前と一緒にするな。不愉快だ」
「お前のようにズルをすると思われたこっちのほうが不愉快だよ。腹黒眼鏡」
「なんだと?」
「やるか?」
「さっさと降りてこい。身の程を分からせてやる」
「泣きべそ掻くなよ? 腐れ眼鏡」
 クイッと親指で首を切る真似をすれば、ジョーが言葉で喧嘩を売り返す。買い言葉に売り言葉。ヒクヒクと互いの口角が引き攣る。頬に青筋を立てた。
 結局真夜中のビーフが町中で行われたし、それを住人たちは「またいつものか」と思って窓を閉めた。国の中ではたまに、昼の生物が寝静まる真夜中に城外でのビーフが行われる。最近国政を司る王が入れ替わったからか、夜警は緩くなった。ビーフで捕まることは、滅多にない。あるとすれば、器物損壊に建造物損壊の罪が成立したときだ。そのときだけは、現行犯逮捕となる。それでチェリーの買った町外れの屋敷までビーフを行い、小高い丘にあるので自然と止まる。それぞれ板を抱えて、坂を登った。「どうせなら坂道に建てろ」「それだと帰りに滑れないだろうが。馬鹿ゴリラッ!」などと軽口を叩き合い、屋敷に入った。
 そして魔女と魔法使いの密会で手に入れた術を使って、気持ちよくなりましたとさ。おしまい。