深夜闊歩の悪ガキたち
この時代のコンビニは、二十四時間営業である。深夜遅く日を跨いでも、コンビニの灯りは消えない。生活を営むに当たって欠かせないライフラインの働きを担っていた。最早小さな役所である。そこに、パトカーから逃げ果せた高校生たちがやってきた。高校生である当時の桜屋敷と南城、愛抱夢の三人である。一緒にいた仲間は、逃げる途中ではぐれた。携帯端末で離れた仲間と連絡を取り合い、桜屋敷がいう。「向こうは捕まったようだ」「あー、暫くは一緒に滑れなさそうだな」補導された以上、家庭からの締め付けが強くなる。桜屋敷と南城と行動を共にした学生も、それで引き離された。愛抱夢が最初に引き連れていた仲間もまた、同じである。愛抱夢と肩を並べてスケートを楽しむことができる人間は、今や目の前の二人しかいなかった。そう仲間たちの状態を確かめ合っているときに、桜屋敷が顔を上げた。視線が仲間との連絡から逸れる。
「なんか、喉渇いたな。コンビニ行くか?」
「うん? コンビニ、だって?」
「なんだよ。愛抱夢、そんな珍しそうな声出してさ。もしかして、行ったことなかったりするのかぁ?」
「阿呆いえッ!! 愛抱夢がそんなわけあるかッ! 阿呆ゴリラの脳味噌で愛抱夢を決め付けるな」
「はぁ? お前こそ決め付けてるんじゃねーよ。ドケチピンク!! なら、今の愛抱夢の反応は、どう説明するんだ?」
「愛抱夢なりのボケだろう」
「んなわけないだろ」
「『ぼけ』? あぁ、漫才や落語でいうところのボケか。悪いけど、そうじゃないんだ」
「なに?」
「えっ。マジかよ」
「実をいうと、行ったこともなくてね。というより行けないといった方が正しいのか」
背中に落ちたフードを持ち上げ、深く被り直す。
「もし行くんだったら、二人で行ってくれ。僕はここで待っているから」
そういって、コンクリートの壁に凭れかかる。幸い、物影に隠れられる場所はある。道路の見晴らしもよく、パトカーの存在にいち早く気付くことができた。一時的に不法侵入になるが、痕跡を残さなければ問題ないだろう。愛抱夢はニコリと笑って、ヒラヒラと手を振る。これに桜屋敷と南城は、了承しなかった。無言で互いに視線を合わす。なにもいわず、アイコンタクトだけ交わした。無意識での意思疎通である。「あ、そうだ」一コンマにも満たない瞬間、南城が視線を外す。自分の鞄を漁ろうとして、ないことに気付いた。宙を切った手で、両目を覆う。
「なにをしているんだ。阿呆ゴリラ」
桜屋敷が呆れ返る。見下ろすように俯く南城を見た。「あのなぁ!」この視線に腹が立ち、南城が噛み付く。
「あると思ったんだよ! 鞄の中に!! ほら、帰りに商店街寄っただろ? そこの」
「あぁ。って、それを愛抱夢に着けさせるつもりだったのか!?」
「ちょうどいいと思ったんだよ!! ほら、愛抱夢のイメージに合わないし、さ?」
「貴様ッ! だからって、言っていいことと悪いことがあるぞ!?」
「愛抱夢は懐がデカいから大丈夫だろ! 逆に楽しむと思う」
「阿呆か!! ったく、これだからゴリラには付き合いきれん」
「それはこっちの台詞だ。重箱隅突きピンク」
「なにかいったか? ボケナス」
「耳が遠くなったか? すかたん」
「あほんだら!」
「おたんこなす!!」
「タラシゴリラ!」
「ドケチ眼鏡!!」
「いったい、なんの話をしているんだい?」
二人で会話をし、喧嘩を始める。自分が主題であることは間違いないが、なにをさせたいのかがわからない。首を傾げた愛抱夢は、会話に割り込んだ。ギロリと互いを睨みつけた視線が、プッツリ切れる。敵意と怒りを収めるように、南城と桜屋敷は目を閉じた。瞼を開け、蚊帳の外にいる愛抱夢へ話す。
「商店街のくじ引きで、鼻眼鏡を当てたんだよ。それを愛抱夢が付ければ、顔が割れる心配はないだろって」
「それで身元特定を防げるという話があってもな。あまりにも馬鹿げた話だろう。哀れなゴリラは、オツムも可哀想すぎる」
「お前にはいわれたくねーよ。ロボキチ」
「あ!? コロスぞ!」
「鼻眼鏡だなんて、二人のさっきの会話には出ていなかったと思うけど?」
「人工知能が人間の顔を認識する論文に、そういったことが書かれてあった」
「絶対愛抱夢だとバレないと思うぜ?」
「僕がいっていることは、そういうことじゃないんだけどな。お前たちらしいよ」
「はぁ? コイツと一緒にしないでくれ。腹が立つ」
「それはこっちの台詞だ! 近眼ピンク」
「なにかいったか? 阿呆ゴリラ」
「あぁ、いったとも。ドケチピンク」
「あ?」
「やるか?」
「後悔するなよ」
「喧嘩するのもいいが、コンビニに行くって用事はどうしたんだい?」
「はっ! そうだった!!」
またしても起きた喧嘩に、愛抱夢が呆れ返る。そう水を差すと、桜屋敷が我に返った。続けて南城も、喧嘩を止める。二人で喧嘩をし、南城が負ける。桜屋敷が小さく腰と両肘を引き、ガックリと南城が項垂れた。愛抱夢は首を傾げる。「はっ! しまった」守銭奴の傾向がある桜屋敷が、先に愛抱夢へ尋ねた。
「愛抱夢。マスクで顔を隠すってヤツはどうだ? フードを被れば、問題ないとは思うんだが」
「うーん。先に学校の制服でバレちゃう、って問題もあるかな? それなら制服を交換するって手を打った方が確実かも」
「よし。だったら虎次郎だな。ズボンの丈が愛抱夢でも着れそうだ」
「あのなぁ、自分のって手はないのかよ。薫」
「愛抱夢が着ることを考えたら、お前の方が一番サイズが近い」
「チビ」
「あ!?」
「あのさ」
ボソッと呟いた南城の悪口に反応し、桜屋敷が激しく噛み付く。一瞬で周りに響き渡るような声量だ。これを快く思わない愛抱夢が、間に入り込む。
「そこまで、する必要はないんじゃないのかな? 第一、服を交換するにしても、どうやって」
「薫、周りに人はいないよな?」
「問題ない。灯りが付いて住人が起きた様子もない」
「もしそうなっていたら、すぐこの場から離れる必要があるんだからな?」
あぁ、そうじゃなくて。愛抱夢は頭を振る。
「なにも、そんなする必要はないだろう? っていいたいんだ。僕のいっている意味、わかるかな?」
「うん? 中でなにか買いたいと思わないのか?」
「いえば買ってくるけどさ。一人で待っていると、つまらないだろう?」
それに問題があるか? と聞き返す四つの瞳に、今度は言葉が詰まる。配慮だの立場だの関係なしに、対等に相手を見ての発言だ。人の上に立つ者として指導を受けてきた愛抱夢は、キョトンとする。なるほど、無意識で前提にしていたものが違うからこそ、二人と話がすれ違ったのか、と。愛抱夢は合点が行った。それらを踏まえて、天秤に掛ける。
──父親にバレることと、二人の親切心を受けて実行に移すこと──。中間地点の『待機』は、先の会話で散々消えた。今更選択肢に上がるはずもない。
閉じた瞼を持ち上げて、綺麗な宝石色のルビーを夜空へ向けた。愛抱夢は満天の夜空を眺めて、悩む。
「うーん。監視カメラの向きと位置。それらが問題かな」
「えっ」
「は? 監視カメラ?」
「僕がお前たち以外に顔を見せないのも、一枚噛んでいる。後ろ姿ならともかく、正面だけは移されたくない」
プイッとそっぽを向く。今度は桜屋敷と南城に問いかけをした。伏せた言葉の意味がわからない。桜屋敷と南城は、無意識に互いの顔を見た。──「自分たち以外に顔を見せない」「映像に残したくない」「後ろ姿ならセーフ」──これら情報を考えて、一つの結論に辿り着いた。
「バレたくないのか」
「映像に残されると、まずいって?」
「そうだと受け取って貰っても構わない」
政治家らしい言い回しだ。中途半端に暈す愛抱夢に、二人はなにもいえなくなる。「まぁ、大体は理解しているが」南城はコンビニを見つめ、思案する。
「要は愛抱夢が映らなければいいんだろ? じゃぁ、サッと出る感じでいいんじゃ」
「駄目だ。念には念を入れたい」
「念入りな男だな。愛抱夢。でも、嫌いじゃないぜ」
「チェリーは神経質なほど見ているときがあるけどね」
「そんなに気にするものか? どうせバレるときはバレるだろ」
「ジョー。僕は、その可能性を一つでも潰しておきたいんだ。別の手に使えるならまだしも」
「へぇ」
「って、スケートには全然関係なかったことだったな。忘れてくれ」
「いや、コンビニはどうするんだよ。って、薫!」
「なんだ」
「いや、コンビニ」
「愛抱夢がもう帰るんだ。俺たちも今日はお開きってことでいいだろう」
「いや。普通にもう少し滑ってから、喉が渇いたら近くの自動販売機で飲むものを買うけど」
「それだったら俺も付き合うぜ! 愛抱夢!! コンビニ寄るより、そっちで買う手もあるもんな」
「種類も少ない上に、割高だけどな。ドケチ眼鏡」
「黙ってろ。タラシゴリラ!!」
「効かねぇな」
「フンッ!」
「うわ!?」
ギッと睨んだ鋭い目付きに余裕風を吹かしたら、足首への一撃が入る。南城は体勢を崩した。慌ててバランスを取ろうとする幼馴染の犬猿の仲を、桜屋敷は横目で見る。「フンッ!」苛立ちながら、鼻を鳴らした。
「あんな阿呆放っておいて、行こうぜ。愛抱夢」
「ジョー。この先のスポットで滑っているよ」
「少しは待てっての! あー、くそ」
この薄情者め。そう呟いて南城がスケートのテール部分を滑らせて走り出すと、愛抱夢が笑う。「さぁて。どうかな」既に滑り出した桜屋敷は、無反応だ。
軽く走って、先にボードだけ滑らせたあと、並走した南城がボードの上に乗る。軸足を定位置に置いて、後ろ足で地面をキックした。何度も蹴って、滑る速度を増す。人が眠る静かな夜更けを、三台のスケートボードが滑り出した。ゴロゴロガコン、と音が響く。
「なぁ」
南城が切り出す。愛抱夢はハードトリックをメイクし終え、桜屋敷が後に続いた。愛抱夢とは違う、別のハードトリックである。高いテクニックを要求されるものだ。「よし!」成功した桜屋敷が、頬を小さく染める。メイクの流れに逆らえない南城は、軽めのトリックを出した。オーリーでレールを飛び越えて、二人に並び立つ。愛抱夢より身体を前に出し、桜屋敷は南城を見て笑った。
「この小心ゴリラ」
「なんだって?」
「なんだい。ジョー」
揶揄い始めた桜屋敷に噛み付いた南城に、七度目の気配を感じる。流石に飽き飽きした愛抱夢は、先に遮った。先と同じように『ジョー』と呼ぶ。それは桜屋敷を『チェリー』と呼ぶことと変わらない。桜屋敷と南城が互いに「虎次郎」「薫」と呼び合っても、愛抱夢は「ジョー」「チェリー」と呼ぶことを変えなかった。──『愛抱夢』という名が、本名でないことが関わっている。「愛抱夢って、愛抱夢って名前なのか?」と桜屋敷が尋ねたことにより、二人がチェリーだのジョーだのと付け合った背景がある──取るに足らない、些細な出来事だ。
最後の一線を超えない愛抱夢はいう。
「なにか、いいかけていたようだったが?」
「あぁ、喉が渇かないかって。ほら、あそこに自販機があるだろ?」
「フンッ、腹ペコゴリラめ。俺たちの夜は、まだこれからだろ!」
「あっ! 一人で先に滑ってるんじゃねぇ!! この陰険眼鏡!」
「早い者勝ちってヤツだ! 阿呆ゴリラ!!」
「お前の場合は後出しなんだよ! この重箱隅突きピンク!!」
その罵声は、普段のやり取りから出てきたものなのだろう。深夜遅くに一緒に滑る時間しか過ごさない愛抱夢は、そう思う。桜屋敷が一番に滑り、南城ば二番目に滑った。最後は自分だ。大トリである。
静かに目を閉じ、深呼吸をする。目の前のスポットであり、ストリートに存在する障害物の位置を頭に入れ直した。目を開く。高いスキルを披露して、大トリの華やかさを飾った。「おぉ!」桜屋敷が興奮する。「相変わらず凄いな、愛抱夢は」南城は心からの賞賛を送る。愛抱夢はそれらを受け取った。
「だろう?」
「俺も愛抱夢に負けないくらいのスキルを見せてやるからな!」
「ヒョロ眼鏡には無理だろ。先に筋肉を付けろって」
「あ!?」
「楽しみにしておくよ」
始まる喧嘩から離脱する。先頭を滑り、小さくボードの上でステップを踏んでみせた。足元が狂う。そのミスを隠すように、小さくトリックをして誤魔化した。愛抱夢も発展途中である。
問題の亀裂が生じるまで、まだ時間があった頃の話であった。