不意を突いて噛み付く
不意を突いて、かぷり噛みついた。図書館で借りたイタリア料理のレシピを読み漁っていた南城は驚く。テスト対策を暇潰しにしていた桜屋敷は、何食わぬ顔で勉強に戻った。予めテストの範囲を押さえることで、テスト週間の期間をプログラミングの勉強に使える。それとスケートの練習にもだ。桜屋敷の自宅で座学を行う南城は、ジト目で仕掛けた相手を見た。
「おい。今、しただろ」
ド直球な問いに「はぁ?」と桜屋敷は眉を顰める。露骨に嫌そうな顔をした。
「んなわけないだろ。自意識過剰ゴリラ」
「いーや、した。俺の口は誤魔化せないぜ。シュシュピンク」
「その名で呼ぶなッ!! お前の気のせいったら気のせいだ」
「はぁ?」
んなわけないだろ。そういいたげに睨む。しかし、肝心の桜屋敷は素知らぬ顔だ。得意な科目の数学を仕上げたあと、物理に進む。桜屋敷の選択科目は物理だ。生物を選んだ南城とは異なる。自然とクラスも分かれるが、何故か生物と物理が隣接しているために行きと帰りで喧嘩が勃発する。生物が化学と物理の真ん中にいるためだ。その因縁ある物理に、桜屋敷が手を付け始めた。「これは」と桜屋敷が目を輝かせてから物理一択を選んだことは、まぁまぁ記憶に新しい。そのときの記憶を思い出した南城は、なんだかムラッときた。
少し身体を伸ばし、桜屋敷の視界の正面から入る。その瞬間、正面から顔を掴まれた。「げっ」ブンッと振り回す勢いを感じて、咄嗟に回避行動を取った。南城の予測通り、桜屋敷は手荒く扱う。自分のテスト勉強と科目の復習を邪魔する人物を排除した。
強く指が食い込んだところを擦って、南城は恨み言をいう。ギロリと睨んだ。
「なにをしやがる。陰険ピンクッ!!」
「人の視界に入るな! ぼんくら!! 計算処理が鈍る」
「はぁ? 頭の中で計算してるのか?」
南城が桜屋敷のノートを見つめ、返す。罫線が予め入ったページには、手書きで計算の途中式が書いてあった。桜屋敷は不愉快だといわんばかりに返す。
「人工知能にやらせる計算のことだ。ボケナス」
「へぇ。それが役に立つかね」
「少しは女以外のことに興味を持て。低能ゴリラ。意外と役に立つぞ」
「例えば? 人工知能が代わりに女の口説き方を教えてくれるっていうのかよ」
ニヤニヤ笑う。明らかに挑発だ。人工知能の「じ」の字も理解しない愚物に、桜屋敷は軽蔑の視線を送った。明らかに見下げ果てている。これに、南城はムッとした。あからさまに顔に出ている。
「なんだ」
「低能すぎる」
「おい!」
はぁ、と溜息を吐きつつ頭を押さえる桜屋敷に、南城は大声で突っ込んだ。いくらなんでも失礼すぎる態度である。不満と不服を露わにした南城に、桜屋敷は言葉をかけなかった。以前であれば、血に頭を昇らせて暴言で噛みついたというのに、だ。この差に、南城は不服を覚える。愛抱夢から一方的に関係を絶たれてから、以前のように桜屋敷が噛み付くことは少なくなっていた。──それでも、人前だろうと噛みつくときは噛みつくが──。難しい顔で考える南城を、チラリと見る。思考が他に奪われていることを見ると、桜屋敷はヒョイッと顔を覗き込んだ。噛みつくように唇へ歯を立てる。下唇に触れた八重歯の感触に、ビクッと南城の肩が跳ねた。目が合う。なに食わぬ顔で、桜屋敷は勉強に戻った。
「おい」
「なんだ。用件は簡潔にいえ」
「今キスしただろ!! 離れたときに目が合ったぞ!?」
「だからしてないといってるだろうが!! ド阿呆! こじつけも大概にしろ」
「こじつけって、あのなぁ。それこそどういうことだ!? 不意にキスをするにしても、俺だったら上手くやるぜ?」
「はぁ?」
「こう、女が油断するときを見計る。そして、ここだというときにガバッ! とキスをする。これは気の持ちようで、実際はフワッとキスをするようなのがいいな。うん。それから女に合わせて『奪っちゃった』とか『ごめん』とかいう。まぁ、いうにしても女の雰囲気を察することが前提だな。それはキスをするにしてもおな」
じ、と言い切る間もなく南城が押し倒される。「お前、本当最低だな」「クソの役にも立たん知識だな」と桜屋敷の頭の中でだけ罵倒が出る。なんとなく、女の土台と同じ話に出されて腹が立った。
(お前のようなタラシゴリラと一緒にするな、ボケ)
米神に青筋を立てる。目を丸く南城の襟首を乱暴に掴む。怒りを滲ませた目で南城を睨みつけ、噛みつくようにキスをした。それと程度が違うことを、南城の唇から滲ませる血で分からせる。待て、と制止をかける手を無視する。唇に歯を立てたあと、耳にも噛みついた。「いっ!?」「おま、本当雰囲気もクソもないな!?」駄目出しをする南城に、桜屋敷がキレる。「黙れ、原始人!」青筋が増加した。釣られて南城の青筋も増加する。
結果的に互いの身体に青痣が増えたことは、後の祭りであった。