グレー×ホワイト‐バルコニー
東京都某所、ミニマリスト向けのコンドミニアム。そこの依頼を桜屋敷は請け負った。空き室である期間を減らし、獲得する予約数を増やす。そんな目論見の元、桜屋敷に各部屋のレイアウトを映像で送った。どれも同じコンセプトであり、作品を飾る場所は同じだ。異なるレイアウトで作品を複数作るよりは容易い。部屋に合わせた作品を仕上げ、空輸で送る。既に作品を送る前に報酬は貰っている。現金だ。音声で「先生のおかげで予約の数が増えました」との連絡も入った。ついでに桜屋敷ならば一回だけ、無料で宿泊させてくれるという。経営を考えたら、ショートステイのみである。それでも充分だ。東京へ行く用事ができた桜屋敷は、以前依頼を請け負ったそこを利用することにした。ちょうどピークから外れている分、予約は取りやすい。カーラ伝いに入れた予約に、コンドミニアムのオーナーは喜んだ。
その宿泊施設の前でオーナーはポカンとする。「そちらの方は?」目を丸くするオーナーの質問に、桜屋敷は馴染みの狸笑顔で答えた。
「備品です」
その返事で、桜屋敷の後ろにいた男の様子が変わった。ジロリと桜屋敷を睨む。
「おい。人を物扱いするなッ!」
小声で厳しく咎める。瞬間、桜屋敷の態度が変わった。穏やかな眦は消え、ギロリと鋭く目尻を吊り上げる。横目で筋肉質な男を睨んだ。体格の幅が一目瞭然である。褐色の男の方が桜屋敷より大きい。
「口を閉じてろ。原始人。図が高い」
「黙れ。陰険眼鏡! 人が黙ってりゃ、いい気になりやがって」
「ゴリラは備品扱いで充分だろう」
仕事の付き合いであるオーナーを前にして、桜屋敷はしれっという。〈ゴリラ〉と名が表す通り、桜屋敷と一緒にいる男は筋肉隆々だ。ボディビルダーだと告げられても、説得力がある。服で大半は隠れているが、その体格と袖から出た腕の筋肉が、全体の筋肉の質と量を告げていた。
桜屋敷は筋肉質な男と話を切り上げて、依頼人であったオーナーと面を向かう。筋肉質な男に向けた鋭い目付きと一転して、穏やかな笑みを浮かべていた。目尻に吊り上げた痕跡など、一欠けらもない。
「追加の料金も渡しましたので、問題ないですね?」
ニッコリと、人当たりの良い笑顔でいわれてはどうしようもない。「え、えぇ」とだけ、困惑したオーナーは肯定を見せる。
黒字にさせてくれた功績を称え、桜屋敷に鍵を渡した。
カーラ専用のボードが入ったケースを提げた桜屋敷は、黙って受け取る。
褐色の筋肉質な男──南城は、桜屋敷が建物に入る様子を見て、後に続いた。一見、普通の住宅地だ。木造の三階建てであり、桜屋敷が引き受けるような建物には見えない。エレベーターはなく、階段だ。桜屋敷を先頭にして歩く。外国人の客もターゲットに入れているのか、階段の天井は高い。けれど幅は少し狭く感じた。南城が手を伸ばせば、すぐ反対側の手すりへ届きそうになる。階段を登り終えると、桜屋敷が立ち止まった。右手にある扉の鍵を開ける。階段の正面は近くの窓一つだけであり、少々窮屈に感じる。荷物を持ち直そうとしたところ、ガチャリと鍵が開く音が聞こえた。なにもいわず、桜屋敷が先に入る。(なにか一言いえよ)不満を持ちながら、南城も後に続く。交通費は実費である以上、なるべく宿泊費は安く抑えたい。無料であるなら尚更だ。
一歩室内に踏み出すと、外の風が顔面を叩きつけた。
(おぉ)
本日の風は強い。それよりも、この解放感だ。窮屈な室内かと思いきや、外を感じるバルコニーに出る。なんとも面白い造りだ。(南国の、沖縄でも中々ないな)リゾート地なら、あるだろう。台風王国である沖縄の地となると、この造りでは多少不安になる。外に面したバルコニーの廊下に新鮮さを感じながら、次に続く扉を探した。ない。全面ガラスの窓だけである。桜屋敷はそこに紛れた全面ガラスの扉を開いた。「あっ!」南城が声を上げる。「そこならそうと、一言くらいいえよ」ボソッと桜屋敷の背中に向かって不満を漏らす。「気付かない馬鹿が悪い」しっかりと桜屋敷の耳が拾う。「聞こえてるならそうしろ」南城の声に怒気が混じった。とはいえ、どこで靴を脱ぐかが問題である。「土足で入ればいいのか?」「戯け。そこにあるだろう。ほれ」キレた桜屋敷が、閉じた扇子で指示した。確かに扉から入って右側に、ちょこんとガラス張りの壁に添うようにサンダルが置かれている。「これで室内を歩けって?」「阿呆か。土間までに決まっているだろう。これだからゴリラは困る」「見ただけでわかるか! 陰険眼鏡!!」予め依頼を請けて前知識を持っている桜屋敷とは違う。隅のサンダルを無視して、ツルンとした土間を歩く。広い。青味を含んだ淡い灰色の大理石を敷き詰めたような感じで、掃除がしやすい。T字型の水回りと、黒いパネルの上に換気扇。(まさかな)料理人としては信じがたい狭さだ。桜屋敷は木と石の境界線で草履を脱ぎ、足袋の状態で部屋の中を歩いた。どうやら、ここまでが玄関となるらしい。桜屋敷と違って、南城はサンダルを取り寄せる。寝るとき全裸派は、なるべく素足でいたい。細々としたことへ使うとして、南城も部屋で寛ごうとした。
二人掛けのソファを占拠する桜屋敷が、南城に指示をする。
「おい。なにか飯を作れ」
「できるかッ!!」
南城は即座に桜屋敷の無茶振りに否定を送った。あの調理スペースもない上に、鍋の一つしか置けなさそうなコンロでどうしろと? IHなのはまだいい。憤怒する南城に、桜屋敷は眉を寄せる。眉間に何重もの皺を作ったあと、大層重そうな溜息を、これ見よがしに吐いた。
「はぁ」
横目で落胆を伝えつつ、ギュッと目を閉じて頭を押さえる。二つの指先だけの面積で、強く頭痛を和らげるツボを押した。
「なんのために連れてきたか、わからんな」
「俺はお前専属の料理人じゃねーよ!! そんなに俺の料理を食べたきゃ、広いキッチンを用意しろ」
「なにか適当に作れんのか」
「あのな。コンロが一つしかないんだぞ」
一切譲歩を見せない桜屋敷に呆れつつ、南城は辺りを見回す。壁のラックは備え付けなのか、最初からある。フローリング側のラック下にはコンセントがあるのか。桜屋敷はラック下にプラグを挿し込んで、ボードのカーラに充電を始めた。自我が籠もらない機械に、明かりが灯る。残りのバッテリーを表示し始めた。電源を切っても、バッテリーは表示するらしい。
ちょうど自分の腹と肩の高さにあるラックを、南城は見た。
「カウンターの代わりにするには、高さが中途半端だしな」
「帯に短し襷に長し」
「いつもの四字熟語はどうした? 重箱の隅ピンク」
「特別それを示すような四字熟語は存在しないんだ。ボケナス」
「カーラでも探しきれないのか? ロボキチ」
『検索結果、0件。日常で使われる単語しか存在しません』
「視野狭窄、尋章摘句、なにもわかってないのはどっちだ。馬鹿ゴリラ」
「あのな、誰でも知ってると思うなよ。ロボキチ」
サラサラと二つの四字熟語を出した桜屋敷に、南城は呆れと批難がましい目を向ける。しかも、その一つは故事ではなく病状を示すものだ。桜屋敷が自信満々にたっぷりと言い切ったせいで、それも四字熟語の仲間だと錯覚させる。これについて明確な反論を持たない南城は、抱いた疑問をスルーした。
飯を作れと要求する桜屋敷に、代案を出す。
「だったら、俺が上手い飯屋を選んでやる。そこで腹ごしらえをするのはどうだ?」
「断るッ!! どうせお前のことだ。変な食い物を選ぶに決まっている」
「変な食い物ってなんだ!! そこでしか食べられない、ご当地ものなんだぜ? 卑怯眼鏡。お前の選ぶ店こそ、毎回高いじゃねぇか!!」
「俺は一級品を食べているんだ! タラシゴリラッ!! B級品を好むお前と一緒にするな」
「B級グルメの良さを知らないとは、人生損してるぜ? 狸眼鏡」
「奇天烈なものに金を出して食べる精神がわからん」
「結構それで、作った料理もあるぜ?」
「なに?」
桜屋敷の眉がピクリと動く。眉尻が吊り上がり、眉間へ微かに皺を寄せた。批難がましく、南城を横目で見る。「冗談でいっているわけじゃないだろうな?」そう怒りと不満を籠めて訴えかけている。これを見ることなく、南城は腕を組んで胸を張って答えた。
「B級グルメには、得るものが意外と多いぜ?」
「下らん。とにかく、なにか作れんのか。さっさと料理しろ」
「材料がない時点で作れるわけねぇだろ!! ドケチ眼鏡!! というか、男二人には狭すぎる部屋だな」
「お前が筋肉ゴリラな分、余計に狭く感じるだけだろう。ボケが」
「毎回広い部屋を取る癖に、よくいうぜ」
「向こうが広い部屋を寄越してくるんだ。俺が予約しているわけではない」
「へいへい。おっ、これが薫の作品か?」
「触るな。ゴリラ菌が移る」
「俺だって守銭奴菌は移されたくねぇよ。こっちは、って。ゲェッ!! トイレと洗面台が一緒かよ!?」
「バスルームが別にある分、まだマシな方だ。アメリカンセパレートにしたのだろう」
「確かにイタリアで借りた部屋よりかはマシだけどな? あー、クソッ。換気扇を回せば平気か?」
「俺は鍵をかける」
「当たり前だ! 一日だけの滞在にしようぜ。薫」
「しれっと付いてくるなッ!! お前がここを使え」
「はぁ? 一人だけ高いところに泊まろうって魂胆かよ」
「最近だと値上げしたところだ。ド阿呆」
俺の作品によってな、と己の功績を示すかのように、桜屋敷は親指で肩越しに指示する。AI書道家の作品の価値は高い。予約殺到である分、数を絞るべく値上がりが実行された。その分、ルームサービスやアニメティの質も充実する。南城の懐具合を考えれば、充分すぎる質だろう。それを暗に示された南城は「あ?」と視線で恫喝し返す。互いに互い、頬に青筋を立てていた。ヒクヒクと口角を上げて挑発の笑みを作ろうとも、米神に青筋は立つ。一発触発の状態だ。次の一言で決め手になる。
額が突き合うか突き合わないかの絶妙な間が続く。その最中、プイッと桜屋敷が顔を反らした。
袂に腕を入れたまま、二人掛けのソファへ座り直して居住まいを正す。
「俺がホテル代を出してやっているんだ。無料にありつくなら、それに見合う仕事をしろ。ぼんくら」
「お前が強引に俺の予定を合わせさせたんだろうがッ!! 腐れ眼鏡! ったく、素直に俺の飯が食いたいといったらどうなんだ? 屁理屈眼鏡」
「飯」
「お前はそれしかいえないのか」
罵詈雑言の叩き合いも一方的に終わらせ、桜屋敷は用件のみを簡潔に伝える。その強引さに、南城は呆れて言葉も出なかった。ひとまず冷蔵庫の中を確認する。思った通り、最低限のものしかない。塩や胡椒、メジャーなサラダのドレッシングなど。主に購入した惣菜を室内で食べることを想定している。これに頭を抱えた。
桜屋敷が一人分の席に座っているものなので、南城も座る。
急に窮屈になった二人掛けのソファに、仮眠を取った桜屋敷が険を帯びた。
「おい。退け。ゴリラが座るだけで狭くなる」
「だったらベッドに行ったらどうなんだ? ムッツリ眼鏡。ダブルベッドだなんて、洒落たものを選びやがって」
「コロスぞ! あれは俺とカーラ専用のベッドだ。お前は床で寝ていろ!! 淫乱ゴリラ!」
「んだと!? お前が床で寝やがれ!! この陰険眼鏡! シーツくらいは譲ってやる」
「目覚めたらお前の汚いブツを見ながら顔を洗いに行けと? ふざけるなッ!! お前が床で寝ていた方が建設的だ」
「どこがだッ!! だったらカーラはどこに寝るんだよ!? どこに!」
「ベッドに決まっているだろうがッ! ド阿呆!! カーラ」
『マスターの伝手であれば、布団をもう一つ借りることは可能です』
「えっ」
「そこで一緒に寝ようか。カーラ」
「おい!! そこは俺の分になるところだろ!? 卑怯眼鏡!」
「地べたで寝ろ!」
「このクソ眼鏡!!」
血管が破裂して返した桜屋敷に、南城もブチ切れて返す。だったら、なんのために俺を呼んだんだ!? と南城が切れながら問い詰める。それは飯のためだ、ド阿呆! 桜屋敷が激怒の状態を継続しながら言い切った。ここで南城の目尻に涙が溜まる。「この腐れ眼鏡!」噛みつく南城に「あ!?」と桜屋敷がキレて返した。
「他に理由なんてあるかッ!」
「あるだろ!! もっと、こう、なぁ! 俺はお前の召使じゃないんだぞ!?」
「当然だ。お前みたいなゴリラを雇った覚えはない」
「あのな。いわれたらいわれたで腹立つな。コイツ」
「聞こえてるぞ。馬鹿ゴリラ」
「聞こえるようにいってやったんだよ。阿呆眼鏡」
「なんだと!?」
「やるか!?」
「受けて立とう」
ピキピキと血管が浮き上がると同時に、桜屋敷が南城の襟首を掴む。グイッと南城の頭部が引き寄せられた。(えっ)一瞬だけ、南城の胸がときめく。(期待していいのか? いいのか!?)疑心暗鬼にも陥る。心を落ち着けて準備をし、目を瞑ることコンマ一秒。乱暴なキスだろうと待ち構えた南城は、額に強烈な痛みを感じた。桜屋敷印の頭突きである。数々の不良や警官をノックアウトさせた石頭の強度は硬い。「いっ」南城が痛みで仰け反る。「ってぇええ!!」脳震盪を起こす激痛の箇所を両手で押さえて、叫んだ。この様子に、攻撃を加えた桜屋敷は鼻を鳴らす。フンッ、と。腰に手を当てて、満足そうに胸を張った。
「油断大敵だ。阿呆」
「こっ、んなところで頭突きする馬鹿がいるか!? この卑怯眼鏡!」
「あ!? 口で解決しないのならば、力で訴えた方が早いというだろう。馬鹿が」
「暴力に訴えるんじゃねーよ。スカタン。ったく、楽しみにしてたのになぁ」
「スケートがか?」
拗ねて上半身ごと顔を反らした南城に、ピクリと反応する。背後で声をかける桜屋敷の反応に嫌々ながら気を良くしつつ、南城は答えた。
「それもあるがな」
ソファの肘掛けに頬杖を衝いたまま、苦々しく答える。珍しく俺の機嫌に反応した、だとか、俺のことが気にかかったのか、ということに断じて嬉しく思ったわけではない。脳の誤認識だ。だからといって、お前と過ごす時間を楽しみにしていたとは、口が裂けてもいえない。いうにしても、このタイミングはないだろう。それにいったとしても、次に拒絶を示す言動を桜屋敷がするに決まっている。例え拒絶でなくとも、否定は確実だ。
冷静に分析をした南城は、口を閉じる。
貝のように口を閉ざした南城に、桜屋敷は疑問を感じた。「おい」肩を揺すっても振り向かない。「おい」拳で肩を叩いてみても、南城は顔を見せようとしながった。拳の底で叩かれても、ギュッと眉に皺を寄せるだけだ。この強情さに、桜屋敷も眉に皺を寄せる。「おい」「この馬鹿ゴリラ」「おい」「なにかいったらどうだ」「タラシゴリラ」「阿呆」「筋肉ゴリラ」段々と悪態だけが連なる。自分へ意識を向けたいがために突っかかる様子に、南城は既視感を覚えた。小学生の頃の思い出である。
あの頃は、他に友人ができても南城が一人のときに突っかかってきた。桜屋敷も南城も、それぞれ交友関係を築いていたのである。それでも、このように犬猿の仲で言い合える者は、やはりお互いにしかいなかった。だからといって、安易に〈友人〉と定義するには腹立たしい。百歩譲って〈幼馴染〉それだけだ。〈幼馴染〉としか形容はできない。それとどこに行っても鉢合わせることが多いので〈腐れ縁〉も候補に入るか。
ムスッと気を紛らわせるために、南城は別のことを考える。
そっぽを向かれて、無視が続いたことに腹が立ったのか。桜屋敷の目尻が今まで以上に吊り上がった。あからさまに機嫌が悪くなる。『マスターの機嫌が最悪です』カーラが警告を出しても、南城は聞く耳を持たない。(そりゃそうだろ)相手にしなかった。まともに警告を受け取らない。
その結果が、これだ。
二度も襟首を掴まれ、また頭突きだろうと油断する。額に激痛は来ない。代わりに唇へ柔らかい感触だ。これ以上接近するつもりはないのか、歯が衝突する痛みや音もない。南城は目を丸くする。キョトンとした幼馴染を見つつ、桜屋敷は離れた。
「飯を早く作れ。俺を餓死させるつもりか」
その減らず口に、南城の意識が戻る。ピクピクと眉間と口角が痙攣した。
「人にキスをしておいて、いうことがそれか? 腐れ眼鏡」
「なんの話だ? とにかく、出した金の分は働いてもらうぞ。金欠ゴリラ」
「黙れ。守銭奴眼鏡」
これ以上は埒が明かない。南城は桜屋敷との会話を早々に切り上げて、部屋を出ようとした。その際に、踵を返す。「材料費」「領収書を貰ってこい」「少しは気前の良さを見せろよな。ドケチ眼鏡」文句だけを言い捨てて、南城は部屋を出る。財布はポケットに入れっ放しだ。なけなしの金で、どこまで買えるのか? それは近所のスーパーがコンビニに依る。
一人、桜屋敷が部屋に残される。留守番だ。一人の時間となる。南城がいない間、カーラの手入れと会話で充実な時間を過ごした。これに南城が目くじらを立てることとなるのは、また別の話である。