ハロウィン・ナース
ハロウィン合わせの納品で思いつく。思い至ったが吉日、桜屋敷は行動に移した。(〝Happy Halloween〟を達筆で送るなら、俺の元に一度届けた方がいいだろう)行動力と決断力が高いことに加えて、計画的に段取りを組み立てることができる。ボタン一つで便利な世の中だ。嫌がらせを兼ねた悪戯の品を注文し終え、仕事に取り掛かる。選んだ品は褐色の筋肉質な巨体には窮屈であるものの、金でオーダーを取った内容とは真逆のものだ。器用に逆説から閃きと印象を深層意識から取り寄せ、納品できる形に仕上げていく。カーラのアシストで依頼人と交渉する手間も省ける。本日は〝S〟へ行く日だ。仕事に一区切り付けると、桜屋敷は最愛の人工知能が担うボードの整備に移った。ふと思い出す。注文した品はどうだったか、と。繁忙に追われた脳から朧気とした記憶を手繰り寄せ、ここ数日の出来事を思い出す。うっすらと〝Happy Halloween〟と墨で書いた覚えがあった。紛う事なき達筆である。虎次郎にやるものだ。隙間時間に作ったものでも間に合える。そう判断して仕事の合間に行い、買い出しのついでに発送をしていた。息をするように虎次郎の住所を書く。思い出して初めて、桜屋敷はそのことに気付いた。
〝S〟当日。桜屋敷が悠々と滑っていると、南城が気付いてやってきた。女に囲まれて上機嫌だったことから一転して、不機嫌になる。予想通りだ。桜屋敷は内心でほくそ笑む。目元からわかる自信満々な態度に、南城は腹を立った。互いの態度が油に火を注ぐ。目尻を吊り上げた南城は、桜屋敷に突っかかった。
「この陰険眼鏡。ありゃぁ、どういう了見だ!?」
「邪魔だ。脳筋ゴリラッ!! そのままの意味だ」
「なっ!?」
肩で小突く南城に、桜屋敷が全力と全体重を乗せて小突き返す。だが、南城がたじろいだのはそれによるものではなさそうだ。桜屋敷の肩や肘が筋肉質な褐色の腕に痛みを与えたあとに、南城のバランスが微かに崩れる。痛みであるならば、桜屋敷の攻撃が入ったと同時に起こるものだ。そのタイミングのズレを見ても、別のものに要因があると見てもいいだろう。
夜のクレイジーロックが照らす橙色と肌の色が重なり、頬に上った熱は見えない。蜂蜜色の瞳は鋭く射抜く。チョコレート色の瞳は動揺する。真偽を確かめようにも、桜屋敷は絶対的な自信しかない。その揺るぎなさに、南城は折れた。呆れたように目を伏せる。
「正気かよ」
「息抜きだ」
桜屋敷は送り付けるだけで満足するが、南城はその先がある。疑いなく断定するときに追及しても、桜屋敷は望む答えを口にしない。「なんだ。その目は」容赦なく怒りをぶつけてくる。「自分で考えろ」あの日幼いあの頃のように、南城は口にする。ついでに肘で桜屋敷の身体を小突いた。倍返しといわんばかりのタックルが返ってくる。それで倒れて道連れにし、いつもの小競り合いが起きたが、いつもと異なるところが一つだけあった。
──「絶対当日空けておけよ!!」
喧嘩の啖呵の延長で出てきた本音である。それに桜屋敷は目を小さくしたが、相手がここまでいうことだ。なにか考えがあってのことだろうし、敢えて乗るのも一興だ。(ビーフか)スケートでぶつかり合うこともある。そのときは買い言葉に売り言葉ということで反射的に「受けて立とう」との言葉は出たが、ここまで冷静に思い至ることはできなかった。
この結果が、今である。自分が送り付けたものを着る南城に、桜屋敷はポカンとする。開いた口が塞がらない。「俺の家に来い」場所を指定するものだから、さぞかし店では出せない料理なのだろう。試食の注文ならば、受けてやらんこともない。桜屋敷は腹を空かせ、シェフの一品が出ることを待つ。(早いな)暫くして出てきたのが、これである。桜屋敷の手から、広げた扇子が落ちた。南城はこの反応に、居た堪れない。
「てめっ! 送り付けてきた癖にその反応かよ!?」
「はぁ!? お前のそんな姿を見たくて送り付けたわけじゃない!!」
「嘘つけッ! だったら、んなサイズなんてあるわけねぇだろ!?」
「たまたま調べたら、見つかったんだ!」
「だからって注文する馬鹿がいるか!? 普通!!」
堰を切ったように相手を互いに罵倒し合うが、状況が状況だ。南城は桜屋敷が送り付けたものを着ている。桜屋敷は南城が面白半分に身に付けるか怒りで叩き返すかしか想定していない。互いに、最初からすれ違っていたのである。
──ピンク色のナース服は悲鳴を上げそうなほど窮屈であり、今にもはちきれてしまいそうだ。短い丈のスカートも、素材が素材だ。筋肉隆々であることを示す太い溝が生まれる。南城は、こうした手合いの服を着た女の相手に慣れていた。普段と異なる刺激を求めてのことだろう。ナンパに応じたついでにそれも楽しむ。一石二鳥だ。その経験から、桜屋敷の要求はこういうことだろうと先読みしていた。
一方、桜屋敷はそうした手合いの相手は避けている。例え女と付き合ったとしても、付き合った期間は短い。情のある人間への対応をおざなりにする傾向があるからだ。こうした遊びをするまでの関係性を築いた覚えはない。あったとしても、そうした遊びに付き合う気は起きなかった──。
全てがミステイクである。
噛み合わないものであるから、情事に発展するもの全てが噛み付く対象となる。
「普通着るか!? 返品するのが常識だろう。馬鹿ゴリラが」
「着払いじゃ割に合わねぇんだよ。クソ眼鏡!! お前の趣味じゃねぇのかよ!? お前の趣味じゃぁ!」
「知るかッ!! そもそもお前に着る趣味が、あぁ、そういう趣味があったのか」
「んなわけあるかッ! あるとしたらお前の方だろ。陰険眼鏡!! お前だったらやりそうだもんな!!」
「なんでナースものになるんだ!? ド阿呆ッ!! お前の方が好きだろ」
「白衣の天使に夢見すぎだろ。この童貞眼鏡!」
「誰が童貞かッ!」
「お前だろ!!」
「ぬかせ! 俺はとっくのとうに卒業している」
「こんなもん、他人に送り付けている時点で童貞だろ。俺じゃなかったら、とっくに別れを切り出されているところだぞ」
「そういう趣味は俺にはない」
「お前の態度に文句いっているんだ! こっちはッ!!」
「はぁ? お前。それ、今さらだろ」
「そっちじゃねぇんだよ」
心底呆れ返り誤解を続ける桜屋敷に、南城は青筋を立てる。桜屋敷の口角が下がれば、怒りで南城の口角が上がる。頬に青筋を立てた。ガツンと額に頭突きを喰らわせる。そのゼロ距離で話を続けた。
「そっちだろ」
桜屋敷の眉が鋭く吊り上がり、白い頬に青筋を立たせる。負けじと押し返し、額に摩擦熱が生まれた。
「そっちじゃない」
南城も負けじと押し返す。桜屋敷が目尻を針山のように吊り上げた。
「そっちだ!!」
「じゃねぇってつってんだろ!! エロ眼鏡!」
「誰がエロ眼鏡だ!?」
「お前がだ! すかたん!!」
「発情ゴリラがなにをいう!? 冷静に考えて、着る馬鹿がいるか。阿呆が」
ツンッと顔を背かれて、冷たくあしらわれる。「お前のせいだよ!!」南城は今にも叫び出したい。桜屋敷がこのようなものを送ったせいで、自分はこのようなものを着る破目になったのだ、と。事態の責任を全て押し付けたかった。だがこの便利な言葉の反面には、以下の許せない事実の側面がある。「そこまで勘違いするほどお前に惚れているからだ」の演繹に結び付けられる恐れがある。この手を用いるテクノロジーに長けた桜屋敷のことだ。簡単に逆説的に認めたくない事実を日の目に曝け出す恐れがある。──汚い人間のように、桜屋敷は弱味を使って南城を脅すことはしない──それでも、弱味は握られたくないとの意地はある。怒りか羞恥心か悔しさか。顔を真っ赤にした南城は目を逸らす。伏せた瞼を濡らす涙と覗いた瞳に浮かぶ屈辱感とで、ぐらりと桜屋敷の軸がブレる。変なスイッチが入った。
「やるか」
「はぁっ!?」
「せっかくだ。相手してやろう」
「何様のつもりだ。守銭奴眼鏡ッ!! 相手してほしけりゃ、土下座でもしやがれ!」
「誰が土下座などするかッ!! 熱で浮かされてもない限り、誰が着るか」
「性欲に関しちゃ、お前も人のこといえねぇだろうが。送り付ける趣味が悪ぃんだよ。陰険眼鏡」
「裸で生活するゴリラにはお似合いの品だろう」
「嫌がらせなんだよ! 普通に服着るわッ!」
「全裸で寝る原始人がなにをいう」
「外では全裸で寝ねぇよ!! んっ」
「触った瞬間硬くなった」
「解説すんなッ!! 陰険眼鏡!」
「それで興奮する変態ゴリラがいう台詞か?」
「変態なのは、ぅ、そっち、だッ! んっ」
合間合間に甘ったるい声が漏れる。桜屋敷の白く細長い指がピンク色の布地を這い、目立つ蕾を強く抓む。花開かない柔らかい花弁が無残にも散らない代わりに、南城の太い腰が跳ねる。簡単に押し倒されたくせに、跳ね上がる力だけは強い。桜屋敷の身体を押し退けかけた。しかし、その分行為に対する抵抗だけはないことを示している。棚から牡丹餅、古い諺が桜屋敷の頭に反復する。残念なことに、組み伏せられている相手は牡丹餅を始めとする餡子の類が大の嫌いだ。スカートに手を潜ませ、裸の臀部を掴む。下着のラインが布地から出ない理由は、布地が狭いものを身に付けていたからであった。汗とは異なる粘り気が、桜屋敷の手を濡らす。「準備万端だな」耳元で挑発する声に、南城は顔を反らす。「準備してきた分の責任を取りやがれ!」この用意した買い言葉は、今では急所を晒す一撃となった。文句を噛み締める。
形だけの抵抗を示す幼馴染に良い気になり、桜屋敷はたっぷりと味わった。