ほろよい気分
南城虎次郎とて、ほどほどにアンテナは張る。店を閉めたあと、SNSで話題になっている商品をチェックする。メーカーの出す飲食物は侮れない。それが客層の好みにも繋がっているからだ。日々客を飽きさせないよう味やメニューの改良に努める南城にとって、見逃せない情報だった。コンビニに寄り、数点カゴに入れる。白ワインのことだ。例え炭酸でスパークリングに近付けようとも、白ワインの特色はある。手持ちと相談して、魚はスナックに。チーズは六ピースのものにする。たった片手で数えられるほどの缶の数だ。もう一つ購入し、こちらは高いバニラアイスと合わせることにした。〝S〟でのファンが、それが合うのだと南城に教えたのである。手持ちの金はギリギリだ。それらを購入せしめて、残額数十円。もう缶ジュースの一本すら買えない。買えたとしても、小さい駄菓子の一つくらいだ。購入せしめたものを携えて、目的地に着く。南城の到来を待ち構えていたのだろう。鍵は開いていた。男所帯である上に見知った顔だ。適当に靴を脱ぎ捨てる。リビングに入り、買ったものを広げる。「来い」としか呼び出されていない限り、どうしようもない。呼び出し人が来るまで、南城は一人流行りを口にし出した。
プルタブを捻る。白ワインサイダーと命じてる癖に、蓋を開けばキツイアルコールの香りだ。ビールを思わせる。まだ丁重に保管した瓶の方が味がいい。量辺りの値段が同じでも、樽から瓶に流した方が、よっぽどだ。同じ値段だろうが、醸造所の違いが顕著に出た。同じ炭酸で割るにしても、自分でやる方がよっぽどマシだ──新作を思いつく。期間限定で夜の時間帯に一つ増やしてみるか、と新たな試みを考える。口休めにいわしのスナックとやらを開けば、こちらがよほど美味い。日本人の口によく合う。白ワインのつまみに選んだが、これは日本酒でも合う。南城はもう一つまみする。良いつまみだ。感心し、メーカーの名前を調べる。合点がいった。味にうるさいメーカーにつまみを提供する製造所が出す商品だった。いわしの味とイタリアンとの相性を考える。
(こいつは砂糖と醤油が決め手になっている。メインディッシュに砂糖を基本使わないイタリア料理を考えれば、安易に持ち込むのは危険だな。ただ日本人の舌に合う)
イタリアの地より来る舌が食べたとして、日本の店だからという理由で問題にしないだろう。だが〈イタリア料理専門店〉と掲げる身分としてはどうだ? 無碍にしていい問題ではない。次の酒を開ける。こちらは噂通りだ。とても飲みやすい。女性にとって飲みやすい味であり、甘すぎるものが苦手な南城でも、まだ飲める。ディナーの時間帯に酒を飲む女性客を想定する分としては、こちらの酒に合うもので考えた方が早いか。
既存のものを使い、新作を考える。いわしのスナックを楽しんでいたら、呼び出し人が現れた。
「良いご身分だな」
不作なのであろう。身なりを整えていない桜屋敷が現れる。書道教室のときには【AI書道家桜屋敷薫】としての身なりは整えているとはいえ、切羽詰まったときにはこのような格好となる。不愉快な視線をぶつける桜屋敷に、南城は良作をつまみながら返した。
「お前が呼んだんだろ。で、どうした。夜食でも作ってほしいのか?」
「阿呆かッ! 用件は一つしかないだろ」
「俺はお前のセフレじゃねぇぞ。って、食うなよ」
「似たようなもんだろ。そこに置いてある方が悪い」
いわしのスナックは頭の封が横いっぱいに開かれている。少し向きを変えれば、すぐに他者の侵入が容易くなった。南城が少ない手持ちで買ったスナックを、一齧りする。味の旨さに気付くと小さな瞳を大きくして、カリカリと食べ進めた。
「んっ、意外と旨いな」
「和食の気分か?」
「まぁ、仕事が終わったら食べたくなる。かもしれんな」
『DHA、カルシウム、EPA含有量含めて、現在のマスターにピッタリの間食です』
「相変わらず便利だな。そいつ」
「カーラだ。どこで買ってきた」
「近くのコンビニ」
「お前の店と俺の書庵とでは、いくつかあるだろ」
「俺んところだな」
そこで数軒かに絞られる。カーラの計算によると、一口にコンビニといっても仕入れる商品は異なる。その販売圏内に合わせて品揃えを変えているからだ。この場合、南城の行動パターンから割り出した方が早い。『一件の候補が出ました』愛しい人工知能が優秀さを見せた。「ん」桜屋敷は一つ頷く。いわしのDHAを食べたとしても、中々不作から抜け出せそうにない。
「この酒、薫でも飲めそうだぜ」
「俺は缶で飲む趣味はない」
「あってもビール、ってか?」
「缶類は外れがデカい」
「さっき飲んだヤツだと、瓶とも変わらなかったぜ」
「は?」
桜屋敷の視線が、南城の手にある缶に向く。缶のパッケージデザインからして、カクテルだろう。ビールと続けばワインだ。テーブルの端に目を向ければ、空の缶がある。
「帰るときに洗って捨てておけよ」
「細かいんだよ。重箱の隅ピンク」
「それか持って帰れ」
「書道家先生のイメージが下がるからか?」
揶揄い半分で聞けば、真面目な返答が返る。
「そうだ。俺は酒を飲まないイメージがあるからな」
「よくいうぜ」
「仕事で飲む酒は問題外だ。ド阿呆」
「いつも飲んでんだろ。俺の店が終わったときに」
「あれは別腹だ。それに見られてないからな」
要はゴミ出しの日に酒の類があると困るという。「俺はいいのかよ」「ゴリラは問題ないだろう」「おい」桜屋敷は仕事上、パパラッチの目に留まることもある。少しでも弱味になるようなことはビジネス上見せたくないということか。
「はぁ、仕方ねぇなぁ。洗って持ち帰ってやるよ」
「当然だろう。それにしても、美味いな」
「少しは残しとけ!」
「自業自得だ。んっ、もうなくなったな」
「俺はちょっとしか食べてねぇんだぞ。クソドケチ。お前んとこの冷蔵庫に、なにかないのか?」
「あぁ、あるにはあったな」
「あるのかよ」
桜屋敷書庵に、食品が入っている印象はない。なにせ、ビジネスの場だ。ときに作品を作る場でもあり、営業にも用い、書道教室も展開する。そこで暮らしに直結する食品が入っているとは、考えにくい。しかも桜屋敷は自炊をほぼしない。したとしても、一食限りである。簡単で、作り置きを視野に入れたものなどではない。もし桜屋敷の生活にあったとして、それは南城が作ったものだ。南城の置き土産以外にありはしない。
書庵の冷凍室の扉が開いた。
「それは?」
「生徒を預かったお礼にだと」
「へぇ。高そうなアイスじゃないか」
「コンビニに行けば買えるような代物がか?」
口では悪く伝えているとはいえ、内心では満更でもない。例えコンビニにあろうが、一つ辺り三百辺りはする。それが数個詰め合わせの箱だ。仕事の息抜きで食べるにせよ、消費するハードルは低い。──有名な書道家先生に対する返礼として低すぎるという声もあるが、桜屋敷は若い。ご高齢な老齢と一緒に纏める方が無理な話だ──。アイスの蓋を開ける。元の場所に座り、スプーンで乳白色の滑らかなクリームを掬い取った。品質が高いだけある。ミルクと砂糖、卵のシンプルさにこだわりを詰めた美味しさを、バニラのエッセンスが後押しする。疲れた脳にはちょうどいい。
高い間食を堪能する桜屋敷の一方で、南城は缶の酒を飲む。乳製品は酒のつまみにちょうどいい。パフェと酒の組み合わせもあるくらいだ。生憎手元には、六ピースのチーズしかない。スピリッツ、ラム、檸檬と蜂蜜を合わせたカクテルを飲む。一ピースのチーズを食べるが、中々に物足りない。目の前で高いアイスを食われると、なおさらだ。
「なぁ、薫。一口くれね?」
「物乞いか。ゴリラも地に堕ちたな」
「こちとら食い意地汚い眼鏡のせいで、つまみがねぇんだよ!!」
「あるだろ。チーズ」
「いわしと比べたら役不足だ」
「だったら俺にも寄越せ。等価交換だ」
「飲み差しをか?」
南城は手元の酒を揺らす。生憎、同種の缶の酒は一本しかない。南城の飲んでいるものしかなかった。この条件に、桜屋敷は苦々しい顔をする。
「断る」
「だろうな」
「しかし、合うのか? それにアイスなんて」
「合うだろ。女をターゲットにした酒だぜ? 視野に入れてるだろ」
「余計に甘く感じないか」
「食べ合わせによる」
ハッキリ断言する。桜屋敷は視線で相槌を打ち、南城はもう一口飲んだ。徳利一本で前後不覚にならないものの、回るアルコールで身体が軽く感じる。全身の筋肉がリラックスしたといってもいい。脳も緊張を司る部位が鈍り、精神的な機嫌も良くなる。「なぁ、薫」口も軽くなった。
「バニラは平気なんだな」
二度も念を押すかのような口振りに、桜屋敷の機嫌が悪くなる。
「あ?」
声を荒げて聞き返した。南城は飲み差しの缶を五本の指で上から掴み、先に空になったゴミを空き袋に纏める。空の缶はそのままだ。中身が残る酒を天井に吊るすかのように持ち運び、隣に座る。
遺伝子が定めた筋量の差は酷だ。南城が隣に迫っただけで、途端に窮屈に感じる。「狭い」桜屋敷は忌々しく、邪険に扱うばかりに口にする。それを意に介さず、南城は距離を詰めた。
「なぁ、薫。しようぜ。しよう」
「近付くなッ! お前、酔ってるだろ」
「酔ってねぇよ。このくらいの酒で」
「だったら近付くな。素面だとこんなことしないだろ」
「素面でもしちゃいけねぇって?」
「絡み酒か? 俺は酔っ払いの相手をするつもりはない」
「酒を飲んだ人間の相手はするのにか?」
「あれは大口の客だからだ。ド阿呆。それに、お前のように絡んだりはしてこない」
「リップサービスは使ってただろ」
「あれはビジネスだ。ド阿呆」
何度も桜屋敷は同じ悪態を口にする。他者の話題に桜屋敷が乗っかった時点で、南城は距離を取った。テーブルに肘を衝き、缶に残る酒を見る。片手で頭部を支えながら、横目で桜屋敷を見た。
「お前とそんな関係になることは、露ほども考えてない」
「なってるだろ」
「仕事の話だ。ボケナス」
「だったら」
南城は切り出す。
「もしお前が俺に仕事の話を持ち込んだら、どうなるってんだ?」
「お前に支払えるわけないだろう。ダボが。億単位から受け付けてやる」
「この腹黒狸め」
「それに」
桜屋敷は南城の手にある缶に目を滑らす。
「金を介した話はしたくない」
酔っ払いの酒気に当てられてか。桜屋敷は柄にもないことをいう。その神妙な口振りに、南城の意識に穴が空いた。酔いがほんの少しだけ脳から消え去り、代わりに空白が意識と時間を埋める。思考が戻る頃には、飲んだ酒の酒気が纏わりついていた。「それって」たかが度数が一桁であろうと、それは百ミリリットル辺りの量だ。それが三倍四倍と膨れ上がれば、日本酒やワインの度数に匹敵する。ワイングラスに注いだ量とて、表示した度数を血中に溶かすか否かだ。徳利の中身をじわじわ飲むこととワケが違う。
酔い冷ましに、一口酒を飲む。ニヤリ、悪戯小僧のように笑った。
「ロボキチの癖にロマンチストだな」
「お前。人の話を聞いていたか?」
「見た目より行き詰まってることならな」
「黙れ。お前を呼んで間違いだったな」
「息抜きにはなっただろ。こういうのに必要だって聞いたぜ?」
「糖分がな」
冷たくあしらうように断言する。頬杖を衝いた南城は、テーブルに身体を預け、正面を桜屋敷に向けている。厚い唇は柔らかく緩み、大きな瞳はマシュマロのように溶けていた。明らかに相手の警戒を緩め、懐へ引き寄せる顔だ。罠にかかる獲物を待つともいう。この顔で何人もの女が落ちたか。想像に容易い。数を数え上げることも愚の極みだ。桜屋敷はスプーンでアイスを掬う。口に入れ、濃厚なバニラが舌で溶ける感覚を味わった。目的は脳に糖分を補給することではない。
「しないのか? そういうつもりで呼んだんだろ」
「酔っ払いの相手をするつもりはない。面倒だからな」
「よくいうぜ。屁理屈眼鏡」
「自分の胸に手を置いて考えてみろ」
相手にしない桜屋敷の手を掴み、南城は自分の胸元へ引き寄せる。「離せ」鋭く威圧する棘が言葉を発する前に、南城の左胸に桜屋敷の手が衝いた。手の平越しに、普段より早い動悸を感じる。
「もうこんなになっちまってるんだぜ?」
「女を口説く手段が通じるとでも思っているのか?」
「思ってない」
「なら無駄なことだな」
「無駄でも足掻いてんだよ」
じゃなきゃわからないだろう、と距離を詰める。急に顔を覗き込んだ南城に、桜屋敷はビックリした。肩が跳ね、唇をキュッと引き締め、目を小さくする。目尻が張り裂けんばかりに目を見開いた。ここで訪れる冗談めかした笑いは来ない。南城は酒気に蕩けた顔でいう。
「なぁ」
「女だったら落ちただろうな」
「そーだな、クソ眼鏡。このまま帰すつもりか?」
「そのつもりはない」
引き寄せた魚を容易く逃すつもりかと聞けば、否定の断定が返ってくる。それに南城はニヤリと笑った。今度は悪戯小僧めいたものではない。手をこまねき待った罠に、ようやく獲物が掛かったときに見せる笑みだ。これに桜屋敷はムッと眉を吊り上げる。ニヤニヤ笑う南城の立場を劣勢に陥れようとした。
「お前が下だからな」
「それでいーぜ。って」
話に乗った桜屋敷に下から近付けば、矛盾に気付く。南城は呆れた目で近付く桜屋敷を見た。
「いつもと変わらねぇだろ」
「そうだが?」
「開き直るなよ」
悪びれもない態度に噛みつきつつも、倒す力には素直に従う。桜屋敷が覆い被さる。酒が抜け始めた。アルコールが鈍い痛みを与える前に、身を引く。準備が整っていなかった。「あ、わりぃ」謝る南城にムッとしつつも、桜屋敷は準備が整うまで待つ。その間に、窮状を打開する案が閃いた。善は急げ、桜屋敷は仕事に向かう。
抱くどころの話ではない。仕事場に籠った桜屋敷を見て、南城は頭を抱えた。やり場のない思いとやるせなさが胸に残る。
結局、お預けを喰らったのであった。