いちゃいちゃ
「かーおる、愛してるぜ」
上機嫌に虎次郎が薫に絡みつく。それが鬱陶しくて、薫は褐色の手を叩いた。それでも離れようとしない。虎次郎はスキンシップを好み、薫は好まない。嫌がれば嫌がるほど密着してくる。半ば嫌がらせも入っている。薫は虎次郎を睨みつけた。
「鬱陶しいぞ。酔っ払い」
「酔ってねぇ。素面だ」
「ますます性質が悪いわッ!! お前に構う暇はない」
「そんなこといって、気になる癖に」
「誰がだ!?」
薫は激怒する。浮かべた青筋が二つに増えた。虎次郎はニヤニヤ笑う。時に、突拍子もなく、このように絡んでくることもある。これ以上抵抗すると、相手の思うツボだ。離そうとすればするほど、虎次郎がくっ付く。どちらに転んでも面白くない。腹立たしい。薫は腕を組んで、虎次郎から顔を背けた。そっぽを向く。
「はぁ、なにかあったのか?」
「聞きたいか?」
「聞きたくない」
「そんなことをいって。本当は聞きたいんだろう?」
「誰が自意識過剰ゴリラについて聞くかッ! 俺には関係ないことだ」
「お前に関係あることだとしたら?」
「なに?」
「ちょっと耳を貸せ」
「チッ! 仕方ないな」
苛立たしく舌打ちをし、虎次郎に耳を傾ける。長い髪を耳にかけ、隠れていた聴覚器官を露わにする。その白い耳に近付き、虎次郎はカプッと噛み付こうとした。その事前告知としいて、ふぅと息を吹きかける。瞬間、薫がブチ切れた。怒りで顔に熱を灯し、目尻を鋭く吊り上げる。虎次郎の顎を掌底で押し退け、指で唇を塞いだ。一気に距離を遠ざける。
「なにをしているんだ! 色ボケゴリラ!!」
激怒する薫に笑いつつ、虎次郎は自分を押し退ける白い手を包む。小さく目を伏せ、チュッと手の平にキスを落とした。ヒクッと薫の口角が引き攣る。薫が対面するこの男は、人の話を聞かなかった。
キスをされた手をスライドし、虎次郎の首を掴む。太い、が人間の急所に変わらない。怒る手が太い血管を圧迫したが、目的はそこでない。虎次郎の顎を粉砕するといわんばかりに掴み、無理矢理顎を上げさせる。強制的に薫を見下ろす形となった。薫の怒りは治まらない。憤怒で顔を真っ赤にさせ、視線で虎次郎に噛みついた。例えお前が俺を見下ろそうとも、俺がお前に負けることはない。勝つのは俺だ。とでもいうかのように、虎次郎に噛みつく。首に小さな圧迫と痛みが走った。
「いっ、てぇよ」
「フンッ。俺に理由もなく絡むからだ。わかったか、脳筋ゴリラ」
「チッ。理由もなく絡んだらいけないのかよ。ドケチ眼鏡!」
「当然だ! 俺はお前のように安売りをする趣味はない。これ以上俺に絡みたいのであれば、金を払うんだな。ここから先は有料だ」
「俺のはサービスなんだよ。陰険眼鏡。それと、なんで払う必要があるんだよ!? 逆だろ。お前が、俺に払うべきだ」
「はぁ?」
「お前が俺の店に来て、今までただ飯ただ酒してきた分」
「あれは賄い飯であり、酒に関してはお前が個人的にストックしていた分を頂いていた。なにも問題はない」
「あるわ! あれは店の分で、お前のためにわざわざストックした分じゃない!! 勝手に店の物を飲んでるんだぞ。お前」
「だったら店に俺の飲む分を置くな」
「お前が俺の店に来るからだろ。話を誤魔化すんじゃねぇよ。卑怯眼鏡!」
「俺は正論を述べたまでだ。馬鹿が。俺だって酒を持ってきているだろう」
「滅多にないことだがなッ!! だから金払うとかの話じゃねーよ」
「なんだ。キスしてほしいのか」
「どこをどうしたらそうなる。腐れ眼鏡ッ! 俺がいっているのはだな」
既出の本筋に戻ろうとする虎次郎の襟首を、薫が掴む。服で虎次郎の首が引っ張られる。今抵抗しては、服を破いてしまう恐れがあった。自身の服の安全のために無抵抗で任せていれば、薫が顔を近付ける。望み通りの感触が唇に落ちたが、そうではない。虎次郎の望む雰囲気ではなかった。最初の愛を伝えた状態からのキスが一番望ましかった。自分が絡んだので、勿論自分から仕掛けることが筋が通るだろう。だというのに、この男は勝手に自分のペースへ引き摺って仕掛けてきた。これがちょっと気に食わない。けれども薫が仕掛けてきたものだから、いいかと思う。
普段は与える立場だが、与えられる立場ほどの幸福感は比べ物にならない。どちらの幸福も、比べられるほどの同質性や類似性は持たない。そのような理屈を抜きにして、やはり自分が仕掛けたときよりも、薫が仕掛けてきた方の幸福が勝る。
「なぁ、かおるー」
間延びした口調で、虎次郎が甘える。自分の襟首を掴み始めた虎次郎の手付きに、薫がイラッとした。青筋が復活する。
「もう少ししようぜ? なぁ、いいだろ?」
「お前が女役だったらな」
女みたいなことをしやがって、と皮肉を籠めて返す。不快感で苛立つ薫の視線と声を目の当たりにして、パチッと虎次郎が目を開いた。女に対して甘える蜂蜜のように甘い顔は、どこにもない。
「いいぜ」
南城虎次郎その者の顔である。自分の性別である男の顔に戻り、偽りなく告げる。女に対して甘い声で話を弾ませるわけでもなく、女ならば誰でも好む軟派な性分からではない。幼い頃から見続けた顔が、成人して大人になった顔だ。「なら、いいだろう」と薫の顔が告げる。無言で押し倒した。薫は嫌がるものの、ベタベタとくっ付いて甘い言葉は囁きたい。それで嫌そうに薫が反応する様子も楽しい。昔と変わらないなと思う。殺気立てるほど気に食わないというのに、それでも話を聞いてやろうとする姿勢が、なんか愛おしい。愛情という類というより、精神が未熟な少年が衝動的に敵対行動を取ることへの可愛らしさを感じることと似ている。だが、向こうは自分と同じ成人して、大人になった男だ。未熟な少年の部分は昔から変わらない性根の部分として存在しているだけで、他は色々と変わった。弄る手に小さく声を漏らす。噛んでくるのは愛着行動の一つか。小さく走る痛みでさえ、脳はポジティブな電気信号を送る。快楽が走った。少しは驚かせてやろうか。掠るようにキスをする。
「なんだ」
情事に耽る目が開き、腰が止まった。「別に」虎次郎が肩で息を整えつついう。
「やられっ放しじゃ、気に食わないんでな」
「ほう」
余裕のある態度に薫は目を細める。微笑みからではない。不満と不服からだ。もう少し本気を出し、主導権を握り締める。腕の中で虎次郎が喘ぐ。顔を反らしつつも、隠そうとしつつも、声を隠しきれていない。そこで下腹部が熱くなる。もう少し、もう少しこちらに優位性があることを示しつけてやろう、と腰を動かす。性欲と支配欲は紙一重だ。虎次郎が繋がりと交流を求めて接触をかければ、薫は喧嘩の延長で応じる。肩を噛んだ。虎次郎の腰が跳ねる。それを自身の身体で押さえつけて、腰を動かす。二十キログラムの差は、骨だけではない。肉体が持つ筋肉の量も、体重の差に見せつけた。脊髄反射にこそ、全身の筋肉が発する力が反射的に出る。白い身体が強引に押さえつけ、反動を利用して体勢を変えさせる。手取り足取り、無意識に利用した。一番弱いところをグリッと強く責める。虎次郎が一際高く鳴いた。畳が汚れる。布団で崩れ落ちる。
クリーニング代で一悶着起こるのは、暫くしてからのことであった。