賢いウサギと料理人
意外とウサギは実物より頑なに意地を張らない。南城が世話を焼いて注意をすれば、鋭い目付きをキッと上げて睨みつける。それだけだ。〝C〟マークの付いた人参のぬいぐるみを、ギュッと抱き締める。反抗的な蜂蜜色の瞳とぬいぐるみに助けを求める防衛反応に、南城は言葉を詰まらせた。これ以上注意を続けては、ウサギが落ち込んでしまうだろう。「気を付けるんだぞ」最後に念を押せば、プイッとウサギがそっぽを向いた。
ウサギは野良で見かけることは多くない。野良の多くは、山や森といった山間部だ。平野にいたとしても、トンビやカラスに襲われる傾向が強くなる。人間の生活圏で野良のウサギを見かけることは、まずない。腹を空かせたウサギが、店の前にいたケースも聞かない。料理を仕込む間中、ずっとそこにいたのか。ウサギは人参のぬいぐるみを抱えて三角座りをしていた。空腹なのだろう。鋭い目付きの割には腹の虫が大きく鳴る。そんなやむを得ない事情で、南城はウサギを保護した。この賢いウサギがいうには、一匹のマングースが来てウサギの仲間を全員食べてしまったらしい。「意外と過去が重たいな」ジト目の南城がウサギを見る。ウサギは鋭い目で返した。マングースが仲間を食べている隙に逃げ遂せ、新たな安寧の地を求めて歩き続けたら、人間の生息地に辿り着いたということだ。そう絵と図でウサギは説明する。南城は、このウサギに帰る家も行く当てもないことがわかった。
「だったら、暫く家にいるか? 行く当てもないんだろう?」
一人くらい同居人が増えても、どうってことはない。そう伝える南城を見て、パァッとウサギの目が明るくなった。どよんした眼差しに、光が入る。その容貌を見ても、やはり向こうを思い出す。「まさかな」褐色の大きな手でウサギの頭を撫でる。耳の黄色いミサンガに触ったからか、ペシッとウサギが南城の手を叩いた。こういうところは向こうと似ている。南城はウサギの容貌と相まって「コイツ」と怒りを抱いた。
オレンジの人参に打たれた〝C〟マークの色合いは薄紫色。〝C〟の見た目もあのカーラのものと似ている。カーラの溺愛ぶりと〝C〟マークの人参を大事にする様子は、とても同じだ。仮説は生じるが、とてもここまで似せれるとは思えない。アイツはアイツだけである。例えウサギの容貌が、行動がどれだけ似てようとも、だ。
「寝床はこんな感じで大丈夫か?」
と聞けば、茣蓙や畳の方が良いと返す。さらに高い金額ときた。「そこまでの余裕はない」南城はバッサリ切り捨てて、コストパフォーマンスの安い量販品店で似たような品を買う。ウサギは怒って、南城の腕へ飛び蹴りをした。「いてっ」とりあえず痛がるフリをする。南城の筋肉は鉄壁だ。
「どうしたんだ、って。戻るのかよ」
夜中目が覚めれば、ウサギが自分を見下ろしている。目が合って問いかければ、すごすごと自分の寝床へ戻った。まるで猫のようである。性格は憎らしいことこの上ないが。
「お前の名前、どうするか。薫、だと嫌だもんな。〝Cherry blossom〟、チェリーか」
名付けようとして触ろうとすれば、ペシッと手を叩かれる。どうやら居候していても、人間に飼われる気はないようだ。なんていう同居人だ。(少しは協力しろよ)と南城は心の中で毒づく。
「えっ? 文字を習いたい? いいが、あぁ。自分で勉強するのか」
昔に買って以降使うこともなくなったタブレット越しに教科書を見せられると、違うと反対される。どうやら、南城が料理をしている様子を見て、多少の文字は覚えたらしい。留守番の間、ウサギは遊んでないようだ。
「えっ? 次はこれがほし」
ウサギが見せてきたものを見て、南城は固まる。ピシッと石にヒビが入るような音がした。どうやら、ウサギは人間社会及び経済について理解を深めたらしい。『株』『トレーダー』の単語に、南城はウサギと二度見をする。ウサギは「さっさとしろ」と顔で物語っていた。
「はっ? マジでいってるのか?」
疑う南城の手をウサギは力強く叩く。いつまでも居候の身では気に食わない。金で南城を養う気でいるようだ。しかも手段が株の投資である。(手元の金はどうするんだ)あのドケチのことだ、恐らく計略を立てながら準備を進めているに違いない。
ウサギはドケチの性分まで、しっかりと引き継いでいた。ウサギのアプローチは、亀の歩みである。小さい動物の世話をしながら、南城も店の仕事を始めた。残業である。日課のストレッチを行ったあと、持ち帰った店の事務処理を始めた。
それも、ウサギはしてやろうと思う。徐々に外堀りを埋める手筈を整えるウサギに、南城は気付きもしなかった。
時計の針が進む。眠気がきて、大きな欠伸をして寝た。ベッドに沈む。心なしか、茣蓙はベッドの中にまで侵入していたのであった。