人間が贈る神戸牛
マングースは凶悪だ。ハブの駆除を目的として勝手に連れてこられ、好き勝手生活をしていたら駆除の対象とされる。沖縄の在来種を食べて、種の根絶へ向かわせたからだ。そのため、あんなにいたマングースの数は、今では減っている。あんなにたくさんいたのに、あんなに遠く離れたところで見かけたところはあったのに、今では極一部でしか見かけない。根絶したともいわれている。マングースは人間の都合と他の動物の存続のために殺されてしまった。
その生き残りであるマングースは、ガジガジと桜屋敷の頭を齧ろうとしている。凶暴な爪で髪に触り、よじ登ろうとする。「やめろ」桜屋敷がすかさず止める。あんなに凶悪な爪は、今では短く切り揃えられていた。人間に飼われるとは、こういうことである。野生で生きるための外見的な特徴は、角を丸められる。傷はつかないものの、着物に傷が付く。高い着物を着る桜屋敷は、着物の損傷を嫌がった。
「あとで構ってやるから、今は我慢してくれ。腹が減ったのなら、冷蔵庫に肉がある」
マングースの頬を、曲げた指の関節で撫でる。その柔らかさを堪能するような手付きだ。別に気にしはしない。マングースは桜屋敷の好きにさせた。腹減った、そういいたげに口を開ける。スッと桜屋敷は台所へ指を指した。その人差し指が示す先に、マングースは唇を尖らせて向かう。冷蔵庫を開ければ、神戸牛だ。桜屋敷が買ったのだろう。じゅるり、と涎を垂らす。サッと冷蔵庫から出して、自分で楽しもうとした。忘れず冷蔵庫を閉める。忘れず踏み台を組み立てる。マングースにとって、人間の調理台は高い。調理を行う準備を整えたら、神戸牛の仕込みを始めた。トントンと叩いて、牛肉を半分に切る。味を付けるのもいいが、シンプルに塩胡椒で素材の味を味わいたい。フライパンが熱する間に味付けの用意をし、熱したら牛脂を敷く。器用な手先で、長い菜箸を操る。ちゃんと油を引いたら、半分に切った牛肉をフライパンに落とした。ジュワッと脂が跳ねる。すかさず蓋をする。もわもわと水蒸気が、蓋を内側から曇らせた。蒸気穴から漏れる神戸牛の質の高さに、空腹が加速する。つまみ食いを堪えて、マングースはタレを作った。醤油ダレである。どうしてか、料理をしない癖に調味料の類は揃っている。それらを使って、トントントン、味が沁み込むまで冷蔵庫で寝かした。
フライ返しを使って、フライパンの肉をひっくり返す。つまみ食いを堪えるマングースの元へ、桜屋敷がやってきた。後ろから様子を見ている。無事であることを確認すると、リビングへ戻った。愛するカーラを使ってのリモート会議である。会議、というより打ち合わせだ。桜屋敷がカーラとともに仕事をしている中、マングースは自分の肉を作り終える。真っ白い皿に、ポン。彩りや飾り付けをする余裕も忘れて、肉食獣は牛の肉にがっついた。ナイフが最早骨代わりである。ガツガツと野生を解放して食せば、桜屋敷がキッチンに入った。
「おい。俺の分はどうした」
マングースは冷蔵庫を指差す。桜屋敷は指が示す通りに、冷蔵庫を開いた。『マスターの分です』機械のカーラが伝える。『二人分にも良さそうです』カーラは人工知能で肉の身体を持たないので、人間と同じように食べることはできない。消去法で、桜屋敷とマングースの分に近い。自然と、桜屋敷はマングースの方を見る。マングースは、二人分の肉を完食しかけていた。もうナイフが支えるくらいしか肉が残ってない。
「はぁ」
溜息が出た。桜屋敷が視線を合わせる。
「食い意地といい、本当アイツと変わらんな」
それともイタリアに行ったら、そこまで似るのか。キッチンペーパーを一枚千切り、マングースの油だらけの口元を拭く。マングースはされるがままだ。なにせ、自分は今人間に飼われている。暫く英気を養う分には、好きにさせた方がいいだろう。獣のくせに、打算的なことを考える。自分が誰かと似てるなんてことは、思いも寄らなかったのであった。