優雅な朝の目覚めの台無し
本日の目覚めは早い。全裸の南城は、手近にあったスマートフォンで時間を確認する。いつも目が覚める時間より、一時間早い。一方、抱く側の桜屋敷は未だに熟睡している。抱かれる側が一番体力を使うという話は、都市伝説だったか。他にも諸説あるが、南城はその可能性を信じたくない。(日頃の疲れが溜まったんだろう)起きない桜屋敷の就寝を、南城はそう納得する。
ケツが痛い。括約筋の使い過ぎともいえた。ケツの他に腰が痛い。全身を痙攣させられたこともある。喉も痛い。声が枯れすぎたことと、喉奥まで咥え込んだことに起因する。(あのクソ眼鏡)胸中で呪詛を吐く。シャワーを借り、昨夜の汗と汚れを落とす。あの桜屋敷が南城に、そこまでのケアを施すわけがなかった。よくて起こしてタオルを投げ渡すだけである。それからシーツの洗濯か。いや、桜屋敷は布団派だ。敷布団ごと洗うだろう。タオルとバスタオルを勝手に拝借し、洗った身体を拭く。桜屋敷の家に南城に合うサイズの服はない。昨日脱いだ服を着直し、冷蔵庫の中を確認した。予想通り、なにもない。買い足さないと、ろくに一品も作れないラインナップだ。
(薫にも使いやすいよう、簡単なレシピで行くか)
冷蔵庫の中身だけで、持ち主がどのように食材を管理しているかがわかる。カーラのアシスタントがあっても、早めに使い切れるタイプがいい。材料の鮮度が高ければ、作る味の質も上がる。レシピの方針だけを決めると、南城はジョギングに出かけた。いつものトレーニングウェアでないだけ、少し走りにくい。(薫んとこに、予備の一着を置いておくかな)その金があるというわけではない。
近くのスーパーまで軽く走る。早朝なので、まだ開いてはいない。代わりに無人販売所を見つける。近くの農家がやっているらしい。ちょうどいい具合に、レタスとトマトがある。残念ながら、無人なのでレシートや領収書を出してくれる機能はない。
(このくらいの値段なら、まっ、いいだろ)
南城は自腹で出すことにした。質と量を考えれば、手頃な値段だ。寧ろ良心的ともいえる。ポケットの裸銭を取り出し、料金箱に入れた。三百円。百円玉二枚と五十円玉二枚である。残りの金額で、近くの割高へ。スーパーや専門店と比べたら質は落ちるが、いつでも買えるところが利点だ。コンビニに入り、手頃なものを探す。(薫から少しばかり借りればよかったな)領収書の出番である。ポケットに手を突っ込む。五百円玉と十円玉が少し。ギリギリである。
残額で残りの材料を買ったあと、足早に桜屋敷の家へ戻った。レシートも忘れずに貰う。これは食卓の上に置いておけばいい。
南城は桜屋敷のキッチンへ入ると、即座に準備を始めた。
桜屋敷は未だに就寝を続けたままである。南城が帰ってきたことにすら気付かない。うつ伏せのまま、枕に顔を突っ伏す。カーラが自国を伝えても「あともう少しだけ」だと言い切ることもできず、寝言でいうだけだ。その間に、南城は手洗いを済ませる。
キッチンに並ぶ材料は、七点である。内、ベーコンとバターは南城が以前買っておいたものだ。運よく賞味期限まで材料が残っていた。残りは、南城が買ってきたものである。イングリッシュマフィンと卵、レタスとトマト。その中でコンビニで買ったものは、既にテーブルへ請求書を置いている。
南城は簡単な朝食を作り始めた。
まず、イングリッシュマフィンを二つに割って、一つずつ焼く。〈マフィン〉と名が付くからには、どら焼きのように皮が二つに分かれている。そして、二つに分かれた以上オーブントースターではこれ以上焼けない。焼きムラが出てくるためだ。
マフィンの熱し時間中に、具材の用意を始める。ベーコンは四枚用意し、ちょうど切れた。テフロン加工を施したフライパンを温め、そこに油を入れる。均等に油を引いたあと、ベーコンを入れた。ジュワッと肉が肉が熱で弾ける。落ち着くと、熱する油の海の波を受け、ジュウジュウと音を立て始めた。赤味が奥まで熱が通り、肉汁を外へ零す。スンッ、と眠る桜屋敷の鼻が動いた。もぞもぞと布団から這い上がろうとする。身体を起こす代わりに、敷布団から畳へ移動しようとした。それを南城は気付かない。
ベーコンが良い具合に焼けたら、皿に移した。まだまだ準備は終わらない。ベーコンから出た肉汁は再利用する。器用に卵を二つ持ったあと、持った手の片手で卵を割った。料理人、シェフの経験が長い分、卵の殻一つ落とさない。フライパンに月の池を二つ落とす。半透明の池が白く固まるまで、時間がかかる。透明な蓋をし、焼けたマフィンを取り出した。熱々である。その間に、バターナイフで掬ったバターを、マフィンの内側に塗り付けた。バターは料理にまろやかさを加味してくれる。バターを塗り終えたら、残りのマフィンをオーブントースターに入れた。同じように焼く。
(薫の手間を考えたら、最初から切った方がいいな)
保存を考えても、最初から切った方が扱いがいい。南城以外に使われることが少ない包丁とまな板を取り出し、トマトを切る。料理人の手際はいい。サンドイッチに使える薄さに、トマトをスライスした。
布団から畳へ中途半端に出た桜屋敷が、ムクッと起き上がる。畳に手をついて暫し、もう少し寝ることにした。畳に身体を預ける。『マスター。顔に畳の跡が付きます』優秀な人工知能のカーラが警告しても、桜屋敷はアラームを先延ばしにする言葉しか吐かない。
カーラの一言で、南城は気付く。布団から中途半端に出た桜屋敷を見たものの、放置した。あれは無理に起こさない方がいい。桜屋敷の寝起きは悪い。
(半熟だと、黄身が蕩けるからな)
ドロリと濃厚な黄身が零れるのは、半熟勢にとって甘美だ。しかし着物の点を考えると、喜ばしくない。服装の汚れを退けるとしたら、完熟の一択である。
卵の黄身が白味を増やす頃合いに、南城は火を消した。余熱で延長する。続けて焼き終えたマフィンも取り出し、同じようにバターを塗った。それから、二つ同時に材料を盛り付ける。
レタスを最初に載せ、スライスしたトマトの一切れで土台を付ける。その台にベーコンを二枚クロスさせて乗せ、最後にマフィンの上側を乗せた。レタスの荷台に、薄いトマトの天板とベーコン目玉焼きの荷物が乗る。それをマフィンでサンドすれば、口に運ぶトラックの出来上がりだ。
「ふぁあ」
大きく欠伸をして、桜屋敷が台所に入ってきた。完全に寝起きであり、寝惚けている。水道の蛇口の栓を捻り、長い髪を耳にかけて、水の滝に顔を近付ける。ピアスをバチバチに開けていた頃より変わらない、桜屋敷の癖だ。
「コップくらい使えよ」
呆れる南城の声を耳に入れない。寝惚けた桜屋敷の脳は、水を飲むことだけに集中した。唯一拾うとすれば、カーラの声だけである。蛇口から流れる水を横から飲み、飲み切れない分が鼻や頬を濡らす。弛んだ長い髪がシンクに触れ、湿り気を帯びた。
喉の渇きが満たされるまで飲み終えると、桜屋敷はシンクから顔を離した。
手首でグイッと濡れた口元を拭った。高い襦袢を羽織ってることすら気に掛けない。腰紐で結んでない分、肩から襦袢が落ちた。南城と違って、下着は身に付けている。ただシャワーを浴びずに寝落ちをしたせいで、昨夜の名残りが全身に残っている。ムワッと噎せ返る匂いに、南城はムズムズした。
桜屋敷は美味しそうな匂いの元を見つけた。
「んっ。作ったか」
「出すまで待て。つまみ食いするな!」
「客に出す料理を食ったゴリラがいう台詞かッ!」
「落ち着いて食えっていってんだよ! 貪欲ピンク!!」
「食い意地汚いのはそっちだろう! 食いしん坊ゴリラ!!」
「やるかッ!?」
いつもの喧嘩で朝の一時が台無しになった。