百万年後のスーパーマーケット観測所

 世界が突然滅んだ。電気の供給が途絶えた中、頼みの綱は自然エネルギーか自家発電しかない。「ゴリラだからできるな」と、桜屋敷の口から見解が出る。それが出てくるまで、少しばかり時間がかかった。桜屋敷が愛する人工知能は、電気の供給がなければ活動できない。愛機のスケートボードも特殊な機能を動かすことはできない。頼りのインターネットも動かず、全てのサーバーが死んでしまった。物理的にハードディスクへアクセスするしか手はない。幸い、紙の本は生きている。手近な図書館の扉を抉じ開け、中の無事な本を物色する。こうした文字から知識を吸収することは、桜屋敷の方が得意だ。組み立てに力仕事が必要な場合は、指示に回る。愛するカーラは、本当に必要最低限のときにしか起動しなくなった。
 桜屋敷の服装も変わる。「手入れが頻繁にできん以上はな」着物から洋服に変わり、自分に必要な荷物を背中に背負う。便利なコンタクトは替えがないからとの理由で眼鏡に変わる。手元に一つ残っているだろうと指摘すれば「これは別だ。ド阿呆」と苛立った声で返される。
 現在、世界に桜屋敷と南城しか残っていない。あとは人類が消滅して数百年経ったかのような、緑と野生に覆われた廃都があるだけだ。なんとなく、南城は思う。(あの愛抱夢が死んでるわけないだろ)自分たちだけしか生き残っていないとは、妙に腑に落ちない話だ。愛抱夢の今までの態度だ。どうせ俺たちは生き残るだろうと思って、放置してどこかに行ったのかもしれない。あの秘書だかを連れて、どこかでバカンスを取っているに違いない。もしかしたら、そこにスノウやレキもいるだろう。運が良ければ、MIYAやシャドウ、他に見知った顔。この町にいた住人も、躍進する政治家に導かれて脱出しているのかもしれない。雑草に覆われた石畳を、ヤンバルクイナが警戒心もなく横切る。人間の文明の利器が動かないまま、動植物の天敵は自然界のバランスにしかなかった。
「チッ。中々開かないな。おい、ゴリラ。出番だぞ」舌打ちをした桜屋敷が扉から離れ、南城に指示する。親指が肩越しに投げたものに、南城はムッとした。「人に仕事を押し付けるな。陰険眼鏡」言葉尻が荒い。以前と変わらず悪態を吐き合うのも、正気を保つ一手になる。仕事を投げた桜屋敷を退け、南城は力任せに扉を開ける。錆びた自動ドアは強靭な肉体によって、強引に隙間を広げられた。南城のような筋肉質な男は、いるだけで便利である。桜屋敷が先に隙間の中へ潜り込む。
 スーパーマーケットの中は薄暗い。割れた窓やガラスが差し込む日差しだけが頼りであり、電気は通ってなかった。冷凍食品は腐り、冷蔵食品はもぬけの殻である。
「野生動物に食われたか」
 冷蔵のショーケースには食べかすが散らばっており、足元にひっくり返った発砲トレーもある。桜屋敷はそれを踏まないように気を付けて歩く。例え爪先で小突くような真似をしても、振りだけだ。楽しそうに口元は笑っている。
「例え残っていても使えねぇだろ」
 その笑みは発言が南城を茶化すのに使われていることを示す。不満をハッキリと示す南城に、桜屋敷は、クッと喉の奥で笑った。
 平時であれば、南城が桜屋敷に突っかかるところである。冷蔵の商品が食い漁れているのを見るだけで、一瞥するだけだ。代わりに南城が、目の前の状況を口に出して桜屋敷に突っかかる。それが一通り大人になってから行われるルーチンに当て嵌めた『いつものこと』だ。
 カーラは喋らない。今も残る電荷を節電していることだろう。代わりに南城に当たる。カーラと喋られないためだ。
「匂いに釣られたのか。割れた窓で換気もされていると見える」
「そーだな。そもそも、それだったら臭くて入れねぇだろ」
「腐った肉で調理されても困る」
「それはこっちの台詞だ!!
 もし頼まれたとしても、願い下げである。南城は桜屋敷に噛み付く。桜屋敷は涼しい顔をして、他のコーナーを眺めた。
 スーパーマーケットであるので、あるのは必要最低限の日用品か、品揃えが豊富だった食べ物しかない。
 自分たちが目覚める前に、生き残りはいたのらしい。ポテチやチョコレートなどの菓子類、インスタントや缶詰の類が疎らにあった。無事なものはあるか数えつつ、水の確保を行う。常温でも開封されていなければ、腐ってはいない。残るものはどれも未開封だ。中途半端に開けて後から来た者を困らせる──という嫌がらせはされていないようだ。「ふむ」桜屋敷は頭の中で、自分たちが持てる分を考えた。
「虎次郎。お前の方は後どのくらい持てる」
「調味料とかを補充したいからな。薫の方はどうなんだよ?」
「持てて二本か三本だ。お前の方がまだ持てるだろ」
「お前も少しは持て。万が一が起きたときに困るだろ」
「携帯食料くらいはある」
「調理器具もだ」
 料理人の一言には一理ある。ムスッとした顔で、桜屋敷は南城の見つけたものを見る。万能包丁だ。
「せめてナイフにしろ」
「店が見つかるまでの辛抱だ。キャンプ用品が売っているところであれば、もう少しマシなのが見つかるんじゃないか?」
「あればな。最悪、在庫を探すことになるかもしれん」
「体力を温存しておくってことか。せっかくだから、今日は豪勢に行くか?」
「阿呆か、といいたいところだが、良いだろう。食えるときに食っておかないといけないからな」
 満場一致ということで、スーパーマーケットの商品棚から食料と食材を拝借する。「ガキだったらはしゃいでたよな」乾物を物色する南城は、笑いながらいう。小学生、高校生の頃を思い出す。桜屋敷は「そうだな」と返した。カーラのアドバイスを思い出しながら、缶詰を選んでいた。
 料理のラインナップは、南城が決めることとなる。この旅の一団で唯一の料理人だからだ。「屋根があるんだから、今日はここで寝ようぜ」スーパーの中だ。食材や使えるものが手近にある利便性において、異論はない。「野犬が出たらどうする。ボケナス」使うにしても、割れた窓を塞ぐなどの処理をしなければならない。スタッフルームや厨房を使うにしろ、扉は押すだけで開く。まだ空き家を使った方がマシだ。
 使えるライターで廃材に火を付け、深めのフライパンで食材を炒める。簡単な料理だ。桜屋敷と南城はキャンピングを趣味としないので、家に寝袋はなかった。見つけた家の扉を確認し、開いたら一夜の宿として住居を借りる。既に家主がいない今、家の中は埃を被っている。使える寝具といったら、圧縮袋に入れられたものしかない。ついでに南城が使えるサイズも、滅多にない。「ゴリラだから平気だろう」桜屋敷がそういえば「んなわけあるか!」と南城がツッコミを入れる。楽観して考えることは危険だ。早く寝袋を見つけることも、早急な課題となる。
「なぁ。これが夢だったらどうする?」
 オリーブオイルで炒めた海老が、南城の口の中で弾けた。ガーリックの香辛料が良い塩梅だ。マッシュルームも茸の旨味がある。夢にしては、味にリアリティがありすぎた。
「カーラが話し出す」
 切願はカーラとの会話だ。『バッテリーの消耗を避けるため、長期的なスリープモードに移行します』それ以来、愛する人工知能は一言も喋らない。冷たく眠りながら、主人の無事を見守るだけだ。──夢であるなら、痛いほど願うことは叶うものだ──それはない。ならば現実だと話を片付けるしかない。
「一向に起きないな」
「目の前にカルボナーラが現れる」
「レトルトなら残ってたぞ」
「一から作ったものだ。ボケナス」
 淡々と食事を進める。嗜好品として、生き残ったインスタントで淹れた珈琲を飲む。カフェインも長らく摂っていない。
「もし人類の生き残りが俺たちしかいなかったら」
「あ?」
 食いついた桜屋敷に機嫌を良くしながら、南城は続ける。
「神様も運がないな。アダムとイブじゃなければ、種はかれない」
「お前、神とか信じる口だったか?」
「別に。信じてねぇよ」
「そっちがイブ役だからな」
「はぁ!?
「当然だろう。身に覚えがないとはわせんぞ。脳筋ゴリラ」
 顰蹙する南城を横目でジト目で見つつ、桜屋敷はインスタントの珈琲を飲む。新鮮な水を補給できるのだ。スーパーに着くまで残った飲用水は、贅沢に使い切った。空になったカップに水を注ぎ、珈琲の味を洗い流すと同時に飲む。小型の鍋に作ったスープを掬った。今日は豪勢な食事だ。(野生の動物を狩って調理する必要もあるか)肉は貴重なタンパク質である。大豆の缶詰もいつまで保つか、あるかもわからない。慎重に検討をしなければならない。スケーターだからといって、狩人でも猟師でもないのだ。
 アヒージョの皿を平らげた南城は、深鍋を自分の方へ寄せる。
「おい!! まだ食べてる途中だぞ!?
「食ってるじゃねぇか!! 俺はお前より消費カロリーが激しいんだよ。貧弱眼鏡」
「食い意地を張るな!! 筋肉ゴリラッ!! ここは平等に、半分の量で分けるべきだ」
「って、残ってる分で量ろうとするんじゃねぇよ!! 卑怯眼鏡! そもそも、どうやって量るつもりだ」
「目分量」
「不正し放題じゃねぇか」
「カーラが寝ているからな。どうしても感覚で量ることとなる」
「せめて天秤を持ってくるなりしろよ」
「大匙や小匙の類はある」
「はっ? 聞いてねぇぞ。あるなら貸せ」
「阿呆か。これはもしものときに使うものだ。ボケナス。下手に混じると毒になる可能性がある」
「あっそ。お前のそういうところ、嫌いだぜ」
「フンッ」
「しかし、ゾンビがいるような世界じゃなくて良かったな。じゃないと、こんなにのんびり飯を食うこともできない」
「こうなった原因を追究することが最優先だ。ド阿呆。理解に苦しむ」
 世界が滅んだ経緯と南城の発言、そのどれにもかかる言葉だ。鍋からスープを掬う南城は、黙る。目が覚めたら桜屋敷がいたことに、なによりも安堵したことは、いえることではなかった。できる限り胸の中に隠しておきた。鍋から直に、スープを飲む。
「他の人間と会えればいいんだが」
 憂慮する桜屋敷の眼差しに、南城は目を逸らす。もう少しこのままでいい、との世迷い事は口にできない。他の生き残りと会って情報を交換し、現状の認識を深める。理知的に考えれば、誰でもわかることである。
 鍋の底に残るコーンを、南城はスプーンで掬いあげた。
「会えればいいな」
「お前も少しは考えろ。脳筋ゴリラ」
「毎日の献立を考えている」
「他のことも考えろ。ボケナス」
 考えている、といいたいが口が裂けてもいえない。南城は代わりに皿や調理器具を洗う準備を始める。近くに小さな川が流れていたはずだ。腰を上げる南城を他所に、桜屋敷は考える。
(シャワーを浴びたい)
 髪の手入れもろくにできない以上、多少髪質が日焼けや埃やらで痛んでいる。オマケに使えそうなローションがあったとしても、汗を洗い流せないとどうしようもない。「ゴムなんて干からびてるぞ」南城が見つけたものに対して、そうぼやいたことも記憶に新しい。とにかく、緊急に対応することが山ほどある。
 カーラは桜屋敷が命の危険に晒されないので、沈黙を続けている。
 疲れた桜屋敷は、空を見上げた。満天の星空である。人類の文化の灯火が消えた今、とてもよく輝いて見える。
 ぼんやりと、天体観測に使う望遠鏡を思い浮かべた。あの日あの時、南城を連れ出して夜中に天体観測をしたあの頃と、同じ星の輝きをしていた。
 星は、何百年何千年前の光を地球に渡すという。
 ぼんやりと、あの頃に見た光を桜屋敷は探した。