宇宙ロケットとプラットフォーム

 南城虎次郎は自宅では自炊をする。両親不在に代わり、自分で食事を作ることもある。家族の分も、もちろんだ。冷めても温めても美味しい一品を選び、レシピに沿って作る。イタリア料理の腕を上げる際には、桜屋敷を召喚して試食係にした。このことは、それほど他者へは知らされていない。深夜のスケートに付き合う不良仲間もそうであるし、南城に想いを寄せる異性の存在だってそうだ。遊びで南城と付き合う女子ですら知らない。着崩した制服と校則を無視したファッションを楽しむギャルが、南城に手作りの菓子を上げる。「これ、昨日作ったヤツなんだー。よかったらあげるよ」明るく楽しそうに、ニコリと笑った口から見えた八重歯が印象的だ。このように異性の楽しそうに笑う顔や姿を見るたびに「やっぱり、女の子ってだけで癒されるよなぁ」と南城は実感する。やはり、自分の女好きは生来のものだ。好意的に渡してきたギャルのお菓子を、南城は一口齧る。男子高校生の一口はデカい。パクッと食べれば、素朴な味だ。家庭的な子だろう、とさえ感じてしまう。しかし将来的に料理人を目指す南城は、別のことも考えていた。
「俺だったら、上手く作れるかなぁ」
「はっ? 女が作ってくれたものに張り合う気か? お前」
 頭がイかれているんじゃないのか、と言いたげな口振りである。それにムッとしつつ、南城は返す。深夜のコンビニ、その前で屯っていた。駐車場のアーチスタンドに腰かけ、ボードに足を乗せて遊ばせる。桜屋敷はリプトンの紅茶ラテを飲み、南城は炭酸ジュースを飲む。有名なメーカーのものだ。シュワッと弾けた口内を、ギャルから貰った菓子で解消する。
「そんなつもりはねぇよ。店で出すと考えたら、これだとパサパサすぎるよな、って思っただけで」
「貰ったものにケチを付けるとは、良い御身分だな」
「人のこといえねぇだろうがッ! お前だって、女子から貰ったってものにケチ付けてんだろ」
「口に合わないからだ。まだコンビニで買ったものの方が良い」
「お前な。手作りのお菓子ってヤツには、その子の気持ちが籠っているんだぞ?」
「知るかッ! そもそも、手作りという時点でヤバイだろ。なに入っているかわかったものじゃない」
「風情もわからねぇヤツだなぁ」
「女子の気持ちに風情を感じる方がどうかしている。万葉集じゃあるまいし」
「日本人だとしたら、古来から続く普通ってやつじゃないのか?」
「知るか。テストにしか使えん情報だろ。読み解くのには役に立つだろうが」
「そうじゃなくて。はぁ、今度はスコーンでも作ってみようかな」
「いいな、それ。試食してやるから有難く思え」
「お前な。といっても、家の設備じゃ難しいかもな」
「だったら、俺の家のキッチンを使えばいい。ついでに晩飯も作れ」
「はぁ? 顎で扱き使ってんじゃねぇぞ。陰険ピンク」
「なにかいったか。タラシゴリラ?」
「聞こえてんだろ!?
「あぁ!? 人間様の言葉を喋れ! 類人!!
「なんだと!?
 ギリギリと睨み合う。「そんなにいうなら、作ってやらないこともないぜ?」「キッチンを貸し出す側に、よくそんな大口が叩けるな?」「作るのはこっちだ! このおたんこなす!!」「なんだと!? このぼんくら!」「すかたん!!」「あほんだらッ!」などなどと、互いに罵り合って終わった。フンッと顔を背ける。喧嘩別れのように終わったが、喧嘩が終わっても話は続く。「で? 明日両親がいないのか?」「だからお前が飯を作れ。そっちも水道光熱費が浮いて楽になるだろ」「足元見やがって」ピクピクと南城の口角が引き攣る。素面の桜屋敷と違い、こちらは頬に青筋を立てていた。
 ──それから暫く。テスト勉強も兼ねて桜屋敷家に泊まることになる──とはいえ、寝泊りまでは打ち合わせの内に入ってはいない。桜屋敷は夕食が済んだら帰ると思っているし、南城は泊まる気だ。「今回のテスト範囲、広くね?」「お前が普段からサボっているせいだ。ボケナス」「それは、そっちだって同じだろ。すかたん」「あ?」一触即発となるが、喧嘩に発展しない。帰りにスーパーで材料を買って、南城は一旦家に帰る。そこから、双方ともに両親が不在の勉強会が始まった。
 桜屋敷は買ったものを飲んで、テーブルの上に勉強道具を広げる。ノートと筆箱と、教科書は床に積み上げだ。南城も買ったものを少しだけ飲んで、席を離れた。空白のノートが広げられたままで、やる気の体裁だけが整えられている。南城は、やる気のないことを後回しにした。
 キッチンに立つ。桜屋敷家のキッチンは、南城家のものより性能が良い。IHコンロから作業台、シンクを遮る溝はなく、掃除がしやすい。篩をかけた粉が飛んでも、サッと綺麗にしやすそうだ。オーブンレンジも最新のもので、使い勝手がわからない。「これ、どう使うんだよ」「これでも読んでろ」アイランドキッチン越しに、説明書を渡す。製造元の作ったレシピ付きだ。「だったら先に渡せよ」「頼まれなかったからな」「誰が頼んだ。誰がッ!」「お前だろう」「飯を作れって頼んできたのはお前の方だろ!」「俺ん家でスコーンを作る癖にか!?」「お前が食うっていうからだろ!!」ギャアギャアと騒ぎつつも、一旦収まる。「馬鹿ゴリラの相手をしている暇はない」「それはこっちの台詞だ」今回は桜屋敷が退くことで終わる。南城のように、呑気に構えている暇はなかった。
 テーブルに座る。桜屋敷は勉強を行う。南城は、料理を始めた。互いに私服である。桜屋敷が丈の長いTシャツなら、南城はオーバーサイズのパーカーである。丈の長いTシャツが黒なら、パーカーは柄物でポップな雰囲気だ。しかしながら、前者の方はパンク系のデザインが施されている。心なしか、耳のピアスも増えている。口のピアスは健在だ。指輪も多い。(邪魔にならないのか?)ピアスの穴から鎖が通っており、この重心を耳の縁に留まるカフスが支えている。流石に、滑るときは外すのだろう。これらを付けて滑る姿は見たことがない。脛の付近にベルトを付けて滑ることはあるが。
(なにかいいのか、わかんねぇけど)
 本人がそれでいいのなら、いいのだろう。南城はそれ以上の追求を止める。そこまで気にしないことだからだ。
 桜屋敷から渡されたレシピを見る。製品のみの使用へ特化した内容だ。今回のレシピとは違う。(参考程度に使うか)馴染みのない説明書を手に取る。パラッと該当するページを見た後、本を閉じた。桜屋敷はテスト範囲の勉強を続ける。南城は下拵えを始めた。
 バターを準備し、牛乳を先に量って冷蔵庫へ。材料を冷やすためだ。計量器で粉類を必要な分だけ量り、口を閉じる。──「お前も食うんだから、半分出せよな!」「はぁ!? お前が作るんだろう! 使わない分を家へ持ち帰れば済むだろうが。阿呆ゴリラが」「こっちには予算ってもんがあるんだよ!! ドケチピンク!」──と、やり取りしたことを思い出した。結果、桜屋敷の小うるさい計算を経て、割り勘となった。それらを規定の量だけ量り、篩にかけていく。他のやり取りも思い出した。桜屋敷が、バター売り場で発した一言だ。「こっちの方が安いぞ」「有塩と無塩は違うんだよ。守銭奴ピンク」「値段が安い上に塩も入っているんだぞ!? こっちの方がお得だろ!」「逆に塩くどくなっちまう可能性があるんだよ!! ピアスじゃらじゃらロン毛!」「なんだと!?」「やるか!?」喧嘩に発展したことも思い出す。この勝負の場合、南城の勝ちとなった。桜屋敷が折れたのである。南城が冷静に、塩の有無で出来上がりが違うことを説明したおかげだ。
 そのバターは、今は一センチ角に刻まれた状態で冷蔵庫にある。
 普段から突っかかる声は聞こえない。テスト範囲の勉強に集中しているからだ。
 それをつまらないと思いつつ、南城は調理を進める。


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