ポーチドエッグと展示会
桜屋敷も変則的なイベントに出るらしい。東京という街は、情報が集まる場所だ。日本において、質の高い情報の量が多い。飛行機での移動時間も短く、交通費も手軽だ。地理的に近い九州や関西の交通費を考えれば、東京の方がまだ便利であった。イタリア料理と謂えども、飾り付けにセンスが要る。他と差別化を図るためにも、日々意識を払わなければならない。感性の拡散と散らばる感受性を拾い集めるアンテナの整備、感性を拡げる場所と感覚的に注目する視野を豊かにさせる意識付け。要するに〈目を肥やす〉必要性がある。薫ならばもう少し具体的に説明できるだろう、と南城はページを飛ばした。新作料理に行き詰り、スマートフォンでページをスクロールする。(なにかいいもんはないものか)状況を打開するものがほしい。そのときに見つけたページが、ここのことだった。
飛行機のチケットを取る前は、桜屋敷がこのイベントに出ることを知っていない。見落としたからだ。気になる展示を見つけ、ページ内の日付からアクセス方法を確認する。トップページには飛ばない。必要な情報がないからだ。そこに大きく表示された桜屋敷薫の展示予告も、目に入れることはなかった。
桜屋敷も桜屋敷で、人が悪い。深夜閉店後の店で、ワインを飲みながら南城に告げることはなかった。〝S〟ネームシャドウがいても、告げることはなかっただろう。理由は至極単純明快。〈聞かれなかったから〉である。誰であっても、その情報を耳に入れなければ聞くことはない。南城もまた、桜屋敷が不調のようでない限りは、仕事のことを聞くことはない。「最近の〝S〟で起きたことだが」「知ってる」「もう耳に入れているのかよ。地獄耳ピンク」「誰が地獄耳だ。タラシゴリラ」「女ばかりが情報源だと思うなよ? 小耳に挟んだものだが」ピクッと桜屋敷の瞼が上がる。「〝S〟で噂になっていることか」「そういうことだ」そのように話が進むことしか起こらない。時折、喧嘩に発展した。それだけである。
なので南城が現地に向かい、会場の入り口に大きくピックアップした看板を見るまで、桜屋敷が作品を展示していることを知らなかった。
桜屋敷を採用した理由には、こうある。『次世代のAIとデザイン、芸術との融合。その代表者の一人に数えられる桜屋敷先生にお招きいただきました』どうやらトークショーも開催したらしい。第二部の開催が、近い日付にある。少し滞在時間を延ばせば、出れそうだ。手にしたチラシを置く。わざわざいってやる理由はなかった。
インスピレーションの助言者に選んだ展示を見て回り、デザインの幅を広げる。(こういうものは女ウケしそうだな)自分の客層と照らし合わせ、取捨選択する。女性客ばかり選んでも、意味がない。シニア層に好感触なものを考える。この展示から閃きのキッカケは得られない。南城はエリアを移動する。
「虎次郎」
聞こえた名前を呼ぶ声に、南城は顔を上げた。桜屋敷とで意外に思ったのであろう。広げた扇子を胸元に傾けたまま、ポカンと口を開けている。鋭く睨みつける小さな瞳など、今では丸い。小さな点のように、南城を凝視していた。
ここにいるはずもない。呆けて言葉も出ない視線が、ただその事実を訴えかける。馬鹿みたいに呆ける桜屋敷に噴き出す前に、南城はその視線に腹が立った。
込み上がる可笑しさが、不満で胃の底まで圧し潰される。
「あ? 薫かよ」
「それはこっちの台詞だ」
近寄る歩幅は大股である。怒りを滲ませてくるが、距離を縮めるところは変わらない。普段と趣きの変わったイベントに出たとしても、桜屋敷の性根は変わらない。不愉快そうに南城を睨んだ。
「ここはお前が来るようなところではないぞ。原始人」
「お前のガラにも合わないだろ。ロボキチ。壇上に上がったんだって?」
「見たのか?」
「チラシで見た」
展示の公式アカウントが無料で公開しているアーカイブを見ていないらしい。桜屋敷の眉間に皺が寄った。そもそも、期待自体が徒労なのである。南城に、わざわざその手の座談会を見ようなどという気は起きない。起きても、スケート関連だ。スケートボードに関することであるなら、この男にも見る気が起こる。
「東京では、なにをしに来たんだ」
いつもと変化球である行動を取った南城に、桜屋敷は聞く。こうした芸術に関する展示会や美術館に足を運ぶことはない。女とのデートでなら、訪れることはあるだろう。しかしながら、それ以外は一切踏み入れることはない。(女にフラれたか?)それはない。南城のナンパのテクニックは高い。落とせる女を狙って落とす男である。勝率の低い女には中々手を出さない。
「料理に行き詰まってな。その息抜きと打開も兼ねて来ている」
「腕は相変わらずだろう」
「良い新作が思い付かないんだよ」
南城も南城とで、閃きが行き詰まるときがあるらしい。ふぅん、といいたげな表情で桜屋敷は眺める。そうか、といいたげに視線を逸らした。顔を正面に戻す。AIと関係ない、一デザイナーが手掛けた作品だ。箸置きらしく、個性的だ。道具としての機能性も失われていない。
「売れ行きはどうなんだ」
「季節に合わせて新作を出さないと、飽きられる」
「一度もないだろう」
「毎回やっているからな。流石に伸ばすのは、ちとキツイ」
台風の影響で、季節感はバラバラだ。四季になぞらえば、秋の只中だ。しかし残暑は長引き、暑さと涼しさが変動する。株価のようにウニャウニャ動くグラフのように、月の温度は安定しなかった。ボイラーが壊れたシャワーのようでもある。
「ハロウィンに合わせればいいだろう」
「それで考えているんだ。もう少し、違う角度から見るのも手か?」
「月見」
「定番すぎる。季節のメニューでやるにしても、安直すぎるだろ」
「散々ファーストフードなどで使われてきたからな」
「俺の店のイメージに合わない」
「カルボナーラにはピッタリだろう」
「ポーチドエッグのタイプが、また食べたいって?」
「できるだろ」
「作れるがな。それ、店のメニューにゃないぜ」
「シェフのオススメ」
「誰が作るか。まぁ、息抜きにはなるか」
「なら作れ」
「帰ったらな」
「今食べたい」
「キッチンと材料がねぇだろ。陰険眼鏡」
「ないのか」
「ない」
横目で見た桜屋敷に、南城もまた横目で睨む。キッチンや冷蔵庫がある部屋を、宿に取っているわけではない。どれも身体を休めることを目的にした、宿泊施設だ。ホテルはスウィートルームでない限り、そのような設備はない。桜屋敷は自炊をする気はない。よって、桜屋敷の泊まる部屋にキッチンはなかった。あっても冷蔵庫やフロントへ注文できるメニュー表である。ホテルにあるバーで、カクテルを飲むこともできる。加えて、南城はそのようなところに泊まってはいない。巨体が寝るにはダブルベッドが必要。自然と泊まれる場所は限られてくる。女を連れ込まない予定ならば、さらに費用を削った。東京では食べ歩きを行う予定なので、浮いた金はそちらに回す。時間に余裕があれば、見かけた女をナンパするのも手だ。さらに足が出る。南城はキッチン付きの部屋に泊まる余裕はなかった。
自然と、ポーチドエッグのカルボナーラを食べる機会が遠ざかる。
「チッ。役に立たんな」
「そんなに作ってほしけりゃ、金を払え」
「テスティング役になってやろう」
「厨房に入ってつまみ食いをするつもりか。お前は」
「ワインも頼む」
「厨房で食うな」
太々しい桜屋敷の要求に、南城が呆れて突っ込む。立食形式のパーティの帰りに桜屋敷が寄ることは、珍しくない。店の厨房に入り、完成した試作品からつまむこともザラだ。その要求を、言葉だけ跳ね除ける。実行すら断っても無駄なことだ。既に桜屋敷は学生の頃から、南城の厨房に入っている。口での否定はただの形だけであった。
『マスター、打ち合わせの時間が近付いています』
桜屋敷の右手首にある、優秀な人工知能が予定を告げる。桜屋敷の愛する人工知能──カーラはバングルの形で存在していた。「板は」南城は口に出しかけた言葉を飲み込む。桜屋敷はバカンスも兼ねた目的でないと、ボードを持ち込まない。質問するのも無粋だ。それに、スケーターなら近場で会う。
「ありがとう。カーラ。じゃぁな」
「あぁ。帰ったら作ってやるよ」
踵を返そうとした時点で止める。桜屋敷は物珍しそうに南城を見たが、すぐに視線を正面に戻す。独創的な箸置きの展示から背を向け、出入り口に向かった。関係者を見せる証明書があれば、出入りは容易い。入場料を払った南城は、箸置きの展示を眺める。気分転換に、ポーチドエッグのカルボナーラの改良を考えた。
(刻み海苔、だと少しアレか)
海鮮類を添えなければ、物足りなさを感じる。それに海苔だと和風の印象が強い。少し考えることがあり、南城はその場を離れる。
AIとデザイン、芸術をテーマにした展示は公開を続ける。
──「桜屋敷先生は、どのようにAIを考えているのですか?」
──「人生の相棒です。私のAIは『カーラ』と呼んでいますが、彼女は実に優秀です。公私ともに生活を支えてくれています」
──「まるで恋人のような関係ですね。桜屋敷先生は、今のAI技術についてどのようにお考えですか?」
──「先は明るいと思います。今よりもっと、人に寄り添うものが生まれるかと」
──「例えば、AIを芸術やデザインに使うことは?」
──「制作や仕事を円滑に行う上で助けになっています。例えば」
トークイベントの一部か、以前収録したインタビューの映像か。進行役の質問に、桜屋敷が答える映像が流れる。足を休める来場者に向けて、公開したものと読み取れる。
(恋人、ね)
何度も同じ映像が流れるとすれば、桜屋敷がカーラを恋人のように思っていることを強調する。実際は、それ以上のものだ。恋人などという関係で収まるものではない。
映像が一周する。同じ内容が流れたことを見て、南城は足を動かした。
会場から離れる。気分転換に、都内の食べ歩きに向かった。下町が一番のスポットらしい。駅で切符を買う。桜屋敷は高い店で、商談に応じる。
地域に根付いた味を食べる一方、長い経験で培った技術を舌で味わう──対照的なことが同時期に起きた。それでも、頭の隅で考えることの一つに、共有したものがあった。
(ポーチドエッグ、ねぇ)
(早く卵を割って食べたい)
カルボナーラが頭を過る。また一口食べ、頭を切り替えた。ポーチドエッグはまだ遠い。やるべきことをやった。