>仕立屋での出来事
ひょんなことから、山以外で〝S〟の面子と会うことになった。着合わせる服のテーマは『ストリート』自ずと浮かぶは高校生の頃に好んで着た私服。イメージが固まったら、各々準備を始めた。「オーダーメイドをするなら、この店がオススメだよ。是非使ってね」ランガくん、と口元で小さく形作った愛抱夢のいう通り、近場で仕立てるならここが近い。桜屋敷は店に入り、陳列したものを眺めながらカーラに尋ねる。「カーラ。俺に合う服を仕立ててくれ」『作成中。マスターの趣味をベースにして作成しました』「よくやった。偉いぞ。カーラ」デレデレに頬を緩めて褒めていると、遅れて入ってきた南城と鉢合った。「げっ」いいたいのはこっちだ。南城と負けじ劣らず、桜屋敷も嫌そうな顔をする。「なんでお前がここにいるんだよ」先に南城が張り合うので「それはこっちの台詞だッ!」と桜屋敷が不満を滲ませながら答えた。仲が悪い二人の衝突である。「俺はここに服を注文したんだ」「じゃぁ、俺の後ろに並べ。俺が先に店に着いた」「はぁ!? ここは早いもん勝ちだろ!」「いーや! 先にオーダーする内容を思いついた方が勝ちだ。大方、店に着いてから考えるつもりだったんだろう」「ぐっ。この陰険眼鏡め。その口振りじゃぁ、もう自分は考え付いたって顔だな?」「当然だ。大阿呆者。カーラ。このゴリラに出来たものを見せてやれ」『オーケー、マスター』このやり取りのあと、桜屋敷の右手のバングルからホログラムが小さな空間に投影された。ちょうど、肩を並べる桜屋敷と南城の間ならば見えるサイズである。モデルは桜屋敷本人なのだろう。顔がないのはマネキンの象徴か。律儀にポーズもカーラに決めさせてある。
「機械にポーズまで決めさせているとか、気持ち悪ぃな」
「なんだと!? 俺を引き立てる最高のポーズをカーラが計算で出したんだぞ! どこぞの勘違いゴリラよりは役に立つ」
「俺の見立てが間違ってるっていいてぇのか!? この腐れ眼鏡!」
「そうだ! ド阿呆!! 無駄に時間を使うだけで、結局決まらなかったからな」
「あれはお前が折れないのが悪い」
「それはお前だ!! この低能ゴリラッ!!」
「お前だって全然引き下がらなかっただろ!」
「あんなダサいの、誰がやるか!」
「なにを!? お前の方がダサかっただろ!!」
「あ!?」
すぐに喧嘩が白熱する。ガツンッ! と互いの額が激突し、ギリギリと歯を軋ませる。意外と、桜屋敷が早くに身を引いた。
不審がる南城を他所に、右手のバングルにいる愛機へ話しかける。
「このゴリラの服を見立ててやれ」
『オーケー、マスター』
「はぁ!? おい! ふざけんなッ! クソ眼鏡!! 俺の服は俺が見立てるんだ。機械で余計な手出しをするんじゃねぇ」
「機械じゃない! カーラだ!!」
『ジョーの好みを分析中。分析中』
「って、おい! これはなんだ!? 薫!! 今、カーラが俺の好みを分析中とか抜かしやがったぞ!?」
「当然だ。カーラはどこぞのゴリラよりも賢いからな。相手の小さい身振りから好みを推測することなど、余裕でできる」
「げぇ、んなこと機械にさせているのかよ。気持ち悪ぃなぁ」
「機械じゃない。カーラだ。楽に商売を進めるためだ。ド阿呆。遠回りなぞしてたら、時間がかかる」
「俺の店で接待していることは、遠回りじゃないのか? 腹黒狸め」
「あれは必要最低限なコミュニケーションだ。あれだけで新規の依頼がまた舞い込む」
「この守銭奴眼鏡め。そういうところが腹黒いんだよ」
「フンッ」
刺々しい南城の言葉に聞く耳を持たず、プイッと顔を反らす。キャンキャンと互いに噛み付き終えたあと、ピッとカーラが解析をし終えた。ジジ、とホログラムが新たな映像に書き換えられる。中性的な細身だと見せながらもガッシリとした肉付きが見るからに筋肉隆々なフォルムに変わり──これは南城だ。桜屋敷のモデル同様、顔がない。髪型は似せたものかと思いきや、首や肩回りの筋肉で自分をモデルにしていると確信した。毎日寝る前に鏡で全身の筋肉をチェックしている南城は、露骨に嫌な顔をする。ドン引きした。顔を青褪め、桜屋敷のAIが作るモデリングを見てる。それを歯牙にもかけない桜屋敷は、上機嫌に愛機の稼働を眺めた。正常に機能を働かせている。バグはどこにもない。
全身を映し終えると、カーラへの溺愛が桜屋敷の眼差しから消える。「ほう?」愉快そうに目を細め、口元を上げながら南城を見た。
「お前はこういうものが好きだと」
「ふッ、ざけんな! 誰が着るかッ!!」
「女をたらし込むときの服とはとても方向性が異なる。どういう意趣返しのつもりだ?」
「てめぇ、面白がってんだろ。この陰険眼鏡!! 女には、女が好む服ってのがあるんだ」
「女受け悪いな。これ」
「それはそっちだ。ロボキチ。黒マスクに桜印って、どんだけ主張が強いんだよ」
「〝Cherry blossom〟ファンの女なら喜ぶだろ」
「自分のファン、認知してたのかよ。だったら、たまにはサービスしてやったらどうだ?」
「どこぞのタラシゴリラのように色目を使えと?」
「セクハラになっちまうだろ」
「もうしてるだろ」
「俺は彼女たちから許可を貰ってるからセーフだ。ファンの子たちが求むから、俺は彼女たちの期待に応える」
「最低だな」
「とにかく」
遊び歩く足取りに毒づく桜屋敷に反論することはなく、カーラの出した映像に盾突く。南城は自分自身をモデルにしたデザインについて、桜屋敷に噛み付いた。
「俺はこんなもの、着るつもりはないからな!?」
「ほう。カーラの予測を覆すつもりか? ゴリラが残り0.1パーセントを覆すとは思えん」
「あのな! とにかく、ここにあるもので服を決めることができるんだろ? 俺はこっちでやらせてもらう。邪魔するなよ。重箱の隅ピンク!」
「それはこっちの台詞だ。原始人!!」
店の中という同じ空間にいるというのに、喧嘩して別れてしまった。
南城は自分の服を見繕い始めるし、桜屋敷は仕立屋にカーラの出したデザインを伝える。仕立屋がスケッチするラフに、細かな注文を伝えた。一方、南城はデカいサイズのTシャツを手にしては顔を顰める。どうにもしっくりこない。胸部の周りが窮屈すぎた。
「ゴリラに合う服などないだろ」
「あるわッ! ロボキチは黙ってろ」
「勝ったらスタバでなにか奢れ」
「誰が負けるかよ」
高校生の頃と違うのは、賭けの対象でなにを買わせるかだ。スラリと自然と出てきたやり取りに両者なにもいうことはなく、黙々と自分の服を選び始めた。「あぁ、いや。襟ぐりはもう少しこうで」桜屋敷が指でネック周りのデザインを指摘する。南城は自分で着れそうな服を見つけたが、なにかが違う。違和感を覚えた。──確かにダブダブな服を着る方が合理的だが、今はあの頃と違う。もっと、刺激的なものがほしいのだ──。『刺激的』の発想で、南城は鎖のアクセサリーを手に取る。桜屋敷は真剣に、仕立屋の書き直すラフを見てる。南城は試しに自分の首に鎖を巻いてみた。(うん、こっちが近いか)鎖をアクセントにすれば、自分の思い描く『ストリートファッション』に近かった。
(だとすれば、他はこうか)
アウターは丈が短い方がいい。アウターはダボッと余裕があるものの方が楽だ。オーバーサイズに近ければ近いほど、肩回りが楽になる。どうせ愛抱夢の金だ。黒いアウターに白く自分のタトゥーをロゴデザインで入れてもらうのも有りだろう。どうせ薫のことだ。きっと自分の〝S〟ネームの名前を入れて作っているに違いない。そこで負けるのは気に障る。気に食わない。癪に障るのだ。向こうがそのつもりなら、ここで大人しく引き下がることなどできない。俺だって自分の〝S〟ネームを堂々とファッションに取り入れたい。(だとすれば、こうなる)シャツと足、他人の視線が集まるところを考えれば、その辺りが妥当である。こう見えてスケーターであるので、南城は滑るときのことも抜かりなく考えていた。
ただ一点、それら出来上がった仕上がりが、カーラが予測したデザインと似通うことを忘れている。
桜屋敷にデザインが通って一息吐いた仕立屋に、南城が続けて注文を入れる。手に、参考にするファッションのアイテムを数点携えていた。
「よう、悪いな。追加で俺の服も仕立ててほしいんだが」
フランクにお疲れの仕立屋に話しかけ、相手が新しく紙とペンを携えたところでペラペラ話し出す。饒舌に望むデザインを話すファッションを、桜屋敷は物珍しそうな顔で見ていた。今回は実物が目の前にあるのでわかりやすい。仕立屋は南城が見せる実物の服と理想のコーデを折衷し、一旦出来上がったラフを見せる。
「お! そんな感じだ!! やっぱ仕事にしているだけあって凄いな。それで、この部分を」
淡々と注文をする桜屋敷と違い、南城のオーダーは抑揚が付いている。相手を褒めてから細かい注文を伝える。欧米のやり口だ。桜屋敷は紙に出来上がるデザインを見て、目を閉じる。静かに腕を組んだ。
「そんな感じで、アウターの腕の部分にはこれで、ロゴみたいな感じで文字を入れてくれ。そうだな」
腕のタトゥーと同じものを入れるところで、文章を考える。思い浮かんだものを口にすると、仕立屋は平面にロゴを描いた。出来上がった平面に「そう、それ」と南城は機嫌を良くする。自然と、桜屋敷は口元に扇子を当てたとき同様の目をしていた。万事上手く策の通りに進んだと、目を細めている。
「そんな感じで進めてくれ。って、なにニヤニヤしてんだ。キモイぞ」
「あ? 鳥頭でよーく思い出してみろ。この低能ゴリラ」
「はぁ? あっ」
ぽくぽく、と木魚を鳴らせる間の元に、南城は心当たりに思い付く。不意に驚いた声を漏らすも一瞬だけ、カッと怒りで顔を赤くした。フルフルと肩を震わせている。桜屋敷は南城から目を逸らし、必死で笑いを噛み殺そうとしていた。ギュッと唇を噛み締め、片方の頬を膨らませている。
「このッ、陰険眼鏡!! お前のカーラに合わせて作ったわけなんじゃねぇぞ!?」
「どうだか。逆に、俺のカーラが高性能であると証明されただけだな」
「調子に乗るなよ? ド腐れ眼鏡!! あれは俺が自分の頭で考えたもんだッ!! メカキチと一緒にすんな」
「俺のカーラがお前の思考を読み取ったということだ。素直に負けを認めろ」
「誰が認めるかよ。ロボキチ。どうせ。お前だってカーラのデザインじゃ満足してないところもあるんだろ? 指輪はどうしたんだよ。指輪は」
「あ?」
「あの様子じゃ、ピアスはしてても指輪はしていないようだったぜ? ほら、高校の頃してただろ。指輪」
「あぁ、してたな」
「それを忘れてるようじゃ、まだまだ機械は人間様の足元にも及ばないってところだろ」
「カーラをお前と一緒にするな。ド阿呆。全体的なデザインを見当した結果、指輪は不要だと判断したまでだ」
「じゃ、その指輪はなんだよ?」
桜屋敷の手前にある、カウンターに置かれた指輪を指摘する。南城の視線が不機嫌そうに、四つの指輪を差した。小指と中指、それぞれ一つずつである。薬指や親指に嵌めるのもいいが、似たようなサイズとデザインは家にある。自宅にある小物を見当した結果、桜屋敷が買い足したものだ。
「俺の趣味だ」
素知らぬ顔で桜屋敷は返す。
「じゃぁカーラの予報は外れてるだろ!? まだ俺の方が上だ」
変なところで南城は張り合う」
「予報じゃない! 予測だ!! 予報は主に天気予報で使われるものだ。ボケナス」
「んな細かいところまで誰が気にするかよ。本当ネチネチと小言がうるせぇなぁ! お前は!!」
「お前が雑なだけだろ!! お前が! チッ! んっ」
「あ? なんだよ」
「見てわからんのか。手を出せ」
「はぁ?」
「違う! 左手の方だ!! ド阿呆!」
「なにがしたいんだよ。手前ぇは。変なことをしたら、大声を出すからな」
はぁ、と溜息を吐きつつ地団駄を踏む桜屋敷に付き合う。顎で指図してから命令口調で指示を出すとは、何様か。
「ゴリラがドラミングでもするつもりか?」
オマケにムカつくこともいう。ピキッと南城の頬に青筋が立った。それを無視して、桜屋敷は南城の左手を取る。自分で買おうとした、少しサイズが大きめの指輪を褐色の指に嵌めてみせた。
「はっ?」
「あぁ、やはりサイズがデカいか。しかし、線が太いのは捨てられんな。ふむ」
「なっ、おまっ、ほ、他にいうことがあるだろ!?」
「あ? うるさいゴリラを黙らせるにはこれが早いだろ」
「ロマンもへったくれもねぇなぁ!! こういうのは、もっとムードを作ってからやるもんだろ! この童貞眼鏡!!」
「誰が童貞だ!? いっておくが、俺だって女と付き合ったことはあるからな!? ムードくらい、作ろうと思えば作れるに決まっているだろう。阿呆が」
「本当かよ。今、ここで! ちっともなにも作れなかったじゃねぇか!!」
「それはお前が相手だからだ! ド阿呆!! ゴリラにムードもへったくれもあるか! 低能ゴリラ」
「こういうのは普段からできているかどうかで分かれるんだよ! へたっぴ眼鏡!! 俺でサイズを確かめるなよな。ったく」
「やはり嬉しくなかったようだな」
「てめっ! わざとかよ!?」
ダンッ! と他人の店だというのに、南城は力任せにカウンターの天板を叩く。ミシッと板に亀裂の兆しが生じる音が生まれた。カウンターの前でギャアギャアと騒ぐ男を横にして、店主はただ思う。(頼むから弁償としてそれを買ってくれ)と。あのカウンターが軋むような音を上げたほどだ。きっと、あの巨体な褐色の男の指に嵌まった指輪も、同じように品質に傷が付いただろう。時限爆弾を持った商品を店頭に並べるには、自殺行為が過ぎる。一番最適な解決方法は、嵌めた本人が買って持ち帰ることだ。
店主は仕立てに必要な材料の仕込みと時間を伝えて、仕上がりの日時を伝える。流石に二人は喧嘩をしなかった。
「あぁ、問題ない。それで頼む」
「妥当だな。もし出来たら連絡をしてくれ。取りに行くから」
「俺は送ってくれ。先に配送料込みで支払ってもいいか?」
服の受け取り方はそれぞれ違うらしい。両者のオーダーを聞いて、店主は会計に移ろうとした。レジを開く。請求先は、あの青年でいいだろうか? 店主は目の前の成人男性二人に確認しようと、渡された名刺を探った。
「それと、こいつも一緒の会計で頼む。どうせ持ち合わせが足りないだろうからな」
「誰が金欠だッ! これくらい、俺でも支払える、あっ」
「はぁ。一括で」
ブラックだ。店主は桜屋敷からクレジットカードを受け取り、機械に差し込んだ。金額を入力し、客に暗証番号の入力を頼む。それから出てきたレシートを桜屋敷に渡した。
どうやら愛抱夢の金では買いたくないらしい。妙なところで律儀というか、愛抱夢と張り合う。
レシートの金額を確認した桜屋敷は、納得したように領収証を懐に踏まった。桜屋敷の金の使い方に、南城は顔を顰める。理解できないようだ。
「妙なところで使ってんじゃねぇよ。俺は愛抱夢のツケで頼む」
南城は愛抱夢の金を使った。「お前にプライドというものはないのか、ぼんくら」桜屋敷が鋭く南城を咎める。「愛抱夢が好意で出したものを、使ってなにが悪い。そんなにあれだったら、お前も使えばよかったじゃねぇか」捻くれた桜屋敷の八つ当たりに、南城は正面から返す。「俺は愛抱夢の金は使わない。俺は金があるからな」悪びれもなく断言する桜屋敷に「あっ、そう」と南城は冷めた視線で返す。金というものは、いつ暴落するかもわからない。昨日まで価値のあった紙幣が、翌日にはチリ紙以下になることもある。歴史というものは、繰り返すものだ。
仕立屋は南城に控えの領収書を渡す。カウンターにはまだ購入された指輪が置いてある。包みましょうか、と仕立屋が尋ねると「いや、いい」と桜屋敷は断った。既に値札を切った指輪を、裸のままポケットに入れる。残る指輪は南城の左手にあるままだ。それの値札を切りたいが、切り出すタイミングが判断に困る。
「おい。ゴリラ」
「誰がゴリラだ。陰険眼鏡」
「ゴリラに反応したからゴリラだろう。って、違う。おい。一旦外せ」
「は? 一度人にあげたものを返せって、お前。どういう神経してんだよ」
「阿呆か! 店主が困っているだろう。お前に嵌めているものはまだタグを取っていない」
「あっ。って、元を辿ればお前が原因だろうが!! この陰険眼鏡!」
「そのまま持ち帰ろうとした方が大問題だ。ボケナス。類人に人間様の生活は早かったと見える」
「ヒョロ眼鏡が調子乗ってんじゃねぇぞ? 外そうとするタイミングがなかっただけだ!」
「あっただろう。俺が会計をするときとか」
「あのときは自分の手持ちと相談してたんだよ! すかたん!!」
「無い手持ちと相談するとかワケが分からん! やはり、俺の方が一手上手だな」
「ふざけんなッ!! 俺が本気になれば、お前みたいなヒョロ眼鏡なぞ、一発でお陀仏だ」
「ほう? そのような素振りはちっとも見たことはないが?」
「テメェ。マジで調子に乗るなよ」
プルプルと全身が震え、声にドスが乗る。パチンとタグを切り終えると、仕立屋が終わりましたよ、と声をかけた。そのまま振り向きもせず、成人男性二人は店を出る。どうやら火の粉を仕立屋にかけないようにと気を遣ったのらしい。彼らはあのままギャアギャアと激しい口論をしながら、店を出て行った。
ようやくカウンターでの喧嘩から解放されて、仕立屋はホッと息を吐く。胸を撫で下ろす彼とは反対に、そうっと畳んだ服が陳列される棚の後ろから、四名が顔を出す。暦とランガ、実也とシャドウの四名だ。一応〝S〟に関連したイベントなので、彼はお得意のパンクメイクを自身に施し、目深にフードを被っていた。
「帰ったか?」
暦がそうっと警戒しながら、店の出入り口を見やる。
「帰った、帰った」
手で庇を作り、周囲を見渡すランガが返す。
「本当、良い迷惑だったね」
実也が呆れたように、頬杖を衝いてコメントをした。
「本当。飽きねぇよな、アイツら」
シャドウも続けて、同じコメントをする。彼らは同じ意見を持っていた。先に店にいたのは暦とランガで、それから実也、続けてシャドウが入って行き、和気藹々と着たい服で盛り上がっていた。そこから知らぬ間にチェリーが入店し、ジョーがチェリーと喧嘩の騒ぎを起こしたところで二人の存在に気付く。咄嗟に、暦が本能で飛び火の危険を察知して逃げた。物陰に隠れた暦にランガも続いて隠れ、「なになに!? なんなの!?」と実也も続く。「なにが起きたんだ!?」シャドウも釣られて同じ場所に隠れた。ランガは暦の真似をしただけである。暦一人が起こした行動で、三人が同じ行動を取る嵌めとなった。
嵐が過ぎ去ったことを見て、暦は立ち上がる。
「ジョーのおかげで愛抱夢の金で買えることわかったし、俺も使おーっと」
「愛抱夢すごいなぁ。お金持ちなのかな?」
淡々と暦が頭の後ろで手を組みながら歩き始めると、ランガがキラキラした目で二人を見やる。実際に愛抱夢と会ったりビーフしたことがある二人だ。
愛抱夢とビーフした暦ではなく、会った方の実也が答える。
「さぁ。今度本人に聞いてみたら?」
「服をオーダーするにしても、予算は限られてるはずだろ。とりあえず、俺は手持ちの服でどうにかしてみるか」
「えぇ!? シャドウ、あの〝S〟コスチュームで外に出るつもりかよ!? その姿、店長が見たらどう思います?」
「うるっせぇ!! 俺はアイツらと違ってTPOを弁える男だからな。このメイクに合う服の一つや二つくらい持ってるんだよ!」
「本当に? あの服装以外のヤツが?」
「あるの! ま、あの服が〝S〟では一番の正解だったと自負してるがな」
「あっそう。僕は一旦持ち帰って考えることにするよ。おじさん、愛抱夢って人から渡された予算って、どのくらいなの?」
「うっわぁ、がめつっ。流石チェリーをママと呼んだことあるぜ」
「チェリーってママなの?」
「そこ、うるさい。予算の限度額を把握することなんて、シャカイジンとしてジョーシキでしょ」
「ンマッ! やだわ、この子ッ!! こんな子に育てた覚えはないわよ!?」
「ウワー、ナイノダー」
「そこ、うるさい」
二度目のうるさいは声に抑揚がない。下手な演技をする暦と棒読みするランガに釣られての返事だ。シャドウは下手なドラマを演じる男子高校生を、呆れた目で見やる。いつだって保護者役は大変なのだ。
「まっ、たまには高いのを買うか。せっかくの貰った金だからな。どうせなら現金がよかったぜ」
「服に使われるとは限らないじゃん」
「あー、確かに。スケボーのパーツや飯代に使いそうなヤツがいるもんな」
「ぶえっくしょん!」
「うぇっくし!! Bless you. うぅ、もしかして風邪?」
「知らね。寒くもねぇし」
「近くでくしゃみしてるの、初めて見た」
「な」
「とりあえず服買おうぜー」
タッタッと暦はカウンターに近寄る。続けてランガも近寄り、実也もどうにか背を伸ばして手元を眺める。シャドウはその様子を見たあと、店内に置かれたお立ち台を実也の足元に置いてやった。それを実也は使う。新たなオーダーメイドの注文は二件。後日実也からの件を含めば三件になるが、この件は問題ないだろう。パーツが揃えば骨は折らない。一から裁断することなく、既存の商品に改良を加えることでできそうだ。ホッと胸を撫で下ろす。白化粧を施したオレンジ色の髪をトサカのように逆立てた男についても、問題はないだろう。仕立屋は仕事に取り掛かる。
服を作る間に、新たな注文が舞い込んだ。今度は奇抜な衣装である。目を丸くする仕立屋を他所に、連れて来た男が呆れた目でデザインラフを出した男を見る。
「本気か? 忠」
「えぇ、本気です。好きなもので固めようかと」
全身を生牡蠣まみれにしようとしたファッションを、死ぬ気で止める。そんな必死に食い下がる神道愛之介の姿を見れるのは、ここしかない。新たな注文が舞い込む中、仕立屋は二つ返事で引き受けたことを後悔する。
誰も知らない物語であった。