都市伝説けだま

 ラーメンの好みは人それぞれだ。太い麺が好みの人間もいれば、細い麺が好みの人間もいる。同じ濃いスープが好きだといっても、味噌と醤油とでは大違いだ。大豆の加工すら違う。「味は変わってなかったな」徒歩の帰り道、桜屋敷は呟く。AI書道家、桜屋敷薫のファンの目は周りにない。暑さで疲れたこともあって、体力の付くものを食べたい。そう思った矢先に目に入ったものが、学生の時分に食べに入ったラーメン屋であった。「引き継がれているらしいからな」当時の味が、という主語を省いて南城がいう。イタリアンレストランの店を持った今でも、ちょくちょく食べに行くことがあった。そんな折に、いつもの店でばったり遭遇したのである。「なんでここに」「そっちこそ、なんでここにいるんだよ!?」互いの姿を見て、目が合った途端、眼光が鋭利な刃物となる。青筋を頬に浮かばせ、嫌だ嫌だと口でいう。その癖、しっかり肩を並べてカウンター席に座った。カウンター席に、ガタイのいい男二人が座る。樟脳の匂いが沁み込む着物にラーメンの香りが沁み込む。着物から香る匂いに食欲を削がれたのか。南城が横目で桜屋敷を見る。嫌気が差した顔をしていた。それを桜屋敷は気にしない。ラーメンの匂いが沁み込んだとしても、クリーニングに出せばどうにかなる。あとは風通しがいい日陰で干すだけだ。昔と変わらず同じオーダーでラーメンを頼み、完食する。南城もまた、学生の頃から変わらないメニューでラーメンを食べ終えた。
 その帰り道のことである。
「聞いた話だが」
 唐突に南城が話を切り出す。なんだなんだ、と桜屋敷が視線で尋ねる。鋭い目付きは変わらない。そのへの字に閉じる口角だけが、桜屋敷の相槌を示す。
「この辺り、出るらしいぜ」
「なにが」
「オバケ」
 ニヤリと笑う横顔に、はぁと桜屋敷は溜息を吐く。相手にして無駄だった、時間の無駄だった。そういいたげな顔付きである。実際、態度に出ていた。それを南城は気にも留めやしない。
「毛糸玉みたいに丸くて、フワフワらしい」
 まだ続くのか、と視線だけで咎めてくる。蜂蜜色の眼が見せるイラつきに、南城はビクともしない。話を続けた。
「動物みたいな耳も生えていて、なんと見た人間の顔をしているらしい」
 フワフワの毛玉──で、ケサランパサランの都市伝説を思い出す。それと同じ類か、派生した話か。南城と同じ考えを持つと思われたくなくて、桜屋敷は口にすることを止めた。もしここで南城以外の何者かがケサランバサランに似た言葉を話すようであるなら、説明をしないわけでもない。桜屋敷は頑固な態度を取った。
「出たら面白いよな」
「女との話に使うんだろ」
 どうせそのつもりだろうと口に出して聞けば、図星だ。無言のまま、フッと南城は口元で笑う。目も閉じていることから、いうまでもないということだ。(だろうな)ハンッと胸中で桜屋敷は毒づいた。手首のバングルにいるカーラは、なにも答えない。川辺を歩く。小さな島を囲む潮の匂いが、鼻腔を擽った。そんな折、近くの草むらが動く。
「ん?」
 桜屋敷が気付いて声を上げる。顔も向けた。この行動に南城が釣られた。「どうした?」質問した途端、音の正体に気付く。草むらが動いた正体は、ふわふわのぬいぐるみだったからだ。あの形からすると、紐を引っ張るタイプだろう。正円のぬいぐるみであの動きをする場合、紐で引っ張るタイプで見かけた。過去に一度見たっきりの映像で、南城はそう判断する。
「オバケの正体、見たりだな」
「くだらん」
「ビビッてんのか?」
「誰がだ。脳筋ゴリラッ!! あぁいったものは、放置しておくのが、あっ。おい」
 挑発する南城に噛みついて理論を口に出せば、途中で止まる。相手は聞く耳を持とうとしない。挑発をしてきた時点で知れていた。はぁ、と桜屋敷は呆れた視線を向ける。南城は道端に落ちていた長い棒を拾い、震動する正円のぬいぐるみに近付いた。
「どれどれ、どんな様子かなっと」
「お前、そういうところが変わらないな」
 成人した自覚を持て、といわんばかりに嫌気を滲ませる。桜屋敷の放った一言に、二言分の会話の情報が詰まっていた。
「俺は少年の心を持ち続けるタイプなんだよ」
 その発した一言に含んだ二言目に、南城が打ち返す。聞き流すだけなら、外部の人間でも会話が成立していることがわかる。どこで会話のボールを打ち返すかに注目すると、外部の人間には到底わからない。桜屋敷と南城だけにしかわからない会話のやり取りをしていた。
 ガサッと草が分け入った音が聞こえても、正円のぬいぐるみはびくともしない。顔の正面を互いに擦り続けている。南城の手にある長い棒が突くと、ビクッと暗いアイボリー色のぬいぐるみが跳ねた。焼きたてのパンのように茶色いぬいぐるみの方を突いたにも関わらず、である。そちらは驚いて動きを止めただけだ。(電池がなくなったのか?)固まる茶色いふわふわのぬいぐるみに対して思う。
「うーん?」
「おい。気が済んだか。そろそろ帰るぞ。って、おい! そんなものを触るな!!
「落とし物であるかもしれないだろ? ん?」
 感じる熱さは手の体温だろう。そう感じたが、違うようだ。気付いた違和感に南城は視線を下げる。顔の正面をくっついたまま持ち上げたぬいぐるみは、綿とは違う触感を持っていた。内臓の動きに合わせてぬいぐるみの皮は脈動し、指先に震えが伝わる。南城自身の腕によるものではない。原因が自分の肉体にないとすれば、手にある物体からだ。しかも、あると思われたスイッチの紐はない。それがあったような形跡さえない。手の平や指に触れる尻尾がわかりやすいほど揺れた。
(んん?)
 疑問の許容値が限界まで突破する。我慢できなくなった南城は、バッとぬいぐるみを二つに割った。ウサギと──なんだろうか、犬というには耳が熊の形に似ている──の胴体部分に、人間の顔が付いていた。
「えっ」
 しかもウサギは桜屋敷、犬か熊かには南城、自分の顔である。サーッと南城の顔から血の気が引いた。
「おい。そこのゴリラ、どうした」
 自分たちが歩いてきた道からは、しっかり桜屋敷本人の声が聞こえる。さっきまで一緒に歩いていた桜屋敷が、このウサギに変わり果てたということはないようだ。だからといって、なぜ正円のぬいぐるみに自分たちの顔が?
 うごうごとぬいぐるみが抜け出そうとする。手足もない正円の身体で、いったいどうするつもりか? 南城は固まる。ウサギの桜屋敷は顔は赤く、摩擦によるものだ。同様に犬か熊かわからない南城の顔にも、同様に摩擦の熱がある。
(は? お、俺と薫で顔を擦り合わせていたとでもいうのか? はぁ!? 何のために!?
 頭で混乱が起きた。〈都市伝説〉だと侮ったのが仇となった。現に都市伝説が、口にした南城の目の前で起きている。手という皮膚の受容器の上で、正円のぬいぐるみが動く。うごうご、うごうご、南城の手から抜け出したいようだ。ベロン、とウサギのぬいぐるみが下腹らしきところから舌みたいなものを出した。
「うわッ!?
 驚いた南城が手にしたぬいぐるみを全て放す。それらは全て生き物だったようだ。眼鏡で視力を上げる桜屋敷の目にも、しっかりぬいぐるみの正面が映った。自分の顔と南城の顔が胴体にある生物に、桜屋敷は目を丸める。袂に手を入れて腕を組んだ態勢のまま、ピシッと固まった。カーラが分析を始める。バングル越しに捉えた映像の画像を解析し『未知の生命体です』と結論付ける。予想だにしない生物の登場で、桜屋敷は腰を抜かしそうになった。それを聞けばもっと驚きそうなものが、南城である。なにせ真新しいぬいぐるみかと思って、素手で触った。
 生物が逃げ出した手に残るのは、べっとりとした感覚である。生き物特有の温もりと脈動よりも、あのウサギが出した舌による感覚が生々しかった。
(はぁ!? 生殖器!? 馬鹿な。じゃぁ、俺の、いや、そんなわけない!!
 仮にウサギが雄の生命体だとしたら、南城の顔をした生物も雄であれば同じことをしたはずだ。鳥や獣のように小脳や大脳が発達しても、動物であれば生命の危機的状況で敵を怯えさせる行為を取る。そうでなければ種が絶滅するからだ。自分の顔を象った生物がそれをしないことは、考えられない。南城には謎の自信があった。それも今や、打ち砕かれようとしている。
 ──ウサギのぬいぐるみが雄の生殖器を出して威嚇したことをしないということは、つまりあのぬいぐるみの生命体は雌──。
 そこまで考えて、南城は勢いよく頭を横に振った。
「んなわけあるかッ!」
 声に出した。言葉の威力は強い。実際に口に出すことで、脳はそれが事実だと認める。肩で息をする南城の声で、フリーズした桜屋敷が意識を戻した。ピクッと肩を動かし、ハッと息を呑む。即座に平常心を戻し、草むらにいる南城を見た。
 クルッと身を翻し、桜屋敷のいる川辺の道まで戻る。大股で歩き、人間の文明が築いた硬い地面の上に立った。
 排気ガスが混じる潮の空気を吸い、深く溜息を吐く。
「くそっ。早く洗いてぇ」
「さっき触ったヤツはなんだったんだ。UMAか?」
「知るかッ!! 俺はなにも見ていない」
「無理があるな。お前、触っていただろう。それでわかったことはないのか」
「だったらお前が触ってこいよ。腐れ眼鏡!」
「お前が逃がしたんだ。どうしようもない」
「とにかく、俺はなにも見てない!」
「チッ」
 これ以上問い詰めても無駄だ。頑なに答えようとしない南城に舌打ちをし、桜屋敷は扇子を取り出す。軽く帯に差し込んだ扇子から、風を扇いだ。涼しい顔で涼む桜屋敷を、南城は悔しそうに睨みつける。まさか雌雄の立場までもが反映されていたことを、この男は知らないだろう。屈辱も甚だしい。復讐を心に誓うものの、これといって特に思いつかない。ビーフや他で勝負するにも、関係ないことばかりになるからだ。
 涼しい顔で生温かい風を受ける桜屋敷が、口を開く。
「喉が渇いたな」
「デザートなら時間がかかるぞ」
「あるだろ」
「ない」
「ほう。そんなに自信がないか」
「乗らないぞ」
「チッ」
 ただ飯食いの予定は倒れた。南城は作ってくれないらしい。試作品で腹を満たしたりりょうを取ったりすることもない。あとは帰るだけとなるか。
「なにか適当に作ることはできるだろう。夜食とか」
「たかる気かよ」
「俺は当然の要求をいったまでだ」
「どこがだ」
 といいつつ、既に頭の中では献立ができている。南城は考える。あの都市伝説を忘れることを考えれば、渡りに船だ。癪ではあるが、桜屋敷の提案に乗ってやらんこともない。
「また遅くまでかかるのか?」
「仕事だ」
 それ以上は答えない。ならばいつものルーティンだけをして寝ればいいだろう。南城は明日も早い。帰るついでに日課のジョギングをすればいい。
(朝飯も作るとして、あぁ。薫んにあれはあったんだったか?)
 どうせ朝も遅いなら、ついでに朝飯も作ってやろう。それはそうと、桜屋敷は唐突に仕掛けてくることもある。あれら必要な分が桜屋敷の家にあるとは限らない。南城は少し考えて、代案を出した。
「家、寄っていいなら」
「なら俺は先に帰る」
 代案は受用された。桜屋敷の歩くスピードが速くなる。スタスタと歩く桜屋敷に合わせて、南城も分かれ道を見逃さないよう気を付けて歩いた。気を抜くと、このまま桜屋敷の家まで行ってしまう。なにも触らないようにする左手を、気になって見た。
 まだベトッとした感触が残っている。失せたヌメり気で張り付く感覚は、ちょうど雄の生殖器から発射する液体が生じる感覚と似ている。「げっ」桜屋敷が顔を歪めた。
「それで俺やカーラに触るなよ」
「触ってやろうか」
「コロス」
 桜屋敷の逆鱗に触れた。都市伝説は記憶の外へ捨てる。南城は高校生の頃と変わらない敵意ある桜屋敷の殺意を、まじまじと眺めた。