喧嘩をしないのか? チェリジョ

「俺のことを考えているだろう」「俺はいいんだよ」


 ある日の〝S〟でビーフが執り行われた。対戦はスノウとジョー、いつかのリベンジだ。「今度こそ、勝たせてもらうぜ?」スケボーの経験年数は、ジョーの方が高い。「俺だって負けないから」十五年もスノボーをやっていたスノウも勝ちを譲らない。愛抱夢にも勝ったのだ。〝S〟の初期メンバーで実力の一角に入るジョーと、常勝を続けるスノウのどちらが勝つか。勝負の行方はわからない。鑑賞広場の巨大なディスプレイの前で、スケーターたちは手に汗を握った。ジョーのトリックが決まれば歓声が沸き起こり、スノウがトリックで一歩リードすれば、また歓声が上がる。「あれ? チェリー、どこ行くんだ?」レキが気付く。「先にゴールに行く」チェリーは肩越しに答えた。どうやらモニターで見守るより、肉眼で決着を見守るらしい。それもそうかとレキは納得し、近くにいるシャドウに尋ねた。「そっか。俺らも移動しながら見ね? 車出してくれよ。シャドウのおっさん」「おっさんじゃない! まだ二十四だ!!」陽気なレキの要求に、シャドウのツッコミが炸裂した。
 IDとパスワードをいれれば、クレイジーロック内に届く電波を用いて、ビーフの中継を見ることができる。バイク型のカーラでゴールまで走りながら、ビーフの行方を見る。坂を下るスケボーは時に時速百二十キロを超える。限界までバイクを走らせても、ギリギリゴールに間に合うかどうかだ。今回、灰工場へ入ると同時にチェリーは着いた。レキたちはまだ来ていないらしい。トーナメント戦と違い、ジョーは真っ向勝負でスノウに勝負を挑む。揺れる鋼の建材を用いた妨害を行わない。純粋な実力の勝負で、僅差で負けた。スノウがギリギリのところで勝った。「やったじゃん!」嬉しそうにレキがスノウに駆け寄る。「もう少しで負けるところだった」ビーフの興奮が冷めぬまま、スノウが嬉しそうに話す。
「あーあ、負けちまった」
 居心地が悪いのか、ジョーはボリボリ首の後ろを掻く。見れば魚の形を模したデッキも、角が多少擦れていた。ツカツカとチェリーは大股で近付き、ボードで守ってない方の足を蹴る。
「いてっ!」
「進入角度が0.3度甘い。トリックの精度にもう少し気を払え。原始人」
「細けぇんだよ! お前は!! そんなに俺のことを考えていたのか?」
 搦め手を使い、ニヤリと笑う。普段ならば、ここで仲の悪い喧嘩が始まるはずだ。
「お前だって俺のことを考えているだろう」
 チェリーの発言に、ざわッと周囲がどよめく。空気が凍った。踏ん反り返るチェリーに、ジョーも胸を張った。
「俺はいいんだよ」
「は?」
「ちゃんと分けて考えているからな」
「説得力がないぞ。負け犬」
「お前だって愛抱夢に負けただろ」
「俺はルーキーには負けていない。一緒にするな」
「一緒だろ! 愛抱夢に負けた癖に!!
「違う!」
 言い合いに戻った。スノウは近くにいるレキに向かって「なんか、俺って出汁に使われてる?」と尋ねた。どこかで『出汁』という日本語を覚えたのだろう。「さぁ、知らね」いつもの喧嘩を始める大人二人を遠巻きに見て、レキは他人の振りをして答えた。



桜に攫われたのに。


 マッスルジョーもとい、魔法使いのジョーは攫われた。今日も継母や義姉たちに扱き使われるシンデレキを不憫に思い、彼女の願いを叶えるために材料の調達に行ったのだ。その道中、死体を養分とする桜に攫われ、自前の筋肉でボコボコに打ちのめした。実体のあるものは圧倒的な暴力に敵わない。桜の木は加工がしやすく、耐久性も高い。狂いも少なく耐水性はあるが、如何せん木材自体が重い。スピードに影響が出るだろう。シンデレキの求む木材としては、少し外れている。それはそうとして、せっかくのシチュエーションだ。その場でスクワットをし、簡単な使い魔を作り出す。『シンデレキへ。俺はもう駄目だ。桜に攫われてしまった。もしチェリーに会ったら「くたばれ」とだけ伝えてほしい』これで挑発は抜群だ。丁寧に紙に文字をしたためて、手紙を出す。
 一時間、二時間、数時間。いつまで経ってもこない。シンデレキの家から一日もかからない距離であるというのにだ。
 マッスルマジックの使い手であるジョーは、痺れを切らして迎えに行った。ズンズンと屋敷に上がる。「あれ!? ジョー!? もう駄目っていってなかったっけ!?」驚くシンデレキの問いかけを無視し、屋敷の相続権を持たない連れ子の一番上の部屋の扉を開ける。
「おっせぇんだよ!! クソ眼鏡!」
「やっぱり無事だったな」
 一方的に話を打ち切り、カーラのメンテナンスに入る。「手紙を出す余裕がある時点で変だと思った」憤るジョーに淡々と根拠を話せば「だからって無視するか!? 普通!」と怒りを携えてチェリーに畳みかける。それでも当のチェリーは知らんぷりだ。愛する人工知能の手入れを怠らない。
「お前が攫われるわけないだろう。馬鹿が。もし本当だとしたら、あんな手紙を出す暇などない」
「ロマンのわからねぇヤツだな! 少しは期待するだろ」
「俺がお前の心配をするとでも?」
「少しはしただろ」
「手紙の時点で消し飛んだな」
 チッ、とジョーは舌打ちをする。便りを出した裏目が出てしまった。「髪を振り乱してくるとか」「お前のファンはやるだろうな」「少しは心配しろよ」「ケツの準備でもしてろ」「クソ眼鏡」ギロリとジョーがチェリーを睨んだ。



気分じゃないときは腕力で拒否できる。


 桜屋敷が南城にモーションをかけようとすると、腕力で振り解かれた。肩を押してみるが、ピクリと動かない。試しに力を入れ直せば、南城が肩を軽く回す要領で腕を剥がしてくる。痛くはないが、微かな拒絶を感じる。眼鏡のレンズに光を反射した桜屋敷は、静かに口を開いた。
「おい」
「気分じゃない」
 ぴしゃりと南城は大きな声で言い放つ。掠れる桜屋敷の声と違い、明瞭だ。嫌でも耳に入る。ギュッと桜屋敷の眉間に皺が寄る。ついでに眉も吊り上げた。
「ケツの準備がまだだからか?」
「今日一日はヤる気分じゃない」
「時間がないなら口でもいい」
「するのは俺だろ!? だから、そういう気分じゃねぇって」
「キスでもか」
 ビクッと南城の身体が跳ねる。桜屋敷が自らキスをするとは珍しい。滅多にない要求に、首の筋肉が緩む。「まぁ、キスだけなら」目を閉じ、要求に応える。「してやらんこともない」自分の優位性を保ったまま、桜屋敷に頭を引き寄せられる。何度も他人で経験したというのに、初めてしたときみたいにぎごちなくなる。(童貞か)と緊張する己に、南城は毒を吐いた。唇が重なるだけである。ここから舌が入るのかと思いきや、桜屋敷の手が、南城の頭を下腹部へ降ろそうとする。
 ギュッと、首を始め全身に力を入れて抵抗した。
「おい」
 ピクリとも動かない南城の筋肉の強さに、桜屋敷は不満を上げる。
「だからヤる気分じゃねぇっつってんだろ。発情眼鏡」
「少しは妥協しろ」
「するか」
「俺は仕事の合間を縫って、相手してやったときもあったぞ」
「あれはお前が仕事に行き詰って俺を抱いただけだろ」
「自覚しているのなら抱かれろ」
「だからヤる気分じゃねぇって」
 退かない桜屋敷の要求に、南城の怒りが強まる。声も荒っぽくなってきた。素面の桜屋敷と違い、南城の頬や米神に青筋が立っていた。それほど嫌らしい。どんなに口で畳みかけようとも、南城はそういう気分を起こさない。
「優しく抱いてやる」
 目を閉じて嘘を吐けば、南城がすぐに見破る。
「嘘つけ! いつ誰が、そんな抱き方をしたって?」
「ほら、あのときの。一度くらいあるだろ」
「記憶にない」
「お前が忘れているだけだろ」
「忘れてない」
 話が食い違う。南城の主張に、眉を顰める。吊り上がる眉尻に、困惑と迷いが生まれた。



傷つけそうなので受に回る。


 桜屋敷と南城は女と交際をした経験はある。なんなら、異性と性的な交際をした経験もあった。そうした過去の経験も、今の気持ちを確かめる過程になるであろう。作ったカルボナーラをカウンターで食べる桜屋敷を見ながら、南城は考える。「好きだなぁ」の気持ちは口には出さないものの、胸の中で言語化はできる。その気持ちは認めていた。決して口に出そうとはしない。死んでも断る。墓まで持っていく気だった。(男同士でもできるんだよな)過去に一度は調べたことはある。穴を拡張するために一ヶ月ほど準備に時間はかかるが、手順を間違わなければ日常生活に支障を来たさない。
 ここで、桜屋敷と南城の体格の違いに気を留める。桜屋敷と比べ、南城の体格はデカい。腰幅も異なれば、筋肉も異なる。「お前にできて俺にできないことはない」対抗心で桜屋敷も穴を拡げるに違いない。しかしながら、それは一歩間違えば日常生活に支障を来たす要因だ。「カーラの管理で、俺がそういう過ちを犯すわけがないだろうが。馬鹿がッ」苛立つ桜屋敷が、そう罵倒を含めて返すに違いない。それでも桜屋敷が抱かれるために準備を進めてほしくはなかった。
 南城が抱く側に回れば、女を抱くことと重ねることもある。
 桜屋敷を抱く側に回れば、愛抱夢を追いかけた桜屋敷の視界から消えないように、追いかけようとした虚無感も思い返すことにもなる。
 今は、──過去の経験や培ったものもあり──問題はない。桜屋敷は未だに愛抱夢を追いかけているものの、あの頃に感じた虚無感や不安を感じることはない。南城は安心して自分のスケートや仕事に取り組むこともできる。もし抱く側に回れば──女の心を射止めて人生の一部の時間を奪うという体験もあり──、桜屋敷を追いかける立場となる。
 過去散々と煮え湯を飲まされた身となっては、逆の立場を突き付けたい。追いかけられる側として多少の憂さを晴らすことは、なにも悪いことではないはずだ。
 一度は桜屋敷も、隣にいつもいるのにいつか離れるかもしれない焦燥感に身を焼かれるといい。それに、体格差の問題もある。
(俺が抱かれる側に回った方が得策だな)
 桜屋敷のことだ。変にスイッチを入れたら極限まで拡張する恐れもある。そうした最悪の事態を防ぐためにも、南城が抱かれる側に回った方が早くに話は収まった。
 独りで納得していると、桜屋敷が目聡く気付く。野生の勘だ。良からぬことを考える南城に、睨みを利かす。
「おい。今、なにか考えていただろ」
「別に」
 怒気に籠められた追及を流し、南城は何食わぬ顔で無視した。



「ちょっとその書類を書いておいてくれ」で婚姻届けだったときの様子


 最近、桜屋敷は南城が自宅や書庵にいても〈違和感〉を感じなくなった。この〈違和感〉とは場にそぐわない相手が存在することに対する身構えのことだ。自宅はともかく、書庵は仕事の場だ。ここで顔を合わせるたびに喧嘩をする幼馴染がいては、気が散る。そこは南城も大人なのか。とくに桜屋敷が噛み付かない限りは仕事の邪魔をしないでおいた。そういうこともあり、桜屋敷は南城が自宅や書庵にいても、特に気にならない。そういう状態に落ち着いていた。
 ある日のこと、桜屋敷は二件同時の依頼に頭を悩ませる。いつかの宮古島の旅館と同じケースだ。モダン和室の広い室内に合う水墨画と、書作品の二つ。間取りや部屋の雰囲気を考えて、巻物や額縁の柄も考えなければいけない。依頼人のオーダーにある少ない情報から、一番的確で最適なデザインも考えなければならない。絵の構図を考えることもあった。愛するカーラの手を借りるには、まず方向性を人間の頭で考えなければならない。桜屋敷は考える。
 南城は悩む桜屋敷を見ながら、気分転換になるものを出した。
「ほらよ。デザート」
 甘味はいい。糖分は脳に栄養を与える。一向に良い考えが思い浮かばない桜屋敷は、パフェをスプーンで掬う。焼いたメレンゲが良い味を出している。甘酸っぱいイチゴ味が、無味乾燥の口の中にちょうどいい。牛乳は使われていない。大振りの桃が美味い。完熟しており、甘みが強い。赤みが強い黄色っぽい身は、伊達ではなかった。桃の果汁が充分に口の中を潤す。クルミは単体で、桃が隠した中央のバニラアイスで口を休める。スポンジ代わりに小さくカットした桃の上に乗せた生クリームは、トッピングに用いた。散らしたピスタチオが、食感に変化を与える。無言で食事を進める桜屋敷に、南城は書類を出す。
「ついでに、ちょっとその書類も書いてくれ。印鑑も忘れずにな」
「ん」
 疲れた脳に甘味を取り込む桜屋敷は、素直に頷く。左手でスプーンを、右手でペンを。『お行儀が悪いです。マスター』デスクトップに鎮座するカーラが警告する。「すまない。カーラ」桜屋敷は謝った。『次の欄を記入しても大丈夫ですか?』人工知能が創造主に意志の確認を取る。桜屋敷は首を傾げつつ、愛する人工知能に尋ねた。
「ん?」
 尋ねても、カーラは答えない。恐らく、答えたら良くないことが起こると計算しているからであろう。桜屋敷は南城が出した書類を見る。【名前】【住所】【生年月日】【年齢】片手間に埋められる情報だ。記載に不備はない。右隣に、南城の名前だけが記載してある。住所生年月日年齢は空欄のままだ。あとで書くのだろう。不思議に思い、書類の頭にある名前を見る。文字を目でなぞった瞬間、カランとスプーンが落ちた。
「虎次郎!!
 顔を真っ赤にした桜屋敷が、憤りながらキッチンへ向かう。婚姻届けに桃の果汁とバニラやらの汚れが沁み込んだ。乾いたらニチャッとすることだろう。不衛生だ。既に南城のところにだけ押された印鑑が、根が冗談から始まったことではないことを示していた。



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