執着するバーガー
馳河ランガはある日発言する。
「和バーガーが食べたい」
英語が元であるところは、律儀に母国の発音に合わせる。彼は日本独自の文化、和製料理の概念を知った。ナポリタンやドリアだけではない。まだまだ日本にも独自の文化が生きている瞬間にも進んでいるのだ。
食欲で目を輝かせるランガに、暦はジト目になる。
「急になんだよ」
馳河ランガが転校してきた日からの付き合いであるが、学校や〝S〟では誰よりも付き合いが長いと自負している。そんな彼でさえ、食欲旺盛な彼の突拍子のない話についていけなかった。なにせ、その発言に至るまでの経緯を知らない。なぜ、それを食べたいのか? その前提を共有しない限り、話を合わせることも難しい。理由を尋ねる喜屋武暦へ、ランガは尋ねる。
「俺、最近知ったんだ。ドリアはナポリタンは日本だけで食べられる料理なのかな? って思ったんだけど、他にもあるんだよね? しかも、今も作られてるって!」
「んー? そりゃぁ、ドリアは冷凍で売られてるし、ナポリタンも弁当のおかずにも使われてるし? あるんじゃねぇの?」
「うん。だから、最近できるっていう和バーガーも食べてみたいんだ!」
「んなのコンビニに行きゃあるんじゃねぇの? ハンバーガーの冷凍食品はやめとけ、やめとけ。A&Wで食べる方がまだマシだぜ?」
「暦、フローズンフゥードの話じゃないよ」
「冷凍食品ってそう発音するんだ」
すれ違う話はランガの厚意により修正される。〝Frozen food〟とは、文字通り凍らされたフードを意味する。ランガが食べたいものの意味がますますわからない。暦はムスッとしたまま、携帯を開く。スマートフォンを取り出し、指紋認証で画面を開いた。画面をスライドし、タップし、商品を探す。
「おっ、あった。でもさぁ、ランガ。これ、ここじゃ食べられないぜ?」
「そっか、だから愛抱夢はあんなことを」
「えっ、愛抱夢と街の中で鉢合わせたわけ?」
「うん。また街の中で会った」
「えー」
もしかしてストーカーでは? 暦の頭に疑念が抱くが、警察に相談しても悪手だろう。なにせ〝S〟自体がアングラな組織だ。そこをキッカケにしてストーカー被害に遭いました、では分が悪すぎる。「変なこと、されたわけじゃないよな?」恐る恐る、逃げを許さぬ追及の姿勢で暦は尋ねる。「ん? ご飯をご馳走してもらっただけだよ!」晴れやかな顔でランガは答えた。一先ず事案はなさそうである。暦は頭を抱えつつ、額を押さえた手を口元にスライドした。
「あー、そこんところは突っ込まないでおくけど」
「うん」
「それとバーガーがどうしたわけ?」
「愛抱夢が教えてくれたんだ。今度東京行く用事があるから、見つけたら買おうかって」
(先に都合を聞くだけ、まだマシになった方か?)
落ち込む犬のように肩を落とすランガに、暦は別のことを考える。今までは、事前の予告もなくランガに大輪のバラや上空からの登場を行っていた。それが「こんなに貰ったら、母さんが困るかも」「食べ物を粗末にしないで」などといわれたことにより、程度は抑えられている。「本当はここら一帯を埋め尽くすほどの薔薇を贈りたいのだけれど」「本当はもっとビックリさせたかったのだけれど」と抑制されている分、激化の気配を辿っていることは伏せておこう。それほど、パラシュートで潰された手付かずの料理のダメージは大きい。
そのような経緯を踏まえると、事前に都合を聞くだけまだマシといえる。「あ、そういえば。そのあとスネークが連絡先を渡してきたんだった。なんか、オーダーがあったらここにって」抜かりない。(そういえばスネークって愛抱夢の小間使いみたいなところをしてたんだったよな)思い出すが、特に決め手になるような情報は思い付かない。
ランガと和バーガーの結びつきは、未だに不明だ。
「じゃぁ、出るまで待てばいいんじゃね?」
「駄目なんだ。俺、どうしても食べたくて。和バーガーのことで頭がいっぱいになるんだ」
「スケートよりも?」
「ポテトを食べると思い出すくらいに!!」
「とれだけ食べたいんだよ。この食いしん坊プリンス。けど、俺じゃ作れないぜ? できたとしても、普通のバーガー買ってアレンジを加えるだけくらいだし」
「愛抱夢が買ってきてくれるものも楽しみだけど、俺はもっと他の和バーガーも食べてみたいんだ」
「それ、絶対愛抱夢の前でいうなよ? とんでもないことになるからな?」
「とんでもないことって?」
「そりゃあ、その。ハンバーガーのフルコース? 高そうな、食い放題のテーブル全部が高そうなバーガー的な?」
「それはすごい」
愛抱夢が持つ財源とコネを考えれば、できないこともない。けれども、今は庶民的でお手軽に味わえるものを味わいたい。「俺が食べたいのは、そういうのじゃなくて」暦との会話を通じて、ランガは具体的に願望を話す。
「食べるとホッとするような、それでいて、いつでも食べられるようなものを食べたいんだ!」
「ふーん?」
そこまで力説すると、飛行機に乗って買いに行く距離では力不足だろう。話の結論を掴んだ暦は頭を少し捻らせて、閃いた。
これを解決できる人物は、一人しか思い当たらない。学校が終わるとスケボー片手に、目的の人物が滞在する場所に向かった。
「それで、俺に作ってくれって?」
馳河ランガの悩みを解決できる人物、南城虎次郎である。彼は〝Sia la luce〟のオーナーシェフであり、イタリア料理を専門とする。暦とランガの知り合いの中では、料理の腕に関して並び立つ者はいない。スケボーの技術は【最速のシックスパック】だ。彼とは〝S〟で知り合ったので「ジョー」を愛称にして呼んでいる。「そうなんだ」ランガと一緒に事の経緯を説明した暦は頷く。
「ランガの野郎、スケートもできねぇくらいに憑りつかれてさ。ジョーの方からもなんとかしてくれよ」
「スケートができないほど、ゴーストに憑りつかれてはいない!」
「ご、ゴーストって、お前!? 食い物とお化けは全然関係ないだろ!?」
「食い気で鈍るとは、下らん」
『憑りつかれる』を英語で訳すと〝be possessed〟が候補に上がる。日本語に訳すと『狐に抓まれる』『悪魔に憑りつかれる』『物の怪に憑りつかれる』など、お化け関係のものが多い。その引き出しから反論すると、暦は大いに動揺した。
しかしながら、そこではなく彼の食い気に呆れた者がいた。
なぜか休店の〝Sia la luce〟にいた、AI書道家の桜屋敷薫である。〝S〟では〝Cherry blossom〟として活躍し、公私ともに支える愛機カーラを駆使して見事な滑りを見せる。理論的な滑りに関しては右に出る者はいない。人は彼を【AIスケーター】と呼んだ。彼は南城と違い、時と場合に合わせて名称を使い分けることを徹底させる。〝S〟の場では「チェリー」、〝S〟の場である山を降りたら「AI書道家桜屋敷薫」に関する名称を。決して山を降りた後では〝S〟の名を使わせない。逆もまた然り。〝S〟の場である山では絶対に表の名を使わせなかった。
そんな彼は、空になった皿の前に座っている。話す暦とランガに振り向かないものの、耳を傾ける。食後のワインを止めて話を聞くものの、黄金の価値にも値しない。鼻であしらうだけに留めて、理論的に問題点を指摘した。
「そんな状態で滑っても怪我をするだけだぞ。さっさと和バーガーとやらの幻想を砕くんだな」
「それができねぇから、こうしてジョーに頼み込んでるんだってば。チェリー」
「山を降りたらその名で呼ぶなッ!!」
「いてっ!」
「俺、どうしても今すぐ和バーガーを食べたいんだ!!」
南城の愛称として呼ぶ〝S〟ネームに釣られて、桜屋敷のものを口にする。その途端、桜屋敷の帯から扇子が引き抜かれ、閉じた状態のまま暦の額に叩き付けられた。しっぺ返しと形容できるような攻撃である。狭い面積でハリセンのように扇子で叩かれた暦は、目をギュッと閉じる。叩かれた場所を擦った。そんな大人げない大人と大人げない暴力を食らった親友を他所に、ランガは頼れる大人に自分の要求を主張する。
ランガの後ろで行われる大人げないことを見ていた南城は、腕を組みながら考える。
「うーん、でもうちはイタリアンだぞ? 百歩譲って使える肉や野菜はあるが、バンズはない。パスタのバンズなんて、嫌だろ?」
日本は実に様々なバンズが存在する。イギリスで生まれたイングリッシュマフィンを使うものもあれば、国民食である米を使うものがある。マフィンは柔らかく、米は焼いた硬さがある。その法則性でパスタを使ったものを考えれば、なんとなく嫌なものだ。パスタの芯が残ってそうであり、一口噛めばボロボロ食べかすが零れる。バンズに不向きだ。
苦い顔をするランガは、力を籠めて首を振る。
「なんか、嫌だ」
「だろ? となると材料を仕込むことから始めないといけねぇ」
「フンッ、金欠ゴリラに買う余裕などあるか」
「そこで、このお兄さんの出番だ。さぁ、なにを食いたいか言え。このお兄さんが材料費を出してくれるらしいぞ?」
「おい!? 勝手に決めるな!! 俺の財布は俺の」
「えっ、マジ!? さっすがチェリーだぜ!! じゃぁ、俺は美味いもん! とにかく美味いもんでいいぜ!! あっ、でも肉がめっちゃ入ってたらいいな! 肉のサンドとチーズのサンドなんか、もう最高だよなぁ!?」
「肉とチーズのタワー、とてもいい。俺は、とにかく『和バーガー』かな? 愛抱夢が教えてくれてから、すごく気になるんだ」
「愛抱夢だと!?」
「食いつき方が極端すぎるだろ。薫。んじゃ、それがヒントになるってことだな。愛抱夢に詳細を尋ねることは可能か?」
「ん、じゃぁ連絡してみる」
「愛抱夢と連絡先も交換してるだと!?」
「一々うるせぇよ!! 薫! 少しは愛抱夢の話が出ても黙ってろ!!」
「黙れるか!! 愛抱夢のヒントだぞ!?」
「お前、本当懲りねぇのなッ!?」
「あ、きた」
「愛抱夢の返信速すぎて引くわぁ」
勝手に自分が出費するということで話が進められ、愛抱夢の情報に繋がるものが出ても黙れと要求される。これでは桜屋敷にとって一銭の利がない。目の前の高校生二人に釣られて当時の癖が出る南城と違い、桜屋敷は当時と変わらず反論する。南城は目くじらを立てる。桜屋敷はムキになって持論を押し付けた。この間に、遠方の地にいる愛抱夢が光の速さでランガに返信した。反応の速さに暦はドン引きする。ランガが受信した文面は主に愛を綴っているが、必要な情報は画像しかない。
「ジョー、こういうのだって」
喧嘩する大人二人にランガは受信した画面を見せた。桜屋敷が真っ先に反応し、愛抱夢が送った恋文に眉と口元を引き攣らせる。「うっ」と声に出さなかったのは、せめてもの理性か。逆に南城は一瞬顔を顰めたものの、目的の画像に目をやった。愛抱夢がランガに向ける『ラブ』はともかく、法に触れていなければ見守る方針だ。
「なになに?」
添付した画像を開き、明かされた情報を確認する。愛抱夢が愛を綴った文面が画像から消えると、桜屋敷も画面を覗いた。扇子を開いて口元を隠しつつ、横から覗き込む。
「なんで納豆なんだ。おい、鮭フレークと山葵を使え」
「俺に命令するな。陰険眼鏡。それとパティは、っと。普通に肉を使うヤツもあるか」
「食べられるものだったらなんでもいいよ」
「ふむ。バーガーに合うソースは意見を募る形か」
「これは、ジョー特製バーガーの注文ということでいいんだよな?」
「うん! それで!!」
「ちなみに俺はー、これとこれとの組み合わせで! 茄子は絶対使わないでくれよな!?」
「正気か?」
「あ、それなら俺も。納豆だけは絶対に使わないで」
「はいはい。このお兄さんが買ってくるまで時間がかかるから、また来週くらいに来いよ」
「おい!! 俺だって忙しい」
「やったぜ! サンキュー!! ジョー、チェリー!」
「ありがとう! チェリー、ジョー!!」
年下の少年から満面の笑みで礼をいわれては、不満を飲み込まざるを得ない。桜屋敷は苦々しい顔で唇を噛んだあと、悔しそうに口を閉じた。「なっ、良い気分だろ?」母性溢れる優しい笑みを浮かべながらも、あくどい囁きを耳元で行う。肩を抱き寄せられて悪の誘惑を受けた桜屋敷は、乱暴にその手を払った。「暑苦しいから近寄るなッ! 筋肉ゴリラ」不快さを露わにした顔だ。その嫌がる顔と暴力を、ニヤニヤ笑って南城は受け流す。
結局のところ、暦とランガは南城に約束を取り付けてから帰った。「なにか食べなくても大丈夫か?」と南城が厚意で聞いたことにより「あっ、じゃぁ食べる!!」「俺、プティーンで!」と受け取り、軽食を食べて帰ることとなった。その間、桜屋敷は食後のワインを飲んで寛ぐ。「あのさ、チェリー」試食で完食したパスタの粗探しをしていると、暦が尋ねる。「チェリーって、AIっていうからには数学が得意なんだろ? それで、ちょっと聞きたいところがあってさ」授業について教えを乞われたので、仕方なく付き合ってやる。
学生二人が帰ったところで、桜屋敷は口を開く。
「勝手に決めやがって。俺の分はあるんだろうな?」
「余った食材で作ってやるから安心しろ。守銭奴眼鏡」
出した分のマージンは少ないながらもある。割の合わなさに、桜屋敷は舌打ちする。裏で交渉の成立を確約させた。「で、これが注文してほしいもんだ」巻き込んだ南城は、桜屋敷にメモを渡す。書かれてる内容を読んだ桜屋敷は、即座に愛機のカーラに語り掛けた。
「カーラ、一番安く仕入れられるところを頼む」
『OK、マスター』
「おい、こら!! やめろ! 変に安いところで買うと、質が悪いんだよ!! ロボキチ!」
「カーラを馬鹿にするなッ!! 原始人! いわれるまでもなく、質を安定させた上での調査だ。ぼったくりを買う方がよっぽど損だろうが。馬鹿ゴリラめ」
「へいへい、じゃあカーラの調査に任せますよ」
「お前よりかは優秀だ。阿呆。イタリアのときもそうだ。お前より俺が見つけた店の方が、よっぽど野菜を安く仕入れた」
「あ!? ふざけんじゃねぇ!! 例え割高になろうが、朝市に出てる食材の方がよっぽど新鮮なんだよ!! ドケチ眼鏡!」
「だからって虫食いを掴ませるな! 阿呆ゴリラ!!」
「それは悪かったなッ! でもお前が安いといって見つけた店も最悪だったじゃねぇか!!」
「あれは現地が詐欺ってたからだッ! ボケナス!!」
お決まりの喧嘩を繰り広げて気が済むまで意見をぶつけ合ったあと、お開きとなった。
さて、桜屋敷の仕事は早い。沖縄で翌日中に配送が終わるところを見つけたあと、即座に注文する。これは沈黙を保ちながら一連の会話を聞いていたカーラによるものだ。人工知能は静かに桜屋敷の近辺に起こる事象を計算し、予測を立てていた。これら仮定を作る作業が功を奏した結果である。営業中の南城が店を閉めて仕込みをしている間に、荷物が届く。受取人が支払う着払いではない。(すると思ったが)受け取りのサインを書きつつ、南城は考える。(それほど俺に金がないと見やがったな? アイツ)守銭奴の桜屋敷が割の合わない仕事を引き受けて運送料を押し付けないということは、つまりそういうことである。そのようなことを考えているならば、逆に悪用してやろう。南城は荷物を受け取り、店に戻った。
カウンターの中で荷物を開ければ、メモで頼んだものの通りである。米を粉状にして作ったバンズに、カールレタスと春菊、蓮根。鮭の切り身に豆腐と山葵。チーズは自前で代用できるので問題ない。材料が揃ったことを見ると、店の冷蔵庫に仕舞った。冷凍で来たものを使うには、まず解凍しなければならない。その間にディナーの仕込みを行い、店を開け、売上を記録した。「メニューごとの売上も付けておけ」晩酌の桜屋敷が口を出す。「俺の頭の中に入ってるんだよ。ロボキチ」南城はレジの金を数え終えたあと、カウンターに戻る。店を閉める段取りを一段落飛ばしたのだ。
「それで。アイツらに頼まれたものは出来上がったのか」
「まだだ。今から試作する」
「ほう」
日付が変わるまで一時間も持たない。だが朝から夜更けまで活動することは〝S”で慣れている。酒を飲みながら仮眠を取る桜屋敷を他所に、南城はレシピの再現性を行った。
いくら頭で思い描いても、味と見た目が整わなければ意味がない。使うと決めた調理器具だけを取り出し、再現に取り掛かる。他の使わない調理器具は事前に洗うことで、店を閉める負担を減らした。まな板を調理台の上に出し、まず材料の仕込みを始める。
木綿豆腐をキッチンペーパーで二重に包み、レンジで加熱させる。茹でてヘルシーに使う方法もあるが、今回はカロリー高めだ。五百ワットに設定し、弱めで三分。その間に春菊を洗って水を切る。キッチンペーパーで水気を拭き取ったあと、手で葉と茎に分けて千切った。春菊と同じようにカールレタスを用意していると、電子レンジが終わりのベルを鳴らす。南城は手を止め、温めた豆腐を外に出した。冷めるまで待つ間に、カールレタスの続きを行う。レタスを終えたら、蓮根の下拵えだ。皮を剥き、シャキシャキ歯応えを求めて薄く輪切りにする。切ったあとは即座に水を張ったボウルに入れ、変色を防いだ。あく抜きも兼用しているため、水はすっかり酢の性質を持っている。酢水に薄く輪切りにした蓮根を浸からせ、終えたらハンバーグの準備をする。店にある材料で不足分を賄った。玉葱を微塵切りにし、豚のひき肉と水切りを終えた豆腐を他の材料と一緒に練り込み、平たい円形に成形する。フライパンで焼いている間にサーモンのフライの作成だ。大きな切り身を食べやすいサイズにカットし、塩と胡椒で臭みを取る。染み出た水分はキッチンペーパーでしっかり拭き取り、旨味を求めて薄力粉のポリ袋に入れる。サクッとした食感もほしいので、溶き卵に酒を少々加えた。潜らせる前に、白い白粉を余分に付けた分を払い落とす。うっすらと鮭の肉質の皺が見えるようになったら、コロッケを作る要領で溶き卵とパン粉を潜らせる。(薫に作ったこともあったなぁ)昔を思い出しつつ、揚げる準備を行う。ハンバーグに火が満遍なく通ったことを見たあと、カールレタスを敷いたバンズの底面にハンバーグを乗せる。オーダーのチーズサンドだ。平たいものの肉は分厚い。スライスしたモッツァレラチーズは、肉の熱で溶ける。ヘルシーハンバーグとチーズの組み合わせは真ん中まで。ここでは一旦手を止め、素早くフライパンを洗って念入りに水気を拭う。油に水は天敵だ。底の深いフライパンを温めている間に、予め作っておいたソースをヘルシーハンバーグのトップにかける。次に春菊と蓮根のサラダにしたものを乗せ、バンズのトップを置けば完成だ。形が崩れないよう、ピックで頭から底まで刺す。(時間がかかったな。仕込みを行う数を増やすか)油が温まったら、待ち望んだ鮭の切り身を入れる。じっくり揚げながら、山葵の準備をする。摩り下ろした山葵と先に作っておいた特製ソースと絡めれば、肝心なものは完成だ。鮭の衣の縁がきつね色になると、長い菜箸でひっくり返す。塩胡椒は少々振っておきたい。タルタルソースはハンバーガーの底でアクセントとして働かせる。トップは山葵の特製ソースだ。
揚げ終えたフライの油を落とし終えると、ハンバーガーとしての盛り付けを行う。バンズの下から、タルタルソースとカールレタス。サーモンのフライに山葵の特製ソースをかけて、ピクルスの代わりに胡瓜をスライスしたものを乗せる。肉厚ハンバーグと同じ具材である春菊も散らした。まだまだ足りない。食欲旺盛な男子高校生の腹を満たすべく、サーモンフライをもう一枚追加する。山葵の代わりにグレイビーソースと同じまろやかさを持つ和のソースを垂らす。最後に残りのバンズを乗せれば完成だ。
出来上がったバーガーの二つを見つめ、南城は考え込む。
(ひとまず『和』のテーマを元にして完成したが)
なにせ専門はイタリアンである。レシピ通りに作るならまだしも、専門外と専門外を組み合わせて創作するには限界がある。一口齧れば、まだギリギリ許される範囲だ。シェフとしては、もう少し一手間や工夫を加えたい。舌が馬鹿な人間が食べれば、喜んで食べる。不味くはないが、もう一工夫を施したい。決め手が思い付かないまま、南城はカウンターに戻る。
「できたのか」
小腹を空かせた桜屋敷が、偉そうに尋ねる。空腹にアルコールだけでは胃に悪い。「ほらよ」晩酌のお供として、完成したハンバーガーを出す。桜屋敷が要求すると思い、作っておいたもう一セットだ。少し時間が経っているので、ソースとチーズがバンズの底に向かって垂れる。ジッとその様子を見たあと、桜屋敷は着物が汚れないように食べる。長い髪を耳にかけ、大きく一口で齧り付いた。南城も大きく口を開け、自分の食べ差しを食べる。やはり、もう一工夫がほしい。一つ目を完食しても、桜屋敷は難しい顔をしたままである。口直しにワインを飲み、残る一つに手を付ける。一口二口と味を見てから、食べる手を止めた。
「お前、看板下ろせ」
「そうなるよな」
辛辣な料理評論家の一言に胸を撫で下ろす。やはり、この出来上がりだと料理人の名折れになる。だからといって、朧気に姿を見せる改善点をすぐに掴めるわけではない。「どこが不味い?」南城は率直な意見を桜屋敷に求める。「ソースでパンの底がビシャビシャだ。バカタレ」いくら具材の水分を飛ばしても、ソースでバンズが湿っては台無しになる。「あー、そうだよな」確かに気になってはいた。カールレタスのシャリシャリ感でも誤魔化しきれない時間の差である。「他には?」続けて尋ねる。「山葵はいいが、上のソースとの相性ももう少し考えろ。お互いの良さが台無しだ」ズケズケと容赦なく桜屋敷は料理の不満点を挙げる。これでいくらか改善する箇所が見えてきた。南城は小さく頷きながら、レシピの改善点におけるメモを取り始める。
イタリアに旅立つ前の、学生の時分と変わらないやり取りだ。幸い、時間はまだある。残された時間と隙間を使って、南城はレシピの改良に取り掛かった。
数日後。約束の日が来る。
先週約束を交わした同じ曜日の同じ時間帯に、暦とランガが〝Sia la luce〟にやってきた。「もう、俺お腹ぺこぺこ」力なくランガは肩を落とし、自分の腹を擦る。「お前、この日を楽しみにしてたもんなぁ。まっ、俺もだけど。ジョーの飯、楽しみだなぁ」素直に間食を我慢したランガの素直さに呆れつつも、暦は嬉しそうに同意する。なにせ、〝S〟の上位実力者であるジョーの飯は美味い。初めて訪れた〝Sia la luce〟で出された料理だけでなく、ランガの祝賀会でも舌鼓を打った。それを無料で食べられるとは、僥倖である。
胸を弾ませて、店の中に入る。先週と同じく、見知った顔があった。
「よぉ。適当なところに座れよ。今出してやるから」
「よっしゃ! 楽しみにしてたぜ、ジョー!!」
「和、バーガー! 和、バーガー!」
一週間もの間に、日本語の発音を覚えたのらしい。目を輝かせるランガの口から出る〝Burger〟は、アメリカ英語の面影もなかった。イントネーションが平らな日本語の長音に変わられている。カウンターで寛ぐ桜屋敷は、休息のワインを一口飲む。今日もこの銘柄のワインは美味い。適当なテーブルに暦とランガが座ると、南城が水の入ったグラスを運ぶ。「他に注文はあるか?」メニューを見せ、飲み物を頼む。「んじゃ、水をピッチャーで!」「俺も、俺も。喉渇いちゃったからさ」高校生二人の会話に、桜屋敷は昔を思い出す。自分が高校生だったときも、金欠に苦しんだときがあった。「仕方ねぇなぁ。ちょっと待ってろ」面倒臭さを見せつつも、南城は要望に応える。なんだかんだといいつつ、この男は面倒見がいい。また一口、桜屋敷はグラスの中身を飲んだ。
冷え切った瓶ごと水がテーブルの上に出される。暦とランガは空になった自分のグラスにもう一杯水を注ぎ、乾いた身体を潤わせる。喉から渇きが消えると、ぺちゃくちゃ喋り出した。今日学校で起きたこと、スケートのこと、以前見たスケーター動画の新作が出たこと。なんとなく昔を思い出させる内容だ。桜屋敷がもう一口ワインを味わっていると、南城が出てくる。
手に、改良を重ねた二種類のバーガーを座らせた皿を乗せていた。皿自体はシンプルであり、西洋料理のようにソースで模様付けを行っていない。代わりに二等辺が長い三角に折り畳んだ清潔な白いナプキンを添えており、手掴みで食べるスタンスを取っている。
「ジョー特製『和バーガー』だ。しっかり味わって食えよ?」
口振りは軽いが、実際は重い。何度試食に付き合わされたか、数えるだけで億劫である。桜屋敷は未だに返礼を受け取っていない。それが出されるまで、空腹と口寂しさを酒で誤魔化す。
「おぉ、見るからに美味そう。これ、このままがぶり付けばいいんだよな!?」
「あぁ。そのまま食べるのがソイツへの礼儀ってもんだぜ。服を汚さないよう気を付けて食べろよ?」
「ふは、ひゅーひー」
「喋るのは食ってからにしろよ。スノウ」
爛々と目を輝かせたランガが一口でバーガーの半分までを食べた。『スノウ』とは馳河ランガの〝S〟ネームである。南城は馳河ランガという本名を知らない。特に急を要さない情報であるからだ。桜屋敷は彼がアルバイトの面接に来たときに本名を知ったが、〝S〟のメンバーしかいない場では表の名は呼ばない。自分に向ける呼称と同様、相手の呼称も徹底的に分けた。そうした雑多な背景を吹き飛ばす美味さが、南城の作ったハンバーガーにあった。
最早ランガは外から入る音を聞かない。もぐもぐと自分の口の中で咀嚼する音と、自分が思考する声。これはなにを使っている? どうしてこんなに美味しいんだろう。これ一つを作るのにどんな材料を使ったんだろう。今まで食べたことがない! などなど、実に感情豊かだ。一口一口を味わう様子は、料理人の冥利に尽きる。南城は非常に満足した。寝る間も惜しんで改良を加えた手間は、決して無駄ではなかった。
「うっ、んまっ!? なんだよ、これ!? こんなに美味いバーガーなんてあるのかよ!? ジョー!?」
「あるんだな、これが。いいか? こいつは非売品のものとなる。決して他には漏らすなよ?」
「うんうん、これ、絶対他にも食いたいヤツでるわぁ。もうハンバーガーやれるんじゃね?」
「残念だが、俺はイタリアンシェフだ。まっ、店が閉じたときにでも考えてやるかな」
「えぇ、こんなに美味しいのに? ジョーの店、潰れなさそう」
「ハハッ、お世辞をどうも」
といいつつ、内心では喜んでいる。後輩の学生二人に気の良い返事を見せる南城に、桜屋敷は内心呆れる。とはいえ、暦とランガが飛び跳ねるほど美味なのは確かだ。何十回もの試食を経て、ようやく桜屋敷が満点を出したのである。店に出しても通用する創作バーガーだ。ワイングラスの中が空になる。「おい」桜屋敷は軽く身体を反らし、高校生男子と話を続ける腐れ縁にいう。
「いつまで待たせる気だ」
「はぁー、今出すっつーの」
不満を露わにすれば、後輩たちに接した態度と一転して白けた態度を取る。〝S〟で常識となっている仲の悪さだ。ボリボリと項の部分を掻き、南城は厨房に戻った。どうやら注文していたらしい。休店の〝Sia la luce〟で暦はふと疑問に思った。
「な、なぁ。チェリー」
「なんだ」
空腹で散々待たされる不服から、桜屋敷は苛立ちを露わにする。大人の八つ当たりは面倒だから当たりたくねぇなぁ、と思いつつ、暦は尋ねた。
「ジョーが俺たちにバーガー作る分の費用、チェリーが立て替えたんだよな?」
質問の言葉を並べつつも、脳裏に実也の言葉が蘇る。
「それ、いったい幾らしたわけ?」
──「チェリーって結構金にがめついから。まだ未成年の僕にも金を巻き上げようとしたんだよ? アイツから金を借りたり出してもらうようなことになったら、絶対警戒した方がいい」──。中学生で日本代表に選ばれただけあって、冷静な判断だ。最初にジョーから「このお兄さんの奢りだ」といわれた時点で警戒すべきだったのである。
この美味さだ。よっぽど食材の質が良いに違いない。それとパティの肉が今まで食べたハンバーガーで一度も味わったことがないくらいにジューシーだ。恐らく神戸牛とか、高い和牛の肉を使っているに違いない。なにせ『和』バーガーだからだ。
恐る恐る尋ねる暦に、チェリーこと桜屋敷はギッと目尻を吊り上げた。生半可な覚悟を持つ子どもであれば、泣いて怯えるほどの目付きの悪さである。
「聞きたいか?」
オマケに地を這うような声である。国際通りデパート前のAI大書で受けた扱いを思い出した暦は、咄嗟に首を横に振る。この怒り心頭の状態で逆鱗に触れては堪ったものではない。飛び火を恐れる暦は顔を青褪めたまま、恐怖で片言のまま話す。
「イ、イエ、全然聞キタクアリマセン」
素直な拒絶の返事に、桜屋敷は鼻を鳴らした。賢人、虎の尾を踏まず。桜屋敷が腕を組んだまま目を瞑る隙に、そうっと暦は抜け出す。自分の席に戻ると、もうランガは自分の分を完食していた。
ジィ、と暦の皿に残る分を見つめている。
「やらねぇぞ」
咄嗟に暦は自分の取り分を確保する。
「うぅ、一口だけでもー。暦ぃー」
ランガの食い意地は可哀相なほど縋りつく子どものようだ。憐憫の感情が暦に生じるものの、一度痛い目を見ている。「仕方ねぇなぁ」と一口許したら、大きな一口を奪われる。せめてポテトの最後の一切れだ。譲る譲らないが発生するまでもなく、ランガの口に吸い込まれている。心を鬼にして、暦は自分のバーガーを食べる。
「駄目だったら、駄目だ! これは俺がジョーに頼んで作ってもらった分だぜ? お前は全部、自分の分を食べただろ」
「だって、美味しかったから。やっぱり暦の分も美味しそうだし」
「それをいったら、ランガの食ってる分も美味そうだったぜ? 一口交換は成立しねーよ。残念だったな」
「あぁー」
「おっ? 喧嘩か? そうなると思って、ほら。おかわりを持ってきたぜ」
「ジョー!!」
「すっげぇ!? 速いだけでなく気遣いもすげぇなんて、聞いたこともないぜ!?」
「ハハッ。速いだけは余計だ!」
「あー!! ギブ、ギブ!」
気の良い青年のように軽く笑い流し、実際に水に流さない。暦の称賛に聞き逃すことができなかった南城は、ご自慢の筋肉で首を絞めた。筋肉が盛り上がる前腕部を相手の首の下に引っかけ、反対側の手で手首を掴みながら気管を絞めつける。怒りを伝えるじゃれつき方の一種だが、やられている身にとっては堪ったものじゃない。バンバン、と暦は南城の筋肉質な腕を叩いた。ギブアップを伝える力が弱まることを見ると、放す。「今度は少しずつ、ゆっくり味わうね」暦が注文したバーガーに見惚れていたランガは、南城に顔を上げる。「あぁ、料理は逃げないからな」良いことをいって、南城はテーブルを離れた。「くっ、もう少し手加減ってものを覚えてくれよなぁ」咳き込みながら席に着く暦は、文句をいう。呟く小さな声を南城は逃さず「速さだけじゃない、ってことを見直すんならな」と釘を刺した。裸絞めが行われる原因は、評価にある。ジト目の視線を背中で受け流し、散々待ちくたびれた幼馴染に一品を出した。
バーガーに使った材料を使い回しながらも、見事にパスタ料理に昇格させている。なにも桜屋敷は、南城の創作バーガーが二人にどのような評価を得るかを見守るために来たわけではない。それはただのオマケだ。本命はこちらにある。
ようやく来た料理に「フン」と鼻だけを鳴らし、フォークを手に取る。皿の縁でクルクルとパスタを巻き、期待の一口を頬張った。
「フンッ、まぁまぁだな」
その態度と食事を進める手が評価を物語っている。シェフとして譲れない勝負の連戦は、ここで終わった。ようやく降りた肩の荷に、南城は深く溜息を吐く。疲れたように、自分で自分の肩を揉んだ。
イングリッシュマフィンとの組み合わせを食べる暦は、和牛のパティをバーガーごと味わうランガに尋ねる。
「なぁ、ランガ。これで、集中できそうか?」
最近パークで練習していても、メイクするとき「バーガー!」と口に出していたときがあった。ゾーンという極地の集中の状態に至っても、食欲という壁が立ちはだかったらしい。「ランガ!?」と驚いて名前を呼んでも、食欲を満たす願望が果たされる境地から帰ってくるだけである。「ごめん」こんなものだから、山にも出ることができなかった。
『和バーガー』による弊害を受けたランガは、少し考える。
「うーん、できそう! 愛抱夢が買ってきてくれても、俺。きっとスケートに集中できると思う!」
和を扱うバーガーへの執着が、ようやくランガから立ち去った。
訪れた平和に、ホッと暦は胸を撫で下ろす。和バーガーを取り巻く事件は、これで一件落着したのであった。