ホワイトデーの詰問

 ホワイトデーだが、作るのは南城である。桜屋敷は作らない。適当に見繕うにも、あのゴリラのことだ。どうせ文句をいうだけいう。そう思い、桜屋敷は買わなかった。ただ買うとすれば、自分の目的に沿うものだけである。やむちん通りから徒歩十分、沖映通りに面する店でワインを見繕う。バーの雰囲気がある試飲のカウンターやソムリエがいると宣伝するだけあって、種類が豊富だ。気になるワインがあれば、一口の値段で試飲できる。ウィスキーやラムの選別もできる店員がいることもあって、ワイン以外の味も楽しめた。『マスターの好みを学習します』最先端の人工知能は嫉妬を覚えたらしい。カーラの表出した感情に、桜屋敷は穏やかに微笑んだ。自分の好みを知ろうと、愛機が対抗心を張る様子は可愛らしい。さらに、ラムやウィスキーもこれから嗜んでいきたいと感じる部類に入る。「一緒に色々と覚えようか。カーラ」やはり共に人生を歩むのなら、今においても人生の伴侶はカーラである。好奇心や興味は大事だ。カーラへ学習させつつ、他の酒も飲む。一口の値段で様々な味を試飲したあと、南城と飲む酒を見繕った。奇を狙って、赤ワインを選んでみる。「イタリア料理でワイン以外なら、こういうものもオススメですね」ブランデーにリキュール、スピリッツにデザートワイン。どれも置いてないが、いずれもイタリアで作られたものだ。(イタリアで作られたから、イタリア料理に合うと)和食と日本酒の関係と似ている。と考えて、南城の好みを考えた。
(どうせ、魚に合うものがいいだろう)
 ボードのグラフィックに魚をチョイスするくらいだ。白身魚に合うワインの方が喜ぶだろう。白ワインの棚へ移る。ズラリと並ぶワインの中で、一番馴染んだボトルを手に取った。南城の好みなど、知ったことではない。桜屋敷は自分の好みで選んだ。(ブランデーやリキュールの類は買わせてやるか)南城に買わせることで、酒と合う料理を出させる。ドケチと計算高い性格が噛み合った。強く甘いレモンと鮮烈なライムの香りがするワインを、携える。南城の家に着くと、玄関の扉を強くノックした。コンコンコン、誰も出ない。もう一度ノックする。力を強めれば、ドタドタと急ぐ足音がした。そこから数秒して、扉が開く。
 エプロンを身に着けた南城が、桜屋敷を見て顔を歪めた。
「今忙しいんだが? 卑怯眼鏡」
「ゴリラにしては珍しい。一度も出ていないのか」
「準備に忙しいんだよ! 店も開けたかったが、定休日と被ってしまってな」
 良い時機を逃した、と南城がポツリという。腰に手を当てて、軽く俯きながら後頭部を掻いた。「そんな利用者がいるとでも思っているのか?」桜屋敷が眉を顰めて尋ねる。東京などの都市部ならともかく、沖縄にディナーでお返しをする層がいるとは思えない。「少なくとも、俺がいる」今度は腕を組み、胸を張る。「アホか」桜屋敷は吐き捨てた。南城みたいな男が、そのへんにうじゃうじゃいたら堪ったものじゃない。そうでなくとも、南城みたいに料理で返礼をする男は少ない。成功する男で見積もれば、日本中で探しても片手で数えられるくらいだ。それくらい珍しい。
 玄関に立つ南城を押し退けて、桜屋敷は勝手に入る。「この腐れ眼鏡」「阿呆ゴリラ」罵倒と睨みで返し、草履の踵を綺麗に揃える。我が物顔で南城の家に入った。
 たらしこんだ女を連れて帰る分、家の間取りやデザインにこだわるところがある。玄関を入ってすぐ横にある広い空間は、プレイルームというより物置だ。スケートツールに、汚れた布。ウィールとトラック、スケートシューズなど。木製のオープンシェルフに置かれているものはそれで、ついでに筋トレに使うらしい道具も置かれている。南城らしい無造作だ。仕切りを下げるカーテンレールは、物干し竿の代わりになっていた。ハンガーが一本、取り残されている。身の丈一八〇を超す利便上、桜屋敷が手を伸ばせば届いた。けれど素直に取ってやるほど、南城にかける親切心はない。扉を通り過ぎてすぐ、リビングダイニングとキッチンが一体化した部屋に出た。アイランドキッチンである。深いインディゴブルーでカウンターと仕切りを塗っており、キッチンは比較的最新の設備を備えている。本来なにもないはずのそこに、色とりどりの焼き菓子が並んでいた。どれも種類が違う。保存性が良く、常温でも味を損なわない。桜屋敷の顔が引き攣った。戸締りをした南城が、室内に戻る。LDKの通り道で立ち尽くす桜屋敷を横へ押しやり、キッチンに入った。
 抜いた天井は高く、長身の南城にも過ごしやすい。元より部屋が広いので、筋肉質な巨体にも動きやすかった。キッチンがアイランド式であるのも、本人のこだわりだろう。「金欠ゴリラが」カウンターにある椅子の一つを掴み、角に座る。広いバルコニーに繋がる窓を背にした。沖縄の環境上、軒下は広く目隠しの柵は高い。それでも必要な日射量を確保していた。デザイナーズリノベーションの名を騙らない作りである。空いた隅に、買ったものを入れた紙袋を置く。並ぶ菓子のどれかをつまみ食いしてやろう、と考えたが、どうも気にくわない。どれも自分のために作られたものではないからだ。
 他人のために作ったものを横から盗ると、自分が妬いているように見える。
 そのように受け取られるのは、死んでも御免だった。
「馬鹿らしい」
 渡す相手に見当は付く。袂の下で肘を握り、プイッと顔を反らした。吐き捨てる桜屋敷に、南城は眉を寄せる。
「女から貰った以上、お返しを作るのは当たり前だろ。薫だって、作らないのか?」
「必要ない。出版社越しに渡されたのはあるが、相手したらキリがない。別の手で返すのが一番だ」
「この守銭奴眼鏡め。また金に結び付くものだろ」
「当然だ。仕事である以上、双方利益のある取引を行う」
「この腹黒狸め。〝S〟のファンは違うだろ?」
「似たようなものだ。そもそも、俺が渡してどうなる。うるさく騒ぐだけだろう」
「それはそうだけどな。でも、ファンの気持ちに応えるのも義務だと思うぜ?」
「知るか。とにかく俺はやらん」
「最低だな。こんな男のどこがいいんだか」
「その台詞、そっくりそのまま返してやる」
「俺は女には最高の男でいるつもりだ」
「分を弁えろ。タラシゴリラ」
「貧弱モヤシが嫉妬するなよ」
「あ?」
「図星すぎて、なにもいえないって?」
「呆れて物もいえん。ゴリラに人間の文化は早かったな」
「どこがだッ!」
「お前が勘違いしている全てがだッ!! 人間様の真似事をするな。類人」
「それで機械に熱を上げてるっていうのか? ロボキチ」
「機械じゃない! カーラだ!! ったく、お前といて落ち着いたことがない」
「それはこっちの台詞だ」
「真似するな」
「そっちこそ真似するなッ! お前の相手をする暇もないからな」
 なんだって、店のメニュー開発も兼ねているんだからな。と、南城は告げる。手に泡立て器を持っており、どうやらメレンゲを作っているようだ。〝Sia la luce〟のドルチェに、卵白を使うらしい。桜屋敷は無碍に扱われたような気がして、ヘソを曲げた。「つまらん」ボソッと呟く。ガサゴソと、カウンターに置いた紙袋から取り出す。酒だ。ラベルは黒であり、金箔のロゴが目立つ。白のインクでワイナリーの名前を記していた。〝A〟から始まるものである。それを横目で見て、ハーッと家主が溜息を吐く。
「本当、好きだよな。そのワイン」
「口に合うし、飲みやすい。阿呆か?」
「一々気に障ることをいうヤツだな。お前は本当に」
 と腹を立てつつ、南城はワイングラスを取り出す。それを深いインディゴブルーのカウンターへ出した。無論、桜屋敷のいる席にである。「フンッ」桜屋敷は出されたグラスを受け取り、ワインの封を開けた。ビリビリと破こうとするが、取れない。キッチンの引き出しを開けた南城が、無言でツールを渡す。ワインを開けるためのソムリエナイフだ。シングルアクションタイプで、フックが一つしかない。腕力で開けるタイプだ。きっと女に自慢の筋肉を魅せるためだろう。実用性も兼ねている。この選び方に、桜屋敷は不快に感じた。受け取り、ナイフの刃でキャップのラベルに切り込みを入れる。半周と半周で一周を終えたあと、縦に切り込みを入れた。すると、簡単に外れる。キャップシールが剥がれれば、次はコルクだ。女性的な動きも見せる着物と痩身に見える身体の線から分かりにくいが、桜屋敷も筋肉がある。白い美肌に不相応ではない、ガッシリとした筋肉が付いていた。
 南城ができるのであれば、桜屋敷もできる。コルクの中心にスクリューの先端を真っ直ぐ突き刺し、力任せに三回回し込んだ。キュポッと、密封が放たれた音が聞こえる。瓶の口を掴み、少し傾けて真上へ持ち上げる。最後に瓶を押さえながら、コルクを上へ持ち上げた。キュポンッ! と今度は音が大きい。誰の手も借りず、桜屋敷は一人で開くことに成功した。本音をいえば、南城にやらせた方が手間も労力も省いて楽である。
 開封したばかりのワインを、グラスへ注ぐ。傾けて液体の色が日の目を見た瞬間、南城の視線が移った。甘味のある強いレモンの香りと、鮮烈なライムの香りだ。液体も、色が薄く緑がかった明るい黄金のものではない。緑の色合いが強い、薄いレモン色だ。これに南城が目を丸くした。
「珍しい。薫でも、そんなものを飲むんだな」
「俺は然るべきところで味を見て決めている。センスが出てくるのも、当然だろう」
「どこから出てくるんだ。その自信は! ったく、薫に付き合ってると進むものも進まないぜ」
「真似するな」
「どこで真似したって見たんだよ。勘違い眼鏡」
「今しただろ!!
「してねぇよ!! 〝S〟まで時間が限られているんだから、邪魔をしないでくれ」
「お前のモテも物品で成り立つというわけか」
「俺のは俺の魅力と性格からだッ!! ありがとうって感謝の気持ちが、お礼の品となってお返しの形になっているだけだ」
「大量の女を囲んでいる時点で、全く説得力がないな」
「俺が囲んでいるんじゃない。俺に惹かれる天使たちを全員相手にしているだけさ」
「シねッ! やはりお前みたいなタラシゴリラは絶滅するに限る」
「お前みたいな腐れ眼鏡がウジャウジャいても困るけどな。ロボキチ」
「低能ゴリラは黙ってろ」
「負け犬眼鏡はすっこんでろ」
「は? 俺は新人ルーキーに負けてはいないが?」
「愛抱夢には負けただろ! 二回も愛抱夢に負けたら、目も当てられないぜ?」
「それは負け犬ゴリラのことだろう。自分で投げたブーメランが突き刺さっているぞ? 低能」
「お前だって、自分で投げたブーメランがさっきから突き刺さっているだろ。腐れ眼鏡」
「なんだと?」
「やるか?」
「首を洗って待っていろ」
 会話を重ねるうちに、段々と物騒なものとなる。仕舞いには喧嘩腰となり、ガツンッと額で頭突きあった。南城はキッチンから身を乗り出し、桜屋敷は立ち上がる。キッチンとダイニングリビングの床の高さに差はない。0ゼロであり、容易く額同士が衝突した。ピキリピキリと青筋が頬に立つ。目尻も眉も吊り上がり、眼光に敵意が宿っている。──レモンに近い高い酸味と、柑橘類の苦味を含む爽やかで新鮮な香りは、どの魚介にも合う。和食にも合うが、ワインはイタリア料理に合う。南イタリアの魚料理にも合った。その地方の魚介をふんだんに使った煮込み料理が好きな以上、自然とワインもそれに合うものを選んだ。白ワインも例外ではない──。回りくどくも、桜屋敷は南城の好みに合うものを選んでいた。自分の好きな銘酒であることは、建て前を守るためである。無意識の狙いは、本人にも相手にも気付かれない。最先端の人工知能でさえ、学習を突き詰めないと気付けない。今は誰も、ワインに隠された意図に気付かなかった。
 怒る桜屋敷の手が、ワイングラスに伸びる。自分の酒を確保すると、鋭い目付きをさらに強くした。
「お前といると、折角の美味いワインが不味くなる!!
「美味いって、そりゃ味はいいけどな。そこまでヴィンテージのものじゃないだろ。年数を見るに、三年物か」
「四年だ。ド阿呆ッ! 普段から飲む分でも、懐の痛みは少ない。味とコストを考えたら、これが一番最適だ」
「理屈は分かるけどよ。ドケチ眼鏡がそうも」
 億を下らない金を貯め込む割には、手に取りやすいワインを──好むか、と口にしようとした矢先で閉じる。キュッと口を引き締め、顔に熱が集まった。桜屋敷のいう南城の『誤解』である。よくよく考えれば、最初に飲んだ酒は、この手のワインだった。いや、二番目三番目だろうか? とにかく、無断飲酒していた頃に飲んだものは、この手の値段のものだった。未成年の頃に飲んでいたのだから、無断飲酒である。大っぴらに言えることではない。「安物では駄目だ」「もっと高い酒がいい」そうはしゃいで、コンビニに入って、学生で買える酒を見繕う。その結果、二千円台のものが手に入りやすかった。
 未成年の頃に飲んだ酒と、同じ価格帯の酒を桜屋敷は好んで飲む。
 この事実に、南城の口端が上がりそうになった。咄嗟に口を隠す。背を向けて、ニヤニヤを押し殺す。震える大きな背中に、桜屋敷が機嫌を悪くした。
「なんだ、タラシゴリラ」
 顔を顰めたまま、南城の脛をゲシゲシ蹴る。
「俺に反論できなくて逃げたか? え?」
「んなわけねぇだろ! 卑怯眼鏡!! クッ、陰険ドケチ守銭奴なら高いヤツを選べ! 高いヤツを」
「馬鹿いえ。普段から五〇万もするワインなんか飲めるか。ド阿呆ッ! シェフの癖に、それがわからんとは。万年金欠だけある」
「それと関係ないだろ。すかたん!! 作って余った分があるけど、絶対にやらねー」
「寄越せ」
「やらないっていってるだろ」
「断る。寄越せ」
「この業突く張りめ!」
「散々お前の練習に付き合ってやっただろうが!!
 南城が振り返って噛み付くと同時に、桜屋敷も噛み付き返す。真正面から衝突し合った。南城がイタリア料理を練習し始めた頃に、桜屋敷は試食係にされてきたのであった。その分の恨みが、今晴らされる。
 ギャアギャアと騒ぎながら、罵倒と悪態で相手を倒そうとする。剣呑な空気だ。ガツンと衝突した額に走る痛みは、怒りと対抗心で打ち消された。
 額の距離が離れる。南城がなにかしらの悪態を吐こうとした瞬間、グイッと襟首を掴まれた。引っ張らり寄せられて、口が塞がれる。悪態が生じた根源は昇華された。問題となる点が天国へ召され、ポカンと口を開ける。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。この南城の反応に、桜屋敷はしでかしたことを後悔する。〈望まぬ結果が生じてやり直したい〉という気分ではなく〈こういう結果ならば、しない方がマシだった。俺の労力が無駄になった〉の嫌悪によるものである。
 グイッと南城の唇に重ねた口を拭う。
 桜屋敷の行動に、南城がカチンときた。
「てめっ! そんなんなら最初からするなッ!!
「お前が物欲しそうな顔をしていたからだッ!! 恨むなら自分の顔を恨め。自業自得だ」
「は、はぁ!? キスしたことを俺のせいにするんじゃねぇよ! すかたん!!
「なんだと!? このボケナス!」
「素直に認めろ! この腐れ眼鏡!!
「誰が認めるか!! そもそも、俺がいつそうだと言い切った? 勘違いも大概にしろ。低能ゴリラ」
「ソイツに抱かれてアンアンいっているのは、どこのどいつなんだよ?」
「ケツで感じて喘がされているのはお前の方だろう! お前が抱かれている側だ」
「ちっ、違ちがっ、んなわけないだろ!」
「きっちりとホワイトデーに相応しい返し方をしてやろう」
「要らねぇよ!! おい。近付くな。ま、待て! キッチンではするな!! 絶対にだ!」
「なら、とっとと服を脱いでベッドで待ってろ。阿呆ゴリラ! 手加減はしてやる」
「いや、待て! 話が急すぎるだろ!? 気持ちは嬉しいが、その。こういう日はお互いに気持ちを確かめ合うのが」
「くどい」
「って、勝手に入るな! 引き出しを勝手に開けるなッ!! 馬鹿薫ばかおる!!
 南城の短縮した罵倒が出てきた。桜屋敷は寝室へ無許可に入り込み、ベッドの傍らにあるチェストの中身を確認する。予想したものが変わらず置いてあった。避妊具のゴムが箱で置いてあるのは、横の模造したものを見ればわかる。こちらへの使用頻度を考慮してのことだ。無論、経口サイズは然程変わらない。差があるとすれば、長さと太さくらいだ。ゴムのサイズがカバーする範疇にある。(やはりコイツは、俺に抱かれるために色々と準備をしている)証拠を目にして、桜屋敷は優越感に浸る。南城は逃げ場を失った。
「あぁ、くそっ。一先ず作り終えてからだ!!
「良かろう。待ってやる」
「くっ、何様のつもりだ!!
「欲しがるゴリラの要求へ応えてやると言っているだけだが?」
 そういって、ゴロンと寝転がる。南城の身の丈では、ダブルベッドでは心もとない。ダブルベッドよりも広いシーツの上で、桜屋敷は寝転がった。左の手首にいるカーラへ話しかける。「カーラ、今夜の天候は」「今日の運勢は」「フフッ。そうか、ハハッ」楽しそうに愛機と会話と続ける。このやり取りに、南城はギリッと奥歯を噛み締めた。
(クソッ!!
 正妻には勝てやしない。フツフツと込み上げる涙を堪えて、料理の続きに戻った。手を動かす。「それだけ作って、どうするつもりだ。全員に渡す気か?」ベッドで寛ぐ桜屋敷が、寝転がりながら話しかける。開けた扉越しに聞こえた声に「そうだ」と南城が答える。ムスッとしたまま「貰ったチョコに合わせて、お返しを作っているんだからな」と説明する。なるほど、返礼と同時に技術を向上する練習台にも使うと。(お前がいう台詞か)突っ込んだらキレるだろう。ならば次の言い合いに使えばいい。喧嘩の材料を、胸に隠す。南城は全員分作り終えると、綺麗にラッピングを始めた。モテる男は細部に至るまで気を遣う。シンプルながらセンスがいい。セロハンの袋に焼き菓子を入れ終えると、シンプルな無地の袋へ片付けて行った。一人、一袋。一袋につき、焼き菓子が一種類。小さな無地の紙袋は、南城の肌と同じ褐色だ。クラフト紙でできたものである。
 ファンの子全員分の袋を、白い紙袋に入れる。クラフト紙の紙袋と違い、大きい。それもそうだ。桜屋敷が買ったワインが入っていた袋を、無断に使ったためである。
 一つ一つの焼き菓子が崩れないよう気を遣い、準備を終える。エプロンを外し、使った調理器具を片付けた。軽く洗って、纏めて食洗器に入れる。機械に一通り任せたあと、寝室に入った。桜屋敷はベッドへ寝転がりながら、携帯端末を触っていた。桜屋敷の私物である。ネットで調べものをしており、南城が近付いた気配に視線を向ける。ドカッとベッドの端に南城が腰かけることで、桜屋敷の顔が向いた。
「済んだのか」
「あぁ、済んだよ。残りの時間で気になる店に行きたかったっていうのに」
「残念だったな」
 ムクリと立ち上がる。南城と同じようにベッドの端に座ると、床を指差した。
「俺に抱いてほしいなら、いうことがあるだろう。さっさとしろ」
 お前は床にいろという。抱かれたいのであれば、その気にさせろという。この命令口調に、南城の虫の居所が悪くなった。ムッとして、ジト目で桜屋敷を見やる。堅く口を閉ざし続けたあと、待ち続ける桜屋敷に文句をいった。
「誰がいうか。馬鹿眼鏡」
 罵倒を吐けば、桜屋敷がムッとする。対抗心を果たす手段は、ベッドの上と決まった。寝室にいて、予めそうだと話をした以上、自ずと手段がこうなる。もしいつもの口論へ発展すれば「逃げ腰」「腰が引いている」など不名誉なことを言われかねない。桜屋敷は南城の肩を押す。反射的に力を入れたが、ほんの一瞬だけ力を抜いた。手応えがあって以降、南城はピクリとも動かない。
「こ、の! 普通はここで押し倒されるものだろうが!!
「なんか腹立つんだよ!! この重箱隅突きピンク!」
「なんだと!?
「やるか!?
「受けて立とう」
 声を荒げた南城と違い、桜屋敷はドスを利かせている。「だったら、期待だけはしておいてやる」抱かれるまでが長い。桜屋敷の否定から、肯定を繋げて、南城の肯定から否定へ繋げる。普通の恋人同士なら、否定と肯定で否定、肯定と肯定で肯定と繋げられた。至って単純だ。なのに幼馴染で犬猿の仲が続いた身だと、そうも行かない。かなり否定を挿し込んで肯定へ導き出す必要がある。遠回りだ。
 喧嘩を買った桜屋敷が押し倒す。南城は怒りを滾らせたまま、押し倒された。心の中で中指を立てる。しかしながら、反骨精神はどちらも同じだ。
〝S〟までの残る時間の中で、喧嘩をし続ける。たっぷりと勝敗を付けたあと、桜屋敷は家に帰った。負けた南城が部屋に取り残される。
 悔しい思いをしながら、腰を押さえて部屋を出る。キッチンカウンターには、封の開いたワインが残されている。コルクは閉められているが、緩い。素手で簡単に外すことができた。洗ってあるワイングラスの水気を軽く払い、そこにワインを注いだ。一口飲む。自分好みの味である。
(まさか、な)
 ワイングラスを緩く揺らし、もう一口飲む。もう一度確かめても、やはり自分の好みに沿っている。南城は歯痒い感じを得た。
 シャワーを浴びて、匂いを消したあとに〝S〟のコスチュームに着替える。ファンたちへのお返しが入った袋と自分のボードを持って、クレイジーロックに向かった。高校生の頃から乗るバイクに跨る。南城が桜屋敷に抱かれたことは、当人以外に誰も知ることはなかった。