喫茶店と待ちぼうけ

 ──「少し寄ってから行く」──。そう桜屋敷が伝言を残し、たっぷり30分が経った。可笑しい。南城は危機感を抱く。このままナンパへ移行してもいいが、自分から約束をすっぽかしたとなれば不味い。桜屋敷に弱味を一つ、握られることとなる。この場合、言質が必要だ。携帯電話を取り出し、桜屋敷の電話番号へかけた。コール音。暫し、コール音。体感で長く感じた直後、受信者が応答に出た。
『はい』
 沈黙のあとに降りた声は、どこかぶっきらぼうだ。桜屋敷が応答に出たことへホッとしつつ、南城は問い詰める。
「おい。馬鹿眼鏡。お前、どこにいるんだ? こっちはもう、30分も待っているんだが?」
 責めるように尋ねれば、暫し。また沈黙のあとに応答が返る。『いや』その声は罪悪感と狼狽え、具合の悪さの諸点を滲ませた。これに違和感を覚え、南城は追究する。
「なんだって?」
『その、だ。ゴホン。良いニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?』
 言い淀んだあと、咳払いをして直後。すぐに桜屋敷の自信に溢れた声が返ってくる。(なんなんだ、コイツは)切り替えた相手のメンタルに呆れつつ、南城は答える。
「なんだよ。じゃぁ、良いニュースからで」
『よかろう。良いニュースとは、時間通りに電車へ乗れたことだ』
「悪いニュースっていうのは?」
 簡単に内容は予測できる。しかし、念のため尋ねてみる。桜屋敷は悪びれることなく答えた。
『悪いニュースとは、──逆の電車に乗った』
「はぁ、で? 普通間違えるわけないだろ」
『東京の癖で間違えたんだ。ド阿呆!! あと電車の本数が少ない』
「ならタクシーを拾え」
『金が勿体ない。よって、どこかの店で暇を潰していろ。許可する』
「お前に許可を取られるまでもねーよ。なんで逆方向に行くんだ。逆方向に」
『整備していない駅の方が悪い』
「地元のせいにするな! この陰険眼鏡」
『電車に乗ったから切る』
「あ、おい!」
 せめて着く時間くらいは教えろと、文句をいう前に電話が切れる。成人式が終わり、束の間の帰郷を楽しむ身だ。専門的にプログラムやら人工知能を学びたいだのいう桜屋敷は、帰郷が終われば県外へ帰る。南城もまた、修行の地であるイタリアに帰る身だ。
 適当に入った喫茶店で、暇を潰す。食べ物を頼もうとも、食欲が出ない。試しに珈琲を頼んでみる。きちんと豆を保管してあるだけあって、香りはいい。素人が作る雑味はなかった。ついでに、イタリアより砂糖の甘味が強いということはなかった。
 日本の珈琲は、基本的に無糖である。牛乳も植物性油脂も砂糖も、全て注文した客のお任せである。
 イタリア人の目がないので、お構いなく無糖で飲んだ。向こうの甘い珈琲は、南城にとって少し辛い。
 携帯端末で時間を見る。桜屋敷が電話を切って、まだ一〇分くらいしか経っていない。
(さて、どうするか)
 居場所を連絡するのもいい。このまま桜屋敷が待ち合わせ場所に来るまで、呑気に高見の見物をするのもいい。待ちぼうけを喰らわされた分、良い御身分で眺めてやる。無糖の珈琲を飲みながら、南城は選択肢が動くことを待った。
 桜屋敷はまだ来ない。南城も、自らの居場所を伝えない。電車に揺れる桜屋敷を余所に、南城は小腹を満たすものを一つ頼んだ。
 あとに窓から桜屋敷の姿を見付けて連絡を送るが、そこで一悶着が起こることは、また後の話である。
 ガブリ、とサンドイッチを噛んだ。