ブラックコーヒーがお好き?
大前提として、桜屋敷は牛乳が大の苦手である。コーヒーミルクは、植物性油脂と水、乳化剤で作られている。原材料から厳密にいえば、牛乳と遠い親戚でもない。赤の他人である。化学物質でとろみを付け、牛乳に近い香りや色付けをする──、この時点で駄目だった。カフェオレやマキアートなどは、頑張れば飲める。AI書道家桜屋敷が作品を発表するに当たって、多くの反響を見せる層が女性だ。そのため、SNSなどで人気とあれば試してみる。コーヒーへ牛乳を混ぜたものはある。そのときは「これは牛乳ではない」と念じながら飲んだ。これは後に作品へ活かされる。女性をメインターゲットにしたカフェは、非常に良い切り出しをした。それでも、普段からコーヒーにミルクを入れようとはしない。
普段からブラックである。砂糖もミルクもなにも入れず、ただ素材本来の味を味わう。豆は大きく保存の仕方に味を左右される。例え安物の豆であろうと、酸化を確実に防げば味を落とさない。どの豆を選んだか、どのように保管へ気を遣っているか。それがたった一口で分かる。そうブラックのコーヒーを楽しむ桜屋敷と反対に、南城はスティックシュガーを入れていた。イタリアで培った癖なのだろう。その国は食後にエスプレッソを飲むが、非常に甘くする。砂糖をドバドバ入れるし、味の好みでミルクを入れることもあった。抽出したエスプレッソをそのまま飲むなど、まず有り得ない。変人の極みだ。朝食も甘いスコーンやビスケットで済ます地方だ。イタリアの地で、南城が顔を顰めていたことも懐かしい。大量の甘いジャムをビスケットに乗せて食べることは、南城へ苦手意識を根付かせていた。
その名残りが、スティックシュガーに出る。イタリアで馴染むために、砂糖を入れることが習慣付いたんだろう。その半分だけをエスプレッソに入れて、クルクルとマドラーで掻き混ぜた。深いコーヒーの香りに吸い込まれ、熱い暗褐色の水面と溶け合う。グルリと水面に渦を作り、クイッと一気に飲み干した。イタリアン流である。残るスティックシュガーに、桜屋敷は眉を顰める。険しい顔つきになった。
「もっとちゃんと味わって飲め。それでも料理人か」
「チマチマと味わうもんじゃねーんだよ。重箱隅突きピンク! 淹れてから一〇秒以内に飲まないと、本来の味が損なわれるものなんだ。これはッ!」
「つまりお前のような雑頭ゴリラにお似合いのコーヒーというわけか。流石原始人、コーヒー自体も一秒で済ますか」
「本来ならカウンターで注文して飲むようなものだけどなッ!! AI書道家ならカーラに聞いてから喋れ。ロボキチ」
「向こうと此処とじゃ、出し方や淹れ方自体も違うだろうがッ! 脳筋ゴリラ!!」
「だからって人の飲み方にケチ付けるんじゃねぇよ! ドケチ眼鏡!!」
「お前が雑に飲み干すからだろう! 阿呆ゴリラ!!」
ギャアギャアと騒ぐ。イタリアと日本ではの味方が違う、郷に入るのならば此処でも郷に入るべきだ。日本のものに合わせろ──という争点だが、火蓋が切られれば木っ端微塵となる。最早桜屋敷と南城のいずれかが反論した時点で、争点は塵となって消えていたのだ。
店内で立ち上がり、額を突き合わせて子どもみたいな罵り合いをする。南城の残したスティックシュガーはそのままであるし、残された半分は使われない。桜屋敷も桜屋敷で、結局ブラック以外のものは飲まなかったのであった。
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