5. 内線番号214からSOS
南城虎次郎は女好きだ。休日などオフの日には街でナンパに繰り出す。とはいえ、口説こうとした相手が社内の関係者だった場合は誘わない。間違って声をかけた場合は、どうにか世間話に移して、切りのいいところで切り上げた。決して社内恋愛を楽しもうとはしない。寧ろ避けていた。過去に何度か女性社員から告白を受けても「社内恋愛はしないようにしているんだ」の一言を添えて、申し訳なさそうに断る。桜屋敷が高嶺の花であれば、南城はまだ恋が実りやすかった。なので外では浮いた話は聞けども、内では浮いた話は聞かない。それが今や、社内恋愛に踏み込む行為をしている。深夜誰もいないオフィスで、桜屋敷に手を出されていた。チェアの背凭れがデスクにぶつかる。「おい。こんなところ、誰かにでも見られたら」「今は誰もいない」断言する声で否定することも難しくなる。なにせ、来月以降は会えるかどうかもわからなくなる。どうせ会えなく──二度と会えなくなることを考えれば、思い出くらい作っても損にはならない。細長い桃色の髪が、褐色の肌を擽る。掠るむず痒さから逃れようと身を捩れば、反った首筋に軽く噛まれた。甘く歯を立て、小さく吸う。反射的に声が小さく出た。「抜いてないのか」桜屋敷の手が南城の腹を撫で、下腹部へ向かう。「玉パンパンなのはそっちだろ。変態眼鏡」南城も桜屋敷を触ろうとしたが、下肢を弄ろうとした手で払われる。「誰の許可を取って触ろうとした」「俺」「俺は俺のものだ」「俺だって俺のものだ」「違うだろ」なぜそうも断言できるのか。さっぱりわからない。桜屋敷には桜屋敷のルールがあるだろうが、それを南城に共有しようともしない。疲れてネクタイを解いた状態は、とても脱がしやすい。片手でシャツのボタンを外し、強引に下着のシャツを捲った。肌着の中に手を入れ、直接触る。
「乳首で感じたか。変態ゴリラ」
「変態なのはそっちだッ! 変態眼鏡ッ!!」
「真似するな!」
「してねぇよ!!」
「確かにそうだ」
急に桜屋敷の声のトーンが落ち着く。南城は不思議に思った。
「俺はお前に乳首を触られたことはない」
「そっちじゃねぇ!!」
自信たっぷりに見当違いなことをいう桜屋敷に、南城はツッコミを入れた。そもそも、桜屋敷が触らせない問題がある。ともすれば、この触り方はどこで獲得したものか? 不安と同時に嫉妬が芽生える。
「萎えるな」
「お前が下手くそだからだろ」
「練習でも抱きたくない」
「ぶっつけ本番かよ。って、そうじゃなくて」
誰も抱いてはいないらしい。そのことに安堵すると、目聡く見抜かれる。「勃った」耳元で桜屋敷が囁く。「黙れ」苦し紛れで言葉で噛みつく。声色に怒気が混ざるが、身体は正直だ。早く桜屋敷に触れてほしいと願っている。その望み通りに──焦らしに焦らしてから──触ろうとした。
桜屋敷の空いた片手が南城の身体の線を撫でる。下へ向かおうとしたそのとき、内線がけたたましく鳴り始めた。緊急の連絡である。固まる桜屋敷をそのままに、南城は慌てて電話を取る。
「どうした!?」
『じょ、ジョー!! やっぱりいたぁ! 頼む、助けてくれ!! 全然終わらないんだ!』
助けを求めた主は、レキである。どうやら仕事で大きなミスをしたらしい。「ね、愛抱夢の経費でなにか頼めないかな?」始末書に付き合うスノウが、出前を頼もうとする声も聞こえる。「あのな」場の雰囲気を壊す連絡に、思わず南城の気が抜ける。反対に桜屋敷が殺気立った。ちょうどいい具合に邪魔が入ったのである。それも追加の仕事の案件だ。もう桜屋敷はやることをやって寝たかった。真向いで目尻を吊り上げる幼馴染の存在に、南城はギョッと驚く。「ジョー?」電話の向こうで尋ねる声に「あ、あぁ」と力なく南城は頷いた。
「聞いている。んっ、こっちが片付いたらすぐに向かう」
『本当に!? 助かったぁ。なるだけ早くで頼むぜ!』
「あ、あぁ」
それほどヤバいのか、と思うと同時に、耳元の水音が聞こえてないか不安になる。(こいつ、どこでこんなことを覚えてきたんだ?)腹が立つことに、耳の根本を吸われて喜ぶ自分がいる。
内線を切ると、手を出す桜屋敷と目が合った。
「片付ける、か」
不服そうな目に隠された感情が、言葉に乗せて明らかとなる。
「あ?」
その態度に、南城は腹が立った。桜屋敷が目を閉じる。「いや」瞬きをするかのように開ける。
「だったら早く抜いてもらわないとな」
「性欲処理なら一人でやってろ!」
当然だといわんばかりの桜屋敷に、南城は噛みついた。
レキとスノウのヘルプに遅れたのは、ここだけの話である。そのときの南城は、ミントの香りを漂わせていた。
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