6. 密会は給湯室で
俗っぽく性愛を絡めた娯楽作品の中には、爛れた関係というものが入っている。ならば今の関係をどう表すべきか? 昔馴染みで腐れ縁で今でも縁が続いており、顔を合わせるたびに喧嘩をする。嫌ならば抵抗すればいいだけの話だ。接近したとして、距離を取ればいい。少しでも離れなければ、脈がある。流れるように引き寄せても、揺れる瞳に期待が見える。「嫌か」寸前で尋ねれば「お前はどうなんだ」と同じ刃で返す。俺が嫌がらせでこういうことをするかと心の中で罵倒しつつ口を開けば、向こうも口を開く。閉じた目を薄く開ける。向こうは瞼を閉じていない。ジッと瞼を伏せて熱く見つめるだけで、桜屋敷の行動を一秒たりとも見逃さなかった。なにか既視感があると感想を抱きつつ、唇を重ねる。キスはあまりしたくないが、手軽に済ませられる分としてはちょうどいい。「いってきますのキスなんて毎日したくなるだろ」過去、若い頃に話した内容を思い出す。照れくさそうに笑って、惚気かと当たりそうになった。「俺はしたくない」そう返したことを思い出す。決まりきった時間と出来事でキスをするより、キスをしたいと思ったときにした方がいい。例えそれが刹那的であり、相手と関係が切れ──いや、虎次郎の場合はそれがないだろう。例え手を出しても、虎次郎ならば切れないという安心感がある。根拠のない信頼感だ。その根拠のなさを庇うために、実体験を積む。経験と事例の積み重ねは、根拠を裏付ける大事な材料だ。「待てよ。薫」熱に溺れた声が、切羽詰まったようにいう。怒涛する興奮を触る桜屋敷の手を止めた。あともう少しでベルトを外せるというのに、この男は止まれという。聞く耳を持つものか。「待てって」快楽の渇望より先に理性が踏み止まる。桜屋敷の手首を掴む。筋力の差は大きい。遺伝子が定めた筋量の最大値で、抵抗が成功した。それ以上白い手を進ませようとしない。「触ってほしいんだろ」一歩間違えればセクハラだ。しかし南城であればそうならない自信がある。セクシャルハラスメントは、対等な立場のときには起こりにくい。「ここではやめろっつってんだよ!!」怒りを露わにして拒絶することも起こらない。そもそも、充分な関係性を構築できていないときに、相手の同意なしに関係を縮めようとしたときに起こる加害行為みたいなものだ。
触ろうとする桜屋敷の手が距離を離す。物足りなさそうに、寂しそうに南城の視線が追った。
「じゃぁ、いつならいいんだ」
「そりゃぁ、お互いの家とか、そういうもんだろ」
「お前、どこ住みだったか」
「知っとけよ」
「知ってる」
当然のように返す。その言い草に、南城の気持ちが揺らいだ。南城も南城で、桜屋敷のそういうところに弱いらしい。信じていると素直に断言する物言いに、南城は流されそうになる。桜屋敷が首筋に鼻を擦り付ける。(甘えてるのか?)一度でも口に出したら、二度とやってくれなさそうだ。南城は込み上げた疑問を飲み込む。桜屋敷の手が、南城のシャツのボタンにかかる。
「おい。こんなところでやるなって」
「いいだろう。ここは人が通らない」
「変態眼鏡め」
「流されるお前が悪い」
「嫌がったらお前が機嫌を悪くするからだろ」
「つまり、今お前の頭の中は俺でいっぱいということか」
「嫌な意味でな」
優位に立ったとほくそ笑む桜屋敷に、南城は苛立つ。不愉快さを露わにして噛み付いた。言葉で噛みつけども、身体は正直だ。シャツと肌着の二重でも、期待で胸が膨らんでいることがわかる。布越しで主張する小さな膨らみに、口角が緩んだ。
「ジャケットがないとバレそうだな」
「黙れ」
「こういうのも好きなんだろ?」
「調子に乗んなッ!!」
顔を真っ赤にして、桜屋敷に怒鳴りつける。南城の耳元で囁いた桜屋敷は、怒る南城を不思議そうに眺めた。この大声が響いたのか、遠くで足音が聞こえた。
バッと離れる。足音がどこへ向かうか、耳をそばだてる。南城は火元に立ち、桜屋敷はシンクに立つ。元々、なにか飲もうとして給湯室に立ち寄っただけだ。耳に入った足音は、どうやら別のところへ向かうらしい。
足音の主は、給湯室の前に現れなかった。チラッと桜屋敷は南城を見る。
「萎えてたな。ビビりめ」
「ビビりなのはそっちだろ。陰険眼鏡」
興奮は氷のように急激に冷めていた。軽口を叩けば、また火が付く。本来の目的を行う位置に立ちながら、暫しどうするべきかを悩んだ。
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