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本日の〝Sia la luce〟は盛況だ。ビジネスマンの昼休憩の時間帯、仕事の場に使う者もいる。それをオーナーシェフである南城は気にしない。「お待たせしました。本日のパスタでございます」穏やかな物腰で、丁寧に料理を出す。朝方、桜屋敷に向けた態度と大違いだ。配膳を行い、厨房に戻って調理の続きを行う。ホールとキッチンを己の身一つで行うのだ。多忙を極める。何事も効率よくこなさなければ、全てが滞った。新規の客が来れば、待ってもらうように告げて調理を進める。素早く一段落を済ませると、ホールへ入った。ついでに出来上がった料理をテーブルへ運び、待っている客を空いたテーブルへ案内する。客が不満に思わない限界まで、いかに長く待たせるか。表立っていえないが、この抜け道と〝Sia la luce〟の形態が上手いこと噛み合っていた。体格と顔のいいオーナーシェフが一人で切り盛りする点でも、良いアピールポイントとなる。厨房に戻り、新しくきた客がメニューを決める間に進める。この店においては、多忙と早い時間の流れを忘れさせる利点がある。「あ、しまった」滞在時間を見越して、軽食のみを頼んだ客がテーブルを離れる。レジから聞こえるベルが、合図だ。一人の帰還を合図にして、珈琲やソフトドリンクで穏やかに過ごした客たちが離席を始める。会計を終えると、またオーダー票を渡される。それを穏やかな笑みで受け取り、南城はレジから紙幣を出した。
波というものはある。昼からピークを迎えた〝Sia la luce〟が良い例だ。一気に客が帰り、ホールはガランとする。あらかじめ持参した台拭きで使ったテーブルを拭き、器用に片手でグラスや皿など食器類を重ねて持ち運ぶ。一席二席しか使われていない現状だと、ホールに余裕が生じた。
カウンターキッチンに入り、シンクの中や周辺に洗い物を置く。このカウンターの下に、自動で洗浄する強力な洗浄機があるからだ。忙しいときは、即座に綺麗になった皿類を取り出して、使用済みを中に入れる。清潔な皿類の水気を即座に拭き取り、厨房へ持ち込むときもあった。厨房にあるタイプは、調理器具を洗う大型のサイズだ。これら便利な道具の購入に当たり、借り入れた金額を思い出す。少しだけ、返済が遅れているような気がした。これは不味い。すぐに確認をしなければ、督促状やらが来る。桜屋敷にバレて馬鹿にされるのだけは、我慢ならない。
最後の客がテーブルから離れ、南城もレジに向かう。会計を終わらせ、店の中は無人となった。客はこない。波が引き、暇な時間帯となった。この隙に、様々なことを終わらせる。洗い物は無論、金回りの事務仕事もだ。
レシピのことを考えながら、返済額を計算し直す。返済は怠っていない。毎月決まった額を、定期的に返している。それが店の負担の一つに入っており、売上が爆発的に大きくなったときに一気に返そうかと考えた。ドライに現実を考えられるというのに、時たま大胆に行動へ移すこともあった。
ふと、客の一人が纏った煙草の臭いで思い出す。
(そういえば、愛抱夢も煙草を吸っていたな)
表の顔で、ストレスが溜まることもあるのだろう。自分たちとスケートをしていたときには、確実に吸っていない。恐らく、アメリカに渡ったときに身に着けたのだろう。あそこまで丁寧に煙草を扱う仕草は、日本の至るところで培えるとは思えない。地元の沖縄であれば、尚更だろう。(愛抱夢が未成年で吸ったとしてもな)ペン先をノックする丸い縁を、下唇の凹みに押し付ける。愛抱夢が未成年で煙草を吸ったとしても、自分と桜屋敷はしていない。未成年でしたことといえば、飲酒くらいだ。煙草は臭いと舌が麻痺するとのことで、嗜む機会はそうない。それに、嫌なイメージも付く。客商売の身、下手なマイナスイメージを付けたくなかった。
(それでも吸うってことは)
余程のストレスが溜まっているのか。たまには息抜きをすればいいのに、と見当違いのことを考える。またしても、フッと別の考えが浮かんだ。
あの頃の桜屋敷が、煙草を吸っていたらどうする? あの口に嵌めたピアスに、白い煙草──いや茶色の吸い口が当たるだろう。好奇心で目を輝かせながら、慣れない手付きでライターを付けるはずだ。
その火が付いた先を思い浮かべる。
(全然似合わんな)
せいぜい煙管《キセル》くらいだろう。あの和服と見栄えを気にする男のことだ。和のイメージに合わせて、それくらいはしてくる。いや、そもそも煙草を吸わないのではないか? 既に扇子とカーラが桜屋敷の傍らにある。代用品の煙草が埋めるものは全て、先約がいた。
そこまで考えて、南城は頭を振った。事務仕事をすると、必要でないことも考えてしまう。
一サイクルを終えた洗浄機を開けて、中の食器を拭く作業に戻った。未だ客は来ず。調理器具も片付けておこう。南城は事務から離れた。
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